自由に生きるとはどういうことか―戦後日本社会編 (ちくま新書)

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著者 : 橋本努
  • 筑摩書房 (2007年11月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480063939

自由に生きるとはどういうことか―戦後日本社会編 (ちくま新書)の感想・レビュー・書評

  • 戦後日本のサブカルチャーを自由主義の側面から論じた本であり、広く人文社会系の学生にも興味深く読める資料かと思います。

    ■横国大附属図書館所蔵データ
    http://opac.lib.ynu.ac.jp/cgi-bin/opc/opaclinki.cgi?isxn=9784480063939

  • あしたのジョー、尾崎豊、エヴァンゲリオンなど、それぞれの時代のアイコンとなった現状を分析する。面白い論理の展開。

  • あららこんなところにもエヴァ論が
    ここにいていいんだにがっつり着目した論評で読み応えがありました

  • どの世代にも自由になる願望を抱き、時代により自由の捉え方がずいぶんと違う。
    当たり前の話だけど矢吹丈に夢中になった時代
    学校や会社と言う枠組み「仕組まれた自由」や「この支配」からの卒業願望
    碇シンジのような現代的な「よい子型順応人間」の心の闇に持つ葛藤・・・。

    自由は日本の経済成長に歩調を合わせるかの様に形が変わって行くようだ。
    何もない時代と息が詰まるほどに満たされた時代と世紀末の失われていく時代とでは変わってやはり当たり前なのかも知れない。
    かなりディープな内容ですが「ジョー」や「尾崎」「エヴァ」どれかにでも夢中になったことのある人には面白く読めると思うしオススメです。

  • おもしろいというかよく調べてるなという感じ。数年かけてできあがった本だし、尾崎もオウムもフューチャーしててありがたい。

  • 戦後の自由に関する考え方を、その年代に大きな影響を与えたベストセラーやアニメ、ミュージシャン、新興宗教を通して分析している。身近な話題から自由の精神について話を展開しているので非常に読みやすい本ではあるが、内容は非常に示唆に富む。

  • 戦後の大衆文化を素材に、それが流行った背景にある人々の自由に対する心理を考察している。
    しかし取り上げている素材が例えば英国パブリックスクール、『あしたのジョー』、『エヴァンゲリオン』などほとんどが男性文化である。
    女性として馴染みのなかった文化なので、それを知ることは勉強にはなった。
    確かに理解できる部分もあるけれども、それに一括りにされるのは、女性として違和感を持った。
    最終章は「ボボズ」や「創造階級」といった、性別に関係なく読める内容で、いちばん関心を持てた。
    「あとがき」では、最終章を書くにあたって特に学生に刺激を受けたことに謝意を表しているが、そこに挙げている名前は女性ばかりで、なるほどーと思いました。

  • ・12/13 読了.風邪で倒れてたおかげで一気に2日で読了.なかなか面白かった.同じ歳の著者なので、実感として共通するものがあるんだろう.自由になるためじゃなくて人類の進歩のためにも自由に生きることを追い求めることをやめてはだめだという主張だと思う.つまり、自由に生きるということは本当に自由に生きるためじゃなく、進歩するための原動力になるということなのだろう.でもじゃあ本当に自由に生きるにはどうすればいいんだろう.

  • [ 内容 ]
    敗戦により、まったく不自由から解放された日本。
    しかし、人びとの間にはいまだに「閉塞感」が蔓延している。
    では、いったい日本人は、「自由」という言葉にどんな理想を託してきたのか。
    「自由に生きる」ことは、いかにして可能なのだろうか。
    敗戦直後のエロス繚乱、あしたのジョー、尾崎豊、エヴァンゲリオン、そして格差社会…私たちの鮮烈な時代経験を素材に、本書では「生き方」の問題を考え抜く。
    かくも「生きづらい」社会のなかで自由を求めつづける術を問う、清新な「自由論」。

    [ 目次 ]
    第1章 連合国軍に学べ―敗戦直後の自由論
    第2章 ロビンソン・クルーソーに学べ―一九四〇‐六〇年代の自由論
    第3章 真っ白な灰に燃え尽きろ―一九六〇年代後半の自由論
    第4章 この支配から卒業せよ―一九七〇‐八〇年代の自由論
    第5章 ぼくはぼくを好きになれそうだ―一九九〇年代の自由論
    第6章 最高のトレッキングシューズを買え―二一世紀の自由論

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

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    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 自由に生きたい

    でも自由って何だろう

  • 2009.02 戦後の時代の移り変わりと自由について考えの違いがよくわかって、とても興味深い内容であった。自分の過去を思い出してしまった。ちょっとうるうる。

  • 先生のゼミでの語り口を思い出した。
    「常に情報を浴びろ。」と言っていたことだけははっきり憶えてる。

  • 読みやすく、アツい例えがおおく面白いだけで無くとても本質的な良書。

  • 敗戦直後 エロスの解放
    60年代 スパルタ史上主義
    70−80年代 尾崎豊「この支配からの卒業」
    90年代 エヴァンゲリオン「ちっぽけな自分を肯定」

    様々なパラダイムを経た2000年代を
    自由に生きるということを考えると、
    クリエイティブクラス的に、
    自己開発志向で
    ということになるようです。

  • 戦後の「自由」をだいたい10年おきにその特徴を論じ、今日若者が「自己実現」を可能とするための、ありうる、あるいはありうべき自由は「創造としての自由」だ、と提言する一書。

    戦後の「自由」がどのようにとらえられてきたか、というところまではけっこう興味深く読めていたのだけど、最後の「創造としての自由」という提案にははっきり言って納得できない。

    (1)本書において「創造」することの前提となっている人間の「潜在能力」がどのようなものか、曖昧な点。「ドラゴン桜」を例に三流高校でも東京大学に受かる力がみんなある、ということが「自己実現」しうる「潜在能力」の例に挙がっているようだけど、結局それは既存の権威、システムに依存しているんじゃないのだろうか。

    (2)「「きらびやかな消費生活」を手に入れるためにあくせく働くことよりも、「自分で熱中できること」をみつけて没頭したほうが…よい人生といえるのではないか」(p240)という提言。「きらびやかな消費生活」は顕示的であり、「漠然とした不安を抱えざるをえない」というのはわかる。でもじゃあ「自分で熱中できること」を見つけたら、それは絶対「自己実現」につながるのだろうか。「自分が熱中できること」が、やっているうちに「あ、これやっぱ違うかも」と思ってしまうことだってあるのじゃないだろうか。そして、人によっては「自分が熱中できること」を探して次から次へと渡り歩いているあいだに、人生を終えてしまうのではないだろうか。

    (3)顕示的消費にお金を使うことを否定的にみて、最高級のトレッキングシューズに大枚をはたくことを「ボボズ」(ブルジョア・ボヘミアン)を例に肯定的にとらえている。でも最高級のトレッキング・シューズを買って、野山をめぐる健康的な「ロハス」な生活を送ることじたいが顕示的になりうる、ということはないのだろうか。顕示的であるか、そうでないかの線引きは、結局自分の「思いこみ」というレベルなのだろうか。

    (4)「創造としての自由」が実現されていくとき、他者はいったいどういう存在なのだろうか。

    とまあ、いろいろ気になるところがあるのである。そして僕のような「創造的な自由」とも「顕示的消費」とも無縁のところに居るような人間は、いったいどうしたらいいのであろうか。どちらもお金を持っていることが前提なのが、僕にとってはねたましいのである。

  • 戦争による苦しみから開放された戦後日本。それにもかかわらず人びとの間にはいまだに閉塞感が渦巻いている。自由であることが当たり前の時代に、私たちは彷徨いながら生きている・・・。自由とはどういうことなのか、という問いに対する著者の答えは明確だ。それは、人はある一定の制限の中での自由にこそ喜びを感じる、ということだ。21世紀を迎えた現代社会においては、「創造としての自由」が望まれているが、個人の創造性や潜在能力を求められることに、私たちの生は苦しめられてもいるのだ。(2月20日報告)

  • 【2008/02/25】<br>
     とてもよくまとまっていて読みやすい本だった。現代はクリエイティビティが重要であり、コンピュータオタクらが台頭している。創造階級の人はロハス的生活を求め、下流社会の人は自分探しや消費生活を楽しんでいる。<br>
     では、自分個人としてはどういう道に進むのが良いのだろうか。学生闘争や尾崎豊を見ればわかるように、時代に合った自由を追求することが、必ずしも個人にとっても良いとは限らないと思う。とはいえ、創造性のある人間がますます重宝される時代になるだろうから、なにかを生み出せるような能力を身につけないといけないだろう。現時点では、行動を起こすより勉強することが大事だと再確認した。<br>
     それから、以下の指摘には納得<br>
    ・「日本文化の99%はクズで、1%が本当に良いものであるが、しかしその1%を感じ取れることができる人はほとんど声を出さないので、結果として稚拙な文化がはびこってしまう」<br>
    ・ 格差社会論やニート批判は、労働生産性を上げることのできない日本人が、そのストレスを低所得者層にぶつけているだけだ。<br>
    <br>
     <以下要約><br>
     現代では失われてしまった「自由」の理想について考えるため、戦後混乱期から現代に至るまでの社会の動向を追う。<br><br>
    ●45年の敗戦直後、それまでの規制が取り払われ日本人は自由を手にするが、それは「エロス」だった。<br>
     <例> 肉体小説、「堕落論」<br>
    <br>
    ●その無秩序状態を規律するため生まれた自由論は、英国風「パブリックスクール」型の規律訓練という「上からの啓蒙」だった。だがそれとは逆に、「ロビンソン・クルーソー」型の個人主義的自由論も生まれた。そして、日本の高度経済成長を突き動かしたのは、それらの中間の「下からのスパルタ主義」だった。<br>
     →大松博文(女子バレー監督)<br>
    <br>
    ●60年代後半から、「団塊世代」の若者たちは「疎外からの自由」を求めて当時の社会構造を「ぶっ壊そう」とした。<br>
     <例> 学生運動、「あしたのジョー」<br>
    <br>
    ●70〜80年代には、福祉国家の形成がある程度成功する中、人々は官僚機構や学校・企業という巨大組織という「鉄の檻」から逃れようとした。<br>
     <例> モーレツ社員、尾崎豊<br>
    <br>
    ●90年代に入り、人々はフーコー的な「祭司的権力」からの自由と、「柔らかい個人主義」の両方を求めて、「オタク文化」と「ブランド消費文化」を開花させる。<br>
     <例> オウム真理教<br>
    <br>
    ●90年代中ごろのバブル経済の崩壊とともに、戦後の経済発展の「大きな物語」が崩壊し、人々は「私的なもの」へと撤退する。求められる自由は、「最も醜い自己」までも包摂してくれるような母性によって存在を認めてもらうことだった。<br>
     <例> 「エヴァンゲリオン」<br>
    <br>
    ●21世紀の今、アメリカを例にとると、「ボボズ(ブルジョアボヘミアン)」や「創造階級」が目立つ。情報のクリエイティビティが経済の駆動因となっている現代の資本主義下では、「想像としての自由」、「潜在能力を実現させる自由」が必要とされている。<br>
     <例> ギークス、「ドラゴン桜」「のだめカンタービレ」

  • 時代と共に変わる、人間の生き方に対して分析した良書。学生運動の社会状況からどのような、人間が求められていたのか(本音の上で)そして尾崎豊や、オウム真理教・エバンゲリオンなどの話から、各それぞれの時代背景と照らし合わせて、生きていく上で当時の人間はどのようにして苦しんでいたのか、というのが垣間見れました。
    まだ、2月ですが現時点での読書ベスト3に入りますね。

  • 「エヴァンゲリオン」と「明日のジョー」が見たくなる本である。

    「尾崎豊」の曲を再び聞き直したくなる本である。

    そんな感じ。

    章ごとに箇条書きでまとめてくれてるけど
    そんなんまでしないと理解できない人、いるのかしら。。

    結局これからの「自由に生きる」とはなんて
    筆者も模索中なのである。

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