- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480064196
作品紹介・あらすじ
「社会」をどうみるか?われわれもその一員でありながら、いやそうであればこそ、社会をとらえるのは実はとても難しい。社会学は、一見わかりやすそうで意外に手ごわい。ただし、良質な入門書、面白い解説書に導かれれば、見慣れたものの意味がめくるめく変容し、知的興奮を覚えるようになるはず。本書では、著者自身が面白く読んだ書30冊を厳選。社会学の虜になることうけあいの、最良のブックガイド。
感想・レビュー・書評
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ちくま新書の『○○学の名著30』シリーズの社会学担当は、現関西大学文学部教授、京都大学名誉教授の竹内洋。
【構成】
Ⅰ 社会学は面白い…?
1 バーガー『社会学への招待』-人生は一場の戯れにしても
2 コリンズ『脱常識の社会学』-社会学という透視術
3 デュルケーム『自殺論』-社会の発見あるいは社会学の発見
4 ジンメル『社会学』-社会の幾何学
Ⅱ 近代への道筋
5 マルクス/エンゲルス『共産党宣言』-闘争モデルの原型
6 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』-近代資本主義と宗教
7 エリアス『文明化の過程』-痰壺が消えた
8 ハーバーマス『公共性の構造転換』-コーヒーハウスからインターネットへ
9 フーコー『監獄の誕生』
Ⅲ 大衆社会・消費社会・メディア社会
10 オルテガ『大衆の反逆』-専門家こそ大衆
11 リースマン『孤独な群衆』-羅針盤とレーダー
12 マクルーハン『メディア論』-メディアはメッセージである
13 ボードリヤール『消費社会の神話と構造』-どこまでも透明なネオ・リアリティ
Ⅳ イデオロギー・文化・社会意識
14 マンハイム『保守主義的志向』-保守主義は新思想
15 アンダーソン『想像の共同体』-ナショナリズムの誕生と伝播
16 ブルデュー『ディスタンクシオン』-中間階級文化の哀しさ
17 作田『価値の社会学』-「はにかみ」という美しい文化
18 姫岡『家族社会学論集』-義理と人情の相克
Ⅴ 行為と意味
19 ゴッフマン『行為と演技』-うけを狙う
20 ガーフィンケル『エスノメソドロジー』-日常知のほうへ
21 バーガー/ルックマン『日常世界の構成』-機能ではなく意味
22 ウィリス『ハマータウンの野郎ども』-反抗が荷担に、服従が拒否に
Ⅵ 現代社会との格闘
23 イリッチ『脱学校の社会』-想像力の学校化
24 上野『家父長制と資本制』-二重の女性支配
25 ギデンズ『近代とはいかなる時代か?』-巨大かつ複雑なシステムの疾走
26 ホックシールド『管理される心』-われらみな感情労働者
27 パットナム『孤独なボウリング』-情けは人の為ならず
28 ベック『危険社会』-グローバル・クライシス
Ⅶ 学問の社会学
29 中山『歴史としての学問』-学問・大学・文明
30 ブルデュー/ヴァカン『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』-学者的誤謬推論を撃て
どの解説も非常に簡明であり、難解でとっつきにくそうな社会学のイメージを和らげてくれる。ウェーバー、オルテガ、マンハイム、ブルデューあたりは機会があれば挑戦していみたいと思わせられるほどであり、質の高いガイドブックだと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
竹内洋(1942年~)氏は、京大教育学部卒、京大大学院教育学研究科博士後期課程単位取得満期退学、関西大学社会学部教授、京大教育学部・大学院教授、同研究科・学部長、関西大学人間健康学初代部長等を経て、関西大学東京センター長、京大名誉教授、関西大学名誉教授。そのほか、日本教育社会学会会長、日本学術振興会特別研究委員等審査委員会委員などを歴任。
本書は、社会学の古今東西の古典・名著から厳選された30冊について、そのエッセンスをそれぞれ6~8ページ程度で紹介したものである。
収録されているのは、ピーター・バーガー『社会学への招待』、エミール・デュルケーム『自殺論』、ゲオルグ・ジンメル『社会学』、マルクス/エンゲルス『共産党宣言』、マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』、ミシェル・フーコー『監獄の誕生』、オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』、マーシャル・マクルーハン『メディア論』、ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』、イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』、上野千鶴子『家父長制と資本制』、ウルリヒ・ベック『危険社会』等。
私は、ちくま新書版の『政治学の名著30』(佐々木毅)、『経済学の名著30』(松原隆一郎)に続いて、本書を手にしたが、本書の特徴は圧倒的な読み易さであった。著者は「はじめに」で、自らの経験を踏まえて、「世の学者たちは、解説書はいけない、原書(翻訳を含めて)を読みなさいという、原理主義ならぬ原書主義をとなえる人が多い。・・・しかし、多くの人にとっては、いきなり原書は障害物が多すぎる。だとしたら、解説書や入門書で軽いトレーニングをつんでから、原書にすすむというのが順当であるとおもう。」と語っているのだが、読み易さ、面白さを意識して本書を書いたことがよくわかる。(例えば、ボードリヤール『消費社会の神話と構造』は、田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』を引用して解説している!)
社会学は、政治学や経済学のように輪郭がはっきりしておらず、わかりにくい学問分野というイメージがあるが、逆の見方をすれば、「個人と社会の関わり」についての全てが対象となり、その関わり方が複雑化する現代においては、スコープは拡大することはあっても縮小することはないだろう。本書はその面白さを味わわせてくれる一冊と言える。
(2022年1月了) -
以前読んだ「社会学の名著50冊が一冊でざっと学べる」より、丁寧な解説がなされ、ぼんやりしていた部分が、すこし明確になった。丁寧な解説書であるにもかかわらず、まだまだわからないところが多く、斜め読みするにも時間がかかってしまったので、何度も繰り返し同じような本に触れていたいと思った。
P.16 ピーター・バーガー『社会学への招待』
社会学的好奇心はうわさ好き、ゴシップ好きと同じであるといっているのである。といってもシャーデンフロイデ(他人の不幸は蜜の味)を動機としたゴシップ・うわさ好みのことをいっているわけではない。公式的見解や状名の背景にある構造が見通され、「ものごとはみかけどおりではない」として現実感が一変する知的好奇心である、という。社会学は遠い国の奇妙な習俗を発見する文化人類学者のような、全く見知らぬものに出会う時の興奮ではない。
P.24 ランドル・コリンズ『脱常識の社会学』
一見すると合理的計算にもとづいているとおもわれることも、すこし考えてみれば、そうとはいえない。たとえば節約である。節約するなら車や家などの大きな買い物の時すべきであろう。ところがたいていはそんな着物の時よりもスーパーマーケットで缶詰を買う時のほうが値段の1セント、2セント程度の差を仔細に調べて節約を実行する。そうなってしまうのはなぜか。大きな買い物は時たまであり、小さな買い物はほぼ毎日している。だkら、時たまの高価なものの買い物の場合よりも、小さな買い物の時節約に気を配る方が「上手な買い物をしている」と感じる機会がはるかに多くなるからである。計算することは良いことだという「象徴的」計算である。ここにも合理的行為とみられる背後に実は「計算」ではなく、非合理的「感情」があることがわかる。
P.31 エミール・デュルケーム 『自殺論』
近代社会における欲望の病は、欲望を充足できない焦慮ではない。充足したと思った瞬間、欲望はさらに彼方に遠退く。欲望が逃げ水のように無限に進行する病である。あといくら給料が上がったら満足しますか、と問われて三割ほどという人が、初期の願望が実現すれば、またあと三割増を、と繰り返すのである。
P.39 ゲオルク・ジンメル 『社会学』
集団の成員数という、内容から最も遠い数量(形式)が集団の内容と深い関係にあるとされる。かくて、キリスト教が国家的規模に広がったときに、原始的なキリスト教集団とは異なって、他の大集団の内容に近接していった。集団の成員数という形式による集団の内容の変質は労働組合が少数(による)組合であるときと、大きな組合になるときに、誓約集団から単なる同町圧力集団の一つのように変化することを想起すればよいだろう。
P.55 マックス・ウェーバー 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
この本を読んだのは、大学に入学して半年ほどたった時、古典だから読まなければならないと思った程度で文庫本を紐解き始めたのだが、すぐに引き込まれていった。というのは…この年、開発途上国に出向していたいとこが一時帰国した。そこで彼が私に言ったことは、任地の開発途上国の労働者が、日本人と違っていかに働かないかであった。給与や昇進などの誘因を与えても、あまり働こうとしないということだった。働けばお金も地位も入ってくるはずなのに、どうしてなのだろう、やはり開発途上国の人々は、先天的に怠惰なのだろうか、と私にも疑問が残った。本書を読むにつれのどに刺さった小骨が取れていくような気がし、引き込まれたのである。
ウェーバーは、近代資本主義が遭遇しなければならなかった頑固な障壁として「伝統主義的な生活態度」をあげている。労働の集約度を高めるために企図された出来高賃金は、その意図に反して労働の増大ではなく、減少を結果した場合が多かったこと、つまり「報酬の多いことよりも、労働の少ないことのほうが彼を動かす刺激だったのだ」、「人は『生まれながらに』できるだけ多くの貨幣を多く得ようと願うものではなくて、むしろ簡素に生活する、つまり、習慣としてきた生活をつづけ、それに必要なものを手に入れることだけを願うに過ぎない」というくだりは、先の疑問があっただけに、すとんと腑に落ちた。勤勉でないほうが、むしろ自然で、われわれが自明死している勤勉は、ある種のウィルスに精神が感染しないとおからない代物ではないかと思えてきたのである。
ウェーバーはプロテスタンティズムのなかでも特にヴィニズムの予定説に着目する。予定説とは人の救済と断罪はこの世の全校や悔い改めなどとは一切関係なく、あらかじめ神によってきめられているというものである。しかし、神は絶対であるから、人々は神に選ばれているか、呪われているかを知ることはできない。信徒は絶対不安に陥る。疑惑を拭い去り、自らを選ばれたものとみなさなければならない。そういう自己確信に到達するために職業への献身が奨励された。神はこの世の職業への献身を説いているのだから、職業において成功することは、神の嘉するところであり、不安を鎮め救いの自己確信を高めるほかない。
P.63 ノルベルト・エアリス 『文明化の過程』
文明化は、洟のかみかた、排せつの仕方、食事の作法の変遷にも見ることができる。しかし、この変遷は、必ずしも衛生観念の浸透によって起こったとはいいがたい。礼儀作法所には、「他人がいるところでは」とか、「他人が考えるかもしれないから」という言葉が頻出することができるように、他人の塩飽に注意を払うことが、文明化の原動力になっているのだ、とエアリスは言う。
P.70 ユルゲン・ハーバーマス 『公共性の構造転換』
国家に代表される公権力の領域が輪郭をもちことで、公権力=国家の客体としての講習が生まれるが、そうであればこそ私人の領域が自覚化され、私人の糾合としての、批判する講習の誕生の契機となる。こうして、はじめにふれたコーヒー・ハウス、そしてサロンやクラブに代表される、政治的機能を持った市民的公共圏が誕生する。しかし、すぐさま政治的機能を持った市民的公共圏が誕生したわけではない。まずは「文芸的公共圏」が生まれる。
文芸的公共圏とは、文学作品をめぐっての談話による自己啓蒙と主体形成の場である。そこで確立された制度的基準は次の三つである。(1)社会的地位を度外視した対等な議論という「平等性」、(2)文学や哲学、芸術作品をめぐっての教会的・国家的権威による解釈独占権を排し、自律的かつ合理的な相互理解の中で解釈する「自律性」、(3)討論対象の入手と議論のための資格(財産・教養)があれば、すべての私人が「公衆」として参加できる「公開性」の三つである。
P.77 ミシェル・フーコー 『監獄の誕生』
いまや権力の本源は、人格ではなく、身体・表面・光・視線などの仕掛けの中に遍在する。一望監視装置は絶妙な機械仕掛けである。監視人の姿を目にすることができないが、そうであるがゆえに恒常的にみられている恐れにさらされる。こうした顔のない監視のまなざしは、自己を監視する自己を誕生させ、自発的にその強制を自分自身へ働かせる。「あらゆる物理的な対決を避け、常に前もって仕組まれる、永続的勝利」がなされる。監視者も監視され、取り締まられるのである。われわれは、このような意味で規律/訓練権力に攻囲された監禁社会に生きている。
P.129 ピエール・ブルデュー 『ディスタンシンクオン』
ブルデューの階級論は、文化資本を経済資本に代替したのではない。文化資本と経済資本のズレをも組み込んで編成されている。資本送料と資本構成人を区別して組み合わせることによってつぎのような階級社会空間が描かれる。
労働者階級と比べれば大企業経営者も大学教授も資本送料は大きいという点で同じ側に属する。しかし、大企業経営者と大学教授を比べれば大企業経営者は経済資本の比重が、大学教授は文化資本の比重が大きい。つまり、資本構成が異なっている、こうして階級の社会空間が構成される。縦軸は資本総量の多寡、横軸左は資本構成で文化資本+経済資本-、横軸右が文化資本-経済資本+という四象限空間である。大企業経営者はこの社会空間では、右上方になり、大学教授は左上方になる。自由業や上級技術者がその間に位置する。小学校教員は、資本量は中位であるが、文化資本+経済資本-であるから、社会空間で真ん中左寄りになる。小商人は真ん中右寄りになる。一般技術院や小店員は、小学校教員と小商人の間に位置する。これらより下方に位置するのが労働者や農民である。
P.137 作田啓一 『価値の社会学』
「Ⅷ 端と羞恥」では、罪は個人の内部にある規則原理で、端は個人の外側にある規制原理であるというルーズ・ベネディクト(文化人類学者)の「恥の文化」論(『菊と刀』)を「羞恥」(恥じらい)に着目することで再構成する。ベネディクトの言う「恥」は所属集団を準拠にしての優劣感情(公恥)によるものだが、「羞恥」は、所属集団を越えた準拠集団などの視点から生じる恥じらい感情(私恥)である。「羞恥」という恥の変化型を組み入れることで、「罪の文化」と「恥の文化」という単純なに分割法ではなく、罪と恥の中間に「羞恥」が位置付けられる。
P.154 アーヴィング・ゴッフマン 『行為と演技』
私の経験にこういうのがある。20数名が集まった小さな学会の研究発表の時のことである。発表は、ハーヴぇイ・サックスの会話分析についてだった。発表者は「サックスの会話分析」というべきところを「セックスの会話分析」といってしまった。私は、篤実な学者である発表者の言い間違えがおかしかった。が、出席者のうちだれも私のように笑う人はいなかった。オーディエンスのあいだにも何事もなかったような雰囲気(察しよい無関心)が支配した。
言い間違えという不運なパフォーマンスによって生じる狼狽や困惑という「一種のアノミー」が「察しのよい無関心」というオーディエンスによって回避されたのである。「無関心」によって「学会の研究発表の場」という相互行為秩序が守られたのである。
人々の集まりのなかでは、自己利益や利他のためのパフォーマンス以上に、集まりという相互行為の秩序(状況の定義)の維持が肝心となる。相互行為という圏域が、独立の圏域をなしていて、その秩序維持が黙契になっていることを明らかにしたのだが、本書の独自性である。事実を隠したり、控えたりすることで状況の安定性を維持する共謀の積み重ねによって状況が存立しているのである。
P.161 ハロルド・ガーフィンケルほか 『エスノメソドロジー』
エスノメソドロジーとは社会のメンバーが持つ、日常的な出来事やメンバー自身の組織的な企図をめぐる知識の体系的な研究だ。
客観主義(実証主義)のように出来事を外側からアプローチするのではない。あくまで参加者の認知や意味づけが場面の中でどうつくられていくかについて、場面を構成している人々の側からアプローチする学だというのである。
P.170 ピーター・バーガー、トーマス・ルックマン 『日常世界の構成』
機能主義とは、社会をシステムとしてとらえ、社会的行為が構造の維持と安定にどのように作用しているかの過程を明らかにするアプローチである。
機能主義は、古い制度や非合理的制度と思われるものが実は社会構造の維持や安定への機能を果たしているから、そうした制度は必要であるという現状肯定理論になりがちである。また、機能主義的成層論がそうであるように、人々の行為をもっぱら計算ずくの目的合理的な視点から見るきらいがある。アメリカでは1960年代に、日本では70年代年に機能主義についてのそういう懐疑が広がり始めていた。そんなときに本書が現れた。
P.178 ポール・ウィリス 『ハマータウンの野郎ども』
ひとつは、周りの生徒がゆすって起こすことを当然とした教師である。もう一つのタイプはゆすって起こすことを制した教師である。ゆすって起こすことを当然とした教師は、年齢が若く新制大学の教育学部を卒業した教師に多かった。ゆす手起こすことを止めた教師は、旧制の専門学校などを出て地元で家業などをしていたが、戦後の混乱と教師不足で代用教師として集められた、にわか教師が多かった。そもそも党の生徒はどう思っているのだろうか。そんな疑問に激しい答えを示しているのが本書である。
野郎どもはメリトラクティックな価値、つまり、能力・業績による社会的地位の獲得の価値を何ら内面化してはいない。学校や教師に反抗し、下級ホワイトカラー職などの非筋肉労働職への上昇移動など考えもしない。むしろ逞しさ信仰によってこうした精神労働を「女々しい」ものとみなし、自ら積極的に過酷な肉体労働を引き受けていく。ところがこうした犯行文化が「底辺」労働を引き受け、かえって社会的再生産をもたらしてしまうのである。
P.188 イヴァン・イリッチ 『脱学校の社会』
宗教と教会の同一視と同じように教育と学校の同一視が起こり、「学び」を「(学校)教育」に、「世話」を「治療」に、「安全」を「警察の保護」に取り違えることが起こるようになる。その結果、制度の整備と拡充こそがケアであるとされ、秦の学習、健康、安全への配慮が喪失していくというのである。学校によって人々は、経済成長を指向する消費社会への入会準備を受ける。医療や教育、交通などの専門職を何の疑問もなく、唯々諾々と受け取り、専門サービス社会の受益者への準備が行われるのである。これが学校された社会である。教育だけでなく、社会全体が学校化されている。
P.212 アーリー・ホックシールド 『管理される心』
かつては、「肉体」労働が一般的だったが、サービス産業の拡大によっていまや「感情」労働が一般的になっている。感情が商品化され、感情管理に基づく行為が労働として売られる。感情捜査に巧みな労働者は(感情)市場での価値が高くなる。
感情労働は演技を伴うが、「表層演技」と「深層演技」に分けられる。表層演技は魂ごとではなく、眉を吊り上げたり、口を硬く閉じたり、筋肉を使って怒りや悲しみを表すものである。それに対して、深層演技は、モスクワ芸術座創設者で、かつ演出指導で有名なスタニスラフスキーの編み出した演技法である。悲しみの場面では、過去に自分に怒った悲しい出来事を思い出すことによって(悲しみの)感情を呼び起こす演技法、つまり感情記憶を総動員することによる感情喚起である。客室をあたかも自分の家のように思ったり、手に負えない乗客は、心に傷を負っている昔のあの人だと思って、何を言われてもひたすら優しく接する迫真の演技が深層演技である。
中流階級は感情労働に携わることが多いから、大人は子供を小さな感情労働者として躾けるようになる。子どもは自らの感情を感情規則に沿って形作っていくことが求められる。新しいカーペットにインクをこぼした子供はカーペットを台無しにしたことよりも、癇癪によってそうしてしまったことが咎められる。
P.219 ロバート・D・パットナム 『孤独なボウリング』
そもそも今の社会を格差社会としてだけとらえることで良いのだろうか。今の格差を何パーセントか軽減したからといって、人々の不満が何パーセントか軽減するだろうか。格差をいくらか軽減したところで、相変わらず格差社会の不満が言いつのられるであろう。格差「感」社会は、別の何かの表れなのである。そう、今の日本は、格差社会としてよりも「不信社会」ととらえるべきではなかろうか。
本書はこうした信頼を「社会関係資本」として概念化し、信頼社会論を展開している。社会関係資本とは、社会的ネットワークとそこから生じる互報性(情けは人の為ならず)と信頼性の規範である。
格差社会是正の手立ては所得再分配などの経済問題だけにとどまらない。社会関係資本を豊かにすることがセイフティー・ネットになることが示唆されている。社会関係資本に飛んだ生活をしている人はトラウマにも上手に対応できる。睡眠剤やビタミンCだけに頼るのではなく、悩みを相談できる相手がいるからである。地域社会に絆があれば、安全性も高まるからである。
題名は、全米でボウリング人口は増加しているのに、リーグボールが減ってきたことから、社会関係資本衰弱を象徴する日地上減少としてつけられている。日本社会ように言い直すとしたら、「孤独なカラオケ(=一人カラオケ)」だろうか…。
P.241 ピエール・ブルデュー/ロック・ヴァカン 『リフレクシヴ・ソシオロジ-』
ブルデューは、アルジェリアをフィールドとする人類学研究から始まり、やがてフランスの教育制度や高等教育を研究し、『再生産』や『ホモ・アカデミクス』などをまとめるにいたった。しかし、それは単なる研究対象の転換ではない。教育制度こそは、何が知ることができるか、何が知られるに値するものなのか、知るにはどのような手続きが正当なものかを定義する装置である。学問流儀や社会のまなざしそのものを問題視するならば、学者流儀の認識を押し付ける学問生産の場や教育そのものを対象にしなければならなかったからである。 -
・とっかかりをつかみがたい社会学を驚きを伴う「おもしろさ」の観点から重要な諸理論・図書を案内してくれる。類書とあわせて読むと各理論の概略把握が進む。
・コンパクトなので、ちょっとした時間に見返せば「思い出し」に活用できる。
・紹介される全30書につけられた副題がいいなあと思って。これだけでもどういうことを考えようとしているのが社会学か?の輪郭が見えてくるような気がする。さてどの本のことか?
・人生は一場の戯れにしても
・社会学という透視術
・社会の発見あるいは社会学の発見
・社会の幾何学
・闘争モデルの原型
・近代資本主義と宗教
・コーヒー・ハウスからインターネットへ
・顔の見えない監視
・専門家こそ大衆
・羅針盤とレーダー
・メディアはメッセージである
・どこまでも透明なネオ・リアリティ
・保守主義は新思想
・ナショナリズムの誕生と伝播
・中間階級文化の哀しさ
・「はにかみ」という美しい文化
・義理と人情の相克
・うけを狙う
・日常知のほうへ
・機能ではなく意味
・反抗が加担に、服従が拒否に
・想像力の学校化
・二重の女性支配
・巨大かつ複雑なシステム疾走
・われらみな感情労働者
・情けは人の為ならず
・グローバル・クライシス
・学問・大学・文明
・学者的誤謬推論を撃て -
非常に面白かった。"知っている"はずの事を別の視点から見て別のもののように映った時の知的興奮。それがあるから科学はやめられない、止まらない。
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社会学の名著を30本、かなり分かりやすい解説の仕方で、ピックアップしてもらってる。
社会学とは何か、漠然とでも分かる。
これをスタートに社会学に踏み込んでいくといい。学生時代に何で出会わなかったのか……。
すごーく端的にいうと、「社会」の仕組みが何なのか、それを明らかにしていく。人間の営みとは何なのか、今自分たちの社会で当たり前とされている営みが、そもそも何出来上がってるのか、当たり前とされてるけど、これってそもそも何なんだ、という視点を提供している。
個人的に深く読みたいと思ったのが、ディスタンクシオン、感情労働、ギテンズ。
これもすっごく世俗的な意見になっちゃってるけど、所謂「親ガチャ」も、文化資本と経済資本の多寡によって、今後の人生決まってくよね、みたいなことじゃないか??
感情労働も面白かった。よくよく考えると、相手の感情を害さないように自分の感情をコントロールして当たり前のように仕事してるけど、それってめちゃくちゃ不思議な営みだよね。という。そう出来るように育てられてきて、実践してるけど、社会的人間ならではの営みだし、それが出来ないと、おかしい人扱いされる。感情のコントロールで言うと、SNSとかもそうですね。
ギデンズも面白かった。あまりにも複雑化した社会である故に、突如としてその綻びが現れてコントロールできなくなる社会。感染症とかの危険は勿論だけど、それに伴って明らかに社会に綻びが生じていたな、と。通勤電車の混雑の問題視やら、ライブとか飲食の規制とそれに伴ういざこざ、SNSでの炎上とかデマ拡散とか、いまの社会だからこそ、そこに綻びが生じてしまうのねと。
ただ、これを読んだとても社会学おもしれー、理解したと思ってしまうのは禁物だろう。原著読んだら挫折するんだろうな〜。 -
3.3
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「社会学」、「社会学の基礎」、「社会学概論」
木村光太郎先生 参考図書
電子ブック(LibrariE)
https://web.d-library.jp/shobi_u/g0102/libcontentsinfo/?cid=JD202112300981
※ログインの利用者IDは学籍番号、教職員はFから始まる8桁の番号です。
PWはメディアセンターからのメールをご覧ください。 -
ほとんど知らない著者と署名が並んでいる。どれも著者の観点から名著ということになっているが、フーコー『監獄の誕生』あたりの有名どころは別として、あまり聞きなれない著者が多数を占める。そのため名著30シリーズ中でいちばん期待が大きかった一冊。
世間的には社会学というのはいまいち評判がよくないと感じている。仕事上でも、新卒者に「大学では何を?」と質問すると、申し訳なさそうに「社会学で。。」と返ってくるというやりとりはけっこう多い。
本書でいちばん印象に残ったのは、ガーフィンケル『エスノメソドロジー』。これまで聞いたこともなかったが、主観・客観とはどういうことか、という問題に社会学を足場にして論じるのはおもしろい。本書に限らずだが、紹介されている入門書を一通り読んでみたくなったし、社会学とは「ウェーバーを中心にした学問」というぼんやりとした(誤った)認識を正すことが少しできたような気がする。 -
"社会学に興味を持ったときに購入した本。
気になった本は以下。
・社会学への招待
・自殺論
・家族社会学論集
" -
思考のフレームや方法について、大いに参考になった。用語の定義に関する説明が不足しているように感じられたが、既読の本については内容の紹介は適切、その他の本も適切であろうと感じられた。それにしても社会学はその性質から現状分析に終始し、さらに日本では輸入されたフレームの当てはめに過ぎないため、学問としては些か退屈なものである感が否めないと思った。
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『大衆の反逆』が社会学の書籍として紹介されている事に今更ながら驚く。これは正しいのか?
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三葛館新書 361||TA
和医大図書館ではココ→http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=51434 -
社会学の扉を叩くときには最初に読みたい本。
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S361-チク-718 200039428
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社会学の名著をその背景知識とともに紹介している。
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ウェーバーの他にも、デュルケム、ジンメル、マクルーハン、マンハイム、ハーバーマス、オルテガなど、学生時代から名前だけ目にしてきた思想家たちの系譜が懐かしく感じられます。このような入門書を読むだけでも、社会学の大枠を体感できるような気がします。作田啓一、上野千鶴子など、私にとっては同時代を京都で過ごした懐かしい名前でもあります。
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むずかしい。
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社会学者である竹内洋の著作。社会学の概観を知りたくて読み始めた。
社会学の名著といわれる30作を紹介している。社会学の歴史の変遷もさることながら、ヨーロッパの思想潮流にも触れることができた。19世紀、コントによって始まった社会学はデュルケーム、ウェーバー、ジンメルなどの社会学者により理論化された。そして第二次大戦後にアメリカに渡った社会学は隣接する社会心理学や経済学、人類学などの影響を受け新たな展開を迎えた。その後社会学を総合的に形式化する試みが社会システム理論としてパーソンズによって発表された。社会学の歴史変遷を短いが分かりやすく説明してあり、その他にもメディアやジェンダー、エスノメソドロジーというように多くの題材も紹介している。
社会学の概観を知りたいという当初の目的は達成されたように思う。機会があれば紹介されている本を読んでいきたい。 -
ちょうど社会学の古典を読みたいと思っていたのでこの本で勧められたものを中心に読むことにする。
-
社会学の名著30冊について、竹内が解説する。
教育社会学では京都大学系筆頭にあげられるだろう著者が、社会学の名著と呼ばれる本の中で面白いもの、著者が興味を持つものについて挙げ、それぞれ7-10ページほどの紹介をする。
引用は必ず2カ所は入っており、内容が分かりやすくなっている。原著を読んでいなくても、読める内容となっていた。
原著を読んでいれば、うまくまとまっていることに気づき、読んでいなければ本の紹介をしているのだと忘れるほどに興味深い記述がならぶ。後から、名著の紹介だったと気づくだろう。そして、その内容についてあまり覚えていないことに気づく。それが竹内氏の考えだと思ってしまうほどに読み下されているからだろう。 -
[ 内容 ]
「社会」をどうみるか?
われわれもその一員でありながら、いやそうであればこそ、社会をとらえるのは実はとても難しい。
社会学は、一見わかりやすそうで意外に手ごわい。
ただし、良質な入門書、面白い解説書に導かれれば、見慣れたものの意味がめくるめく変容し、知的興奮を覚えるようになるはず。
本書では、著者自身が面白く読んだ書30冊を厳選。
社会学の虜になることうけあいの、最良のブックガイド。
[ 目次 ]
1 社会学は面白い…?
2 近代への道筋
3 大衆社会・消費社会・メディア社会
4 イデオロギー・文化・社会意識
5 行為と意味
6 現代社会との格闘
7 学問の社会学
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
すごく分かりやすく社会学案内をしていると思う。
ちょこっとだけ無駄話もあるけど。
有名どころを幅広く網羅しているんだけども、「名著30なのに○○は入っていて○○がいないのかよ」と思う部分も。けど、あくまで“作者が選んだ”名著30ということでご愛嬌。
社会学入門として十分勧められるレベルだと思います。 -
大学1回生のころに読んでおきたかった本
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おもしろー。
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社会学を学ぶにあたって、知っておかなければならない本・知識が集約されています。
それゆえに、非常に役に立つ!けど、まとめたりするのにすごく時間がかかった・・・。
ところどころは難しいけど、基本的に分かりやすい解説書だと思う。
1冊、1冊がだいたい2ページくらいにまとめられているし、どんな内容なのか網羅することができる。
社会学を学ぶ人だけではなく、教養としておすすめだなー -
これは便利。それに尽きる。
●【プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神/マックス・ウェーバー】
・近代資本主義が遭遇した壁=伝統主義的な生活態度
出来高賃金は労働を減少させる。人は多くの貨幣を得ることではなく、簡素に生活することを望む。
そこで、自己確信に到達する手段としての職業の言説を広めた。人の救済と断罪は、あらかじめ神によて決められているという予定説がプロテスタントのカルヴィニズムにあった。信徒は自らがどちらであるかがわからないから不安に陥る。そこで、職業において成功することは、神の求めることだとした。
そしてウェーバーは近代資本主義の結末を次のように言う。
『近代資本主義が成熟するにより、宗教倫理の必要がなくなり、ひたすら働かないと生きていけない鉄の外枠になる。精神ワーカーホリック人間や営利人間をスポーツのように純粋競争としておこなうゲーム人間などの末人の蔓延を予測した』
●【文明化の過程/ノルベルト・エリアス】
・野蛮な風習は長い時間をかけてゆっくりと駆逐されたに違いない。その過程が『文明化』。礼儀や行儀作法に代表される人間の感情や行動への自己抑制が強化され、細分化され、羞恥心や不快感情の範囲が拡大する。
『文明化』は、『他人の思惑への配慮』によって発生した。
それは人がトータルマンから、機能分担動物になったから。生活の維持のためには、気を遣い、長期的な視野を持ち、行動を厳しく規制し、情感を抑制しなければならない。
そして、『他者への配慮』は、『外的強制』から『自己抑制』という内的強制となり、心の状態が変革される。『超自我』という『衝動監視機関』が内面に君臨し、それに違反したら、罪や羞恥を感じることになる。意識的な自己抑制から、無意識的な制御になる。こうして、激しい情感を押しやる舞台裏、つまり無意識がつくられていく。かくて、不安の内容も大いに違ってくる、かつて不安は外部の力に対するものだったが、自己抑制によって、他人との直線の戦いの中で解消されていた緊張や激情が、いまでは押し殺されなめればいけなくなったことにより、不安の戦場は、個人の心の中へ移される。他人の不快に触れたにではないか、という自己抑制の不足に対する不安や抑制された衝動と超自我との葛藤から生じる不安がこれである。
●【ハマータウンの野郎ども/ポール・ウィリス】
落ちこぼれ(野郎共)は、積極的にそれを選択している。野郎共は、かれらなりの学校社会の読み取りを行い、学校社会を自分たち流儀で読み換える。それは次のようなものだ。
『学校とは教師の手元に貯蔵された知識を、尊敬と従順のみかえりに少しづつ受け取る空間である。そのために、今の貴重な時間を犠牲にしてしまうことだ。そうして犠牲の上で、成績優秀や資格が与えられる。しかし、優秀な成績や資格によって与えられる事務員仕事は、野郎どもからすれば、女々しい仕事である。』
●【脱学校の社会/イヴァン・イリッチ】
学校生活のなかでは多くの暗黙の学習がなされる。それは隠れたカリキュラム。
学校を通して価値を受け入れるようになると、想像力が学校化する。学校で教授されることが教育だとみなすようになる。学校による支配は卒業と共に終わるわけではない。社会編成も想像力も学校化されているんだから。
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教育社会学の分野でいくつも興味深い本を書いている京大名誉教授。
著者自身が面白いと思ったものを選んだという。私自身は既にこの中の半分強の本を読んでいるが、未読のものも多くは「読んでみたい」と思わせてくれるものだった。社会学の読書案内として、大いに役立つ。
ちなみにこれから読みたいものは、「脱常識の社会学」「公共性の構造転換」「保守主義的思考」「ハマータウンの野郎ども」「孤独なボウリング」「危険社会」「歴史としての学問」「リフレクシヴ・ソシオロジー」。
Amazonのリスト
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不満を言えば、書かれていることのレベルが高すぎるというか抽象度が高すぎて、その本の面白さや社会学史における価値が伝わってこない面が少なくなかったこと。まあこれは、私が社会学から離れていた期間の長さのせいかもしれないが。
ここで紹介された本を実際に読んで、この本の案内に戻ってくるのがいいかもしれない。文庫分の巻末解説みたいなつもりで。