江戸の教育力 (ちくま新書 692)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480063984

作品紹介・あらすじ

江戸の教育といえば、「寺子屋」「読み書き算用」だが、その内実はどのようなものであったのか。寺子屋では子ども一人一人に応じて、社会に出て困らないような、「一人前」になるためのテキスト(手習教本)が用意され、そうした文字教育は非文字の教育(しつけ・礼儀)と不可分のものだった。地域において教育を担ったのは、名望家の文人たちであり、そのネットワークが日本中に張りめぐらされ、教育レベルを下支えしていた。その驚くべき実像を、近世教育史の第一人者が掘り起こす。

感想・レビュー・書評

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  • 江戸時代の寺小屋での教育、若者組等の非文字の教育等に
    ついて、様々な史料から読み解き、考察し、紹介する。
    ・プロローグ 「教育の時代」としての江戸時代
    第一章 江戸時代の文字文化
    第二章 江戸時代の非文字文化―家と地域の教育
    第三章 江戸の教育ネットワーク
    ・エピローグ 庶民哲学の行方
    ・あとがき コラム、参考文献有り。

    庶民の読み書き算用熱で生まれた、寺小屋。
    開業は諸認可の手続きが不要だった、寺小屋。
    そのシステムやカリキュラム、村や町での寺小屋の一年、
    師匠(先生)と筆子(生徒)の関係などが詳しく紹介されています。
    筆子塚から分かる師匠と筆子の結びつきは、
    聾者の師匠、盲人の盲人への教育も示してくれる。
    次いで非文字の教育(しつけ・礼儀)。
    大原幽学の親と子へのしつけ。預かり子と取替え子。
    成人儀礼の若者組の子ども心との決別、挨拶等で一人前にし、
    家・村・町の共同生活の存続に繋げてゆく。
    それでも生じる、家の放蕩者の勘当に関する話は小説の如し。
    寺小屋の指針『論語』、師匠のモットー「余力学文」。
    「経典余師」等の余師本の浸透。寺小屋の基礎『小学』。
    教育を担った地方文人の人脈と、日本国中に広がる
    知のネットワーク。特に俳諧の存在が大きい。
    寺小屋についてもっと知りたいと思っていたので、
    ありがたい内容でした。特に使用された教本や個々の筆子の
    実情に合わせてのカリキュラムなど、知りたかったことが
    紹介されていたし、村にも寺小屋が存在していたとは。
    コラムの、文人による私設図書館が各地にあった話も良かった。
    そして、江戸の寺小屋・私塾番付があったのは、驚き。
    まるで現代の学習塾選びのようでした。

  • 西洋では結婚届けや入隊などでの署名で自分の名前が書ける範囲の識字率が読み取れるらしい。それによると江戸後期の時点で50%~80%ぐらいと言うことだ。
    江戸では文盲率の決め手になる資料が無いと言うことだけれども、江戸末期の1834年に全国の村の数が63562村だっとことと一村に寺子屋が一つ以上あったとい事実と合わせると7万か所ぐらいの寺子屋があったと言うことだろうか?
    1856年に静岡の村で村役人である名主と百姓代にトラブルが起こり異例の入札があった。
    その投票用紙が今に残っており、それによると戸主が51枚の内3枚が判断不能だったので94.1%の識字率になる。しかし危険を含めると名主で76.2%になり百姓代で70%である。又戸主のみとは言え投票による選挙が政治に反映されていたことに注目するべきだろう。
    地方が豊かだった証拠にもなるが、私塾であった寺子屋が全国に広く行き渡っていたことも大事な点だろう。
    おもに儒教と論語による知識と道徳の寺子屋だけでなく共同子育てと躾を可能にする地域社会と、親も地域も口をはさめない子供組と若者組と言う子離れ親離れを成し遂げ独立と社会秩序を保つ教育機関があった。この両方の対立と連携で江戸時代の社会は落ちこぼれを最小限に全国的発展をとげたと言う。

    どんな境遇に産まれてもすべての赤ん坊を一人前にする民間による組織力を持っていた。文字の教育と非文字の教育がゆるやかに結合して育てた。地方にもそれぞれの持つ経済力と同時に文化と教育力備わっていた。それだけのゆとりがあったとも言える。
    明治になって西洋化した六三三制の統一された学校制度が政府によって強制的に配備されたことで、寺子屋は消えていくことになる。
    それによって地方の個性と勢いが失われ、中央集権に依存する姿に落ち込んできた。
    その「寄らば大樹の陰」に媚びる姑息さの結果が、現代の荒廃につながっているように思える。

  • 面白かった。江戸の識字率の高さとか、当時日本にいた外国人が評価してるとかは読んだことあったけれど、きちんと数字にされると驚異的な高さだった。あと個人的に選挙を行った地域があることにも驚いた。

  • 083頁:文渓師墓表……其の梗概を叙し諸石に表して以て悠久に伝へん……
    書いていないが、これは「墓表」で、漢文訓読調なので、「原漢文」の可能性が高い。
    そうであれば「諸石」は意味が通じないので、「諸(これ)を石に表して」と書き下すのが正しいと思う。

    171頁:高貴も庶民も、賢者も不背者も同し事也(賢者も不背者も同じレベルだ)、
    「不背者」は意味不明。四書のひとつ、『中庸』に「(孔)子曰……賢者過之、不肖者不及也(賢者はこれに過ぎ、不肖者(ふしょうしゃ)は及ばざるなり。)」とある。
    おそらく「肖」字を「背」に見誤った、翻字しそこなったのだと思う。
    そうであれば、この家訓には『論語』だけでなく、『中庸』の痕跡も認められることになるかも知れない。
     (それとも、もとは、手書きの原稿で、校正漏れでしょうか?)

  • 寺子屋の教育水準の高さにビックリ!読み書きそろばんだけでなく、いわゆる人間教育にまで及んでいたとの指摘には驚くべきものがある。

  • 江戸時代の庶民教育を文字教育、非文字教育、教育のネットワークを軸にまとめた本。関東の一地域を舞台に、寺子屋師匠の具体像や非文字教育の世界を味わうことができる。読みやすくわかりやすい。

    印象的だったのは、寺子屋での教育に文字を教えるだけでなくしつけや心構えも含まれていたことだろうか。当たり前のことかもしれないが、寺子屋教育=識字率の高さといった文脈だけで寺子屋を語ってはいけないことを痛感した。

    子どもから一人前になる通過点において若者組が教育を担っていたという理解も面白い。負の側面もあったにせよ、地域の慣習や大人の世界のルールを若者組がたたき込んでいくのは確かに教育に違いない。

    あと、寺子屋師匠らの重視した「余力学文」(行いて余力あらば則ちもって文を学べ)というキーワードも考えさせられた。学びの前提として親への孝行や兄弟の親しみがあり、それを行った上で余力があれば学問をすることが認められるという。なんというハードルの高さであることか。。。

    地域の庶民教育の話についていろいろ勉強になる一冊だった。武家や大商人の教育、都市部の学者の教育の世界がどうなっていたのかも気になり出した。別の本を探してみよう。

  • 江戸の教育=寺小屋って思いがちだけど、地域全体でなんやかやのシステムがあってんだという指摘にはなるほどとうなずく。
    あと「日本すごい」系の言説によく江戸時代の識字率がむちゃくちゃ高かったってのがあるけど、識字率ってのは推計に推計を重ね、かつかなり限定的なものだったのね。初耳。

  • 江戸時代の寺子屋の実態や教育に生涯を捧げた人達が紹介されている。教育関係者、小さな子供を持つ親には是非読んでもらいたい。

  • 女にはいきにくい時代だったろうけれど、地域の教育力と、地方ごとの豪農で文人の家のネットワークを新書で書いてもらえたのはありがたい。

  • 最近は近世アウトロー関係の本を多数執筆されている歴博の名誉教授高橋敏先生の本来の専門である近世教育史に関する本です。

    主に近世の寺子屋や若者組など、地域の教育力に焦点が当てられている。
    本書では、近世の教育熱は18世紀半ば頃から高まり、地域の寺子屋が増えていく。

    教育熱の高まりの背景には、「家の存続」がる。「家」を存続するためには次世代への教育が必要であり、放蕩息子を出さないためであった。

    寺子屋は子供たちに所謂「読み・書き・そろばん」を教えて、村の構成員となって自立できるようにする。特に文字文化を教えられていた。また、文字文化だけではなく、厳しいしつけなど非文字文化とセットで教えていたとされる。
    また、村の青年育成の組織である若者組も村の一員となるべく非文字文化が教えられた。
    この寺子屋と若者組は拮抗の関係にありつつも、地域の一体とした教育を構成した。

    次に、寺子屋の師匠は地域の文人がつとめたとされる。この地域の文人は、村役人であったり、町医者であったりし、儒学(特に『論語』や『小学』など)を嗜んだ者や「余師本」から得た知識を教授する者がいた。

    つまり、地域の文化の中心にある師匠が子供たちに寺子屋で文字文化や非文字文化を教えていたのである。

    かれら文人は他地域、将又全国の文化人との交流を持って、様々な知識や情報を得たとされる。

    本書は、地域の教育が与えた影響やあり方について考察した上で、近代公教育の問題点を指摘している。
    私も、近代公教育の素地に近世の教育がある、というような従来の通説には疑問を覚える。

    やはり、教育にも連続と断絶があり、本書では教育の「断絶」面に注目し、近代以降の教育の問題点を紹介した。

    近年は、教育の「地域との連携」が謳われているが、近世のような「地域で育てる」教育を実践していかなければならないだろう。

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著者プロフィール

1940年静岡県生まれ。国立歴史民俗博物館名誉教授。東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。群馬大学教育学部教授、国立歴史民俗博物館教授、総合研究大学院大学教授を歴任。文学博士。専門は近世教育・社会史、アウトロー研究。著書に、『日本民衆教育史研究』(未来社)、『国定忠治の時代』(ちくま文庫)、『江戸の教育力』(ちくま新書)、『江戸の訴訟』『清水次郎長』『一茶の相続争い』(岩波新書)、『清水次郎長と幕末維新』(岩波書店)、他多数。

「2020年 『江戸のコレラ騒動』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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