- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480064257
作品紹介・あらすじ
レールのない時代である現代をサバイバルするには、一生学びつづけることが必要だ。では、自分の志向性に合った学びの場をどこに見つけていったらいいのか?本書は、志ある若者が集った幕末維新期の「私塾」を手がかりに、人を育て、伸ばしていくにはどうしたらいいのかを徹底討論する。過去の偉大な人への「私淑」を可能にするものとして、「本」の役割をとらえなおし、「ブログ空間」を、時空を超えて集うことのできる現代の私塾と位置づける。ウェブ技術を駆使した、数万人が共に学べる近未来の私塾にも言及し、新しい学びの可能性を提示する。
感想・レビュー・書評
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思索
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なるほど、と思った点を、引用&要約します。
梅田「好きなことを貫く」というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」という牧歌的な話じゃなくって、競争環境の中で、自分の志向性に意識的にならないと、サバイバルできないのではないか?
やるべきことのために、やらないことを決めるというような話題の中で・・・
齋藤 司法試験浪人している友達がいるのですが、彼が「いろんな用事があって、勉強に集中できない」と言うから、僕は「この世に用事なんて一つもないよ。用事があるなんて言っているのは、まだ司法試験に本気じゃないからだ。・・・」とアドバイスした。
プロローグは齋藤、エピローグは梅田が分担しており、同じ結論を述べている。もう一度、反芻して読んでみようと思う。 -
ひとまず読了
もう少し読み込みたいな.... -
現代社会においていかに生きるかを考えることは、明治維新の時代にいかに生きるかということに似ている。明治維新を起こす原動力にもなったと言える私塾を現代でもネットを使って再現できるのではないか?という提言。
自分なりの発言媒体を各個人が持てることにより、今までの社会ではあり得なかった密度の空間を作ることができるかもしれない。 -
2008年。
学ぶ姿勢、考え方を学ぶために。
というよりは人生とは、生き方とは仕事とは?
職業とは?、を、考える上で自分とはの大きなヒントを与えてくれた。
同時に考えるきっかけを、与えてくれた。
っと感想書いているが。。。 -
齋藤孝先生と梅田望夫氏の対談です。江戸末期や明治時代に起きた私塾文化について両者の見解などが述べられています。本書のタイトルほど私塾については言及されておらず、やや散文的な印象です。
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* 齋藤孝と梅田望夫による対談形式
* Webによって私塾の可能性が広がっている。 -
何かの学校に通って学ぶというのは、とても受身な姿勢だということに気づかされました。
効率はいいかもしれませんが、求めるものやその性質が異なるのではないかと考えさせられました。 -
●幕末の緒方洪庵の適塾と吉田松陰の松下村塾・・・この2つの塾からは、明治の日本を支えた人物が育っています。単なる知識ではない。師のあふれる「学びへの情熱」が塾生たちの心を熱くしていた。私にとっては「私塾」とは、塾という現実の空間や組織というよりも、概念です。師弟関係、熟成同士の関係を「私塾的関係性」を呼ぶとすると、この関係性は現代においては、もっと広がりをもって捉えることができる。少人数の、直接同じ空間を共有する関係だけでなく、インターネット空間でも「私塾的関係性」は成立し得る。
●「形にならない思い」のようなものを育てていくことはとても大事。今は形にならないけれど、やがて形をもって現実化していくという、もやもやっとした感触をもっている人たちもいると思います。そうした「もやもや感」が育っていって、それによりパッションが大きくなれば、やがて「デザインする力」に変換できます。
●ネットの中で「あこがれのベクトル」をみつける
自分の志向性と合った人がウェブではたくさんみつかる可能性が高い。インターネットがわれわれの能力の増幅器。蒸気機関や自動車が人間の筋肉の能力を増強したように、ネットが脳とか人間関係を増幅する。距離と時間と無限性の概念をゆるがしているわけです。リアルの限定されたコミュニティだけにとらわれず、未知との遭遇のありようががらりと変わってくると、いろいろな可能性が出てきます。リアルの組織を超えたところにできる志向性を同じくする人の集まりを、明治維新前後の私塾のイメージでとらえると、新しい発想が生まれるのではないかと思うんです。
●「空気」をつくるのがリーダーの役目
大人の情熱ある人が方向性を自ら体現してそれを維持する、そうすると、そこに集まる人の集団が、チームとしての「空気」を共有するようになる。たとえば、非常にレベルの低い誹謗中傷などは言いにくい「空気」というのがありますよね。そういう良い「空気」をつくるのが、リーダーの役割なんですよね。リーダーがしっかりしていれば、そういう良い空間がネットの上でもつくれる。
●「心で読む読書」、心の糧になる言葉をもつ
本を読んでいても雑誌を読んでいても、「自分のために書かれたような言葉」だというふうに思うことが多い。(=セレンディピティ感覚)。現実の人間との出会いだけでなくて、言葉と出会うということを大切にしていて、「なぜここに自分のために書かれたような言葉があるんだろう」と思える人というのは、「心で読む読書」ができる人だと思う。これだけ情報があふれていて、読むべき本も出尽くしている感じがあるなかで、「これは運命の言葉だ」のように思える人だけが、情報ではない、心の糧になる言葉をもてる人だと思うんですよね。
●イチローは試合に出る前と後と、とにかく身体のケアから道具のケアから、とても長い時間をかけている。まわりのメジャーリーグの選手に比べても、圧倒的な時間とコストをかけて準備している。ということは、シーズン中、たいていのことはほとんど断っているということ。そういう「決め事」というのは、人間の有限性に対しての自覚だと思うんですよね。最近本当に感じるのは、情報の無限性の前に自分は立っているのだなということ。圧倒的な情報を前にしている。そうすると、情報の取捨選択をしないといけない、あるいは、自分の「時間の使い方」に対して自覚的でなければならない。流されたら、本当に何もできないというのが恐怖感としてあります。何を遮断するかを決めていかないと、何も成し遂げられない。
●「時代の変化」への鈍感さ、これまでの慣習や価値観を信じる「迷いのなさ」、社会構造が大きく変化することへの想像力の欠如、「未来は創造し得る」という希望の対局にある現実前提の安定志向、昨日と今日と明日は同じだと決めつける知的怠惰と無気力と諦め、若者に対する「出る杭は打つ」的な接し方・・・これらの組み合わせがじつに強固な行動倫理となって多くの人々に定着し、現在の日本社会でまかり通る価値観を作り出している。「本気で変える意志というものをもっていない、もやーっとした感じ」、「達成が問われにくく、朦朧としているという感じ」が日本社会全体を覆ってしまっている。我々はそんな日本社会の閉塞状況に危機感を抱いている。我々はそれらと戦っている。 -
教育学者とITコンサルタントの対話。
全体にわたり対話形式でメッセージが伝わりにくいが、「おわりに」で梅田氏が、訴えを要約している。日本社会でまかり通る価値観に対する怒りや、閉塞状況による危機感を訴えているのだ。
閉塞感に危機を感じない状況と、それに対して警鐘を鳴らすという構図は続いているが、今でも前者の存在は大きいと感じる。しかし、均衡が崩れたときには、これまでの価値観にすがってきた世代は完全に時代に取り残されてしまうと感じた。 -
身体をつくること・ひたすらWEBの実現可能性を追求すること、それぞれ起点の違う熱い二人の対談。激動の今日におけるサバイバル指南に対し、頭で考えるだけでなく、読者自身が強い覚悟・意思・勇気を持って突き進んで行かなくてはならない。
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「私塾」っていうのはテーマの一つで、結局お二人の楽しい対談録、という趣ですがまぁそれはそれ。
シリコンバレーと教育の世界というまったく畑の違うと思われた2つのフィールドにいらっしゃる2人ですが、思いや志向の類似性は強いということと、何らかの形で現状を変えて行きたいというモチベーションは大きいのだと、それがありきたりの手法でないところに強みがあるのだなぁということがよくわかります。 -
誰かの紹介で読んでみました。教育・ウェブと世界は違うものの、新しいことに自分の考えを持って取り組んでいる2人の対談でおもしろく読めた感じはしました。
ちょっと決めつけすぎというか、勝手だな、、という印象を持つ場面もあったけど、まぁ自分の好きに書けるのが本の良さでもあるし、いいんじゃないかなと。笑。
「量をこなさないと質的変化が起こらない」という一節なんかは、確かにそうなんだよととっても共感した部分でした。僕も量をこなすことを大事にしてみます。 -
ギリギリまでやると、ようやく次の道への一歩が見つかる。そうでないと「たぶんやればできるだろう」と甘く見積もる。
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第2週 1/18(水)~1/24(火)
テーマ「学ぶ」こと・「働く」こと
↓貸出状況確認はこちら↓
https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00172152 -
「声に出して読みたい日本語」の斎藤孝さんと
「ウェブ進化論」の梅田望夫さんの対談が一冊の本になった感じです。
ふたりは同い年でありそれぞれ全く逆の道(教育とIT)の最先端を行くような感じですが底辺にある部分は恐ろしく似ていて「同志」と言う言葉がピッタリです
内容は
第1章 志向性の共同体
第2章 「あこがれ」と「習熟」
第3章 「ノー」と言われたくない日本人
第4章 幸福の条件
と進みますが
その前後に
はじめに――志をデザインする(齋藤孝)
コラム梅田望夫「私のロールモデル」
コラム斎藤孝「私のロールモデル」
コラム梅田望夫「私の座右の書」
コラム斎藤孝「私の座右の書」
おわりに――私塾による戦い(梅田望夫)
が挟まっているため2人の心と言葉のキャッチボールが展開されているようにも思えます。
非常に現代的な本と言えるし求めれば何でも手に入る時代に突入しているのがこの本で改めて実感します
その「何か」を求められない人には生き辛い時代にも感じられるしそれも含めて情報による格差が仕事でも何でも広がっているんだな・・・とこの最近のニュースや風潮をリアルに感じてしまいます。
この私塾と言う価値観・・・実際にブログ運営をしている人には感覚的に理解しやすいと思いますし何か自分の追及する分野を見つけたのならばこれからの時代は大学に行って専攻するのも間違いではないのだけれど
ブログをはじめネットの世界で同志を探して私塾を作り出す・・・そんな新世紀を感じます
底辺を広げる齋藤さんと上を伸ばす梅田さん逆のアプローチのようで芯の部分はお互いに共感しあえる存在。読んでいるとつくづく「似た者同士」だしこの2人に限って言えば「似た者同志」って表現が相応しいです -
かなり読んできて、
おおやはり梅田氏に共感するわ、に行き着く。
最後の最後、怒りを感じるポイントまで見事に一致するとは。 -
リーダーの役目、求められるものや組織から得られるもの、学習するときに必要なもの、ネットやブログの活用法が分かり、その考え方は非常に刺激を受けました。
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私塾うんぬんの話は少なめ。
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「私塾的空間」。この言葉に大きく共感しました。将来の自分の生き方に迷いがある若者には是非読んでいただきたい一冊です。
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2人とも活躍する分野は異なるが、考え方、生き方に共通する部分が多いと感じた。特に自分にとってのロールモデルを複数決めて、その人の生き方、スタイルを自分のために消費するという考え方が面白かった。
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★尊敬する二人の対談ということで期待が大きすぎたせいか、あまりお互いの科学反応が起きなかった点に物足りなさを感じた。二人の志向性の違いが確認された気がした。
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学び続けることの達人二人の対談だ。かたや三色ボールペン読書の斉藤孝さん、もう一方は、ウェブ世界を「犀の角のように」ひた走る梅田望夫さん。
機関銃のように本を出版しつづける斉藤さんと、インターネットと著作のインタープレイで新しい読者層を開拓する梅田さん。同じ年だという。斉藤さんの方が若干年長の印象だった。出版というメディアが中心だからの印象かもしれない。
二人に共通するのは、まなびつづけることの大切さを、次世代に伝えたいという強い思いだ。使う手法の違いはあっても、その思いは共通し、ポジティブなものの強さが伝わってくる。
彼らのロールモデルは、福沢諭吉のような明治の私塾のリーダーたちだ。
梅田さんは、こういった「志向性の共同体」をサポートするインターネットインフラの可能性を広く伝えることに使命感を感じている。
《梅田 ネットというのはいろいろ危険なこともあるから、ちゃんとガイドしてあげないといけないのですが、志をもった良き大人、ある志向性を持った大人が、自分はこういう関心をもった人間なんだよ、ということをウェブ上に立ち上げ広く示していく。科学でも、数学でも、文学でも。そういう「志向性の共同体」がネット上にたくさんできたら、子供でも、本当に自分の関心のあることをやっている大人の人たちの集まりに参加することができる。ネットでまずつながり、そしてリアルに発展していく、誰もがネット上で、志向性を同じくする若い人を集めて私塾を開くことができるというイメージです。それはウェブ時代たる現代ならではの素晴らしい可能性だと思うんです。》
斉藤孝さんは、ウェブのネガティブフィードバックを気にして、ブログはちょっと気のりがしないようだ。そんな彼に、じっくりと自分の経験を踏まえて、ネガティブなことが起こると傷つくのは事実だが、全体に比べれば、ほんの数%で、さっぴき、ポジティブなのだと説明する。このあたりの梅田さんの地道な実践性がぼくは好きだ。
《梅田 これからの時代は、新しいタイプの強さを個々人が求められていくと思うんです。その強さとは何かを突き詰めて言えば、オープンにしたままで何かをし続ける強さ。たくさんの良いことの中にまざってくる少しの、でもとても嫌なことに耐える強さです。底を乗り越えて慣れてしまえば、全く違う世界が広がる。》
斉藤さんの真骨頂は、やる気のない人には手も足もでないという梅田さんに対するこんなコメントにあらわれている。
《斉藤 端的に言うと、「あこがれ」と「習う」が二本柱だと僕は思っています。「あこがれ」というのは、これがすばらしいんだとあおられて、その気になってやってみるということ、もうひとつ、「習熟」というのは、「練習したらできた」という限定的な成功体験だととらえています。すべてにおいて成功するというのは難しいのですが、限定的な成功体験があると、「できるって面白い」と思える、それに何の意味があるかということは関係なしに限定的な成功体験によってモチベーションが上がる。》
斜にかまえたネガティブなコメントばかりが世の中にはあふれている。そんなどこかで聞いたような台詞にはあきあきだ。現実的でそんなにお節介じゃない、こんな明るいメッセージがぼくは聞きたい。最後に、梅田さんが単なる楽観主義者じゃないことを示すこんなコメントにはまったく同感だった。
《梅田 僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、そういう競争環境のなかで、自分の志向性というものに意識的にならないと、サバイバルできないのではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。》
好きこそものの上手なれが、圧倒的に増幅されるネット社会。いくらやってもあきないことじゃないとたしかに生き残れそうもない。 -
モチベーションがない人がどうしたらいいかというご質問ですね。端的に言うと、「あこがれ」と「習熟」が二本柱だと僕は思っています。「あこがれ」というのは、これがすばらしいんだとあおられて、その気になってやってもるということ。もうひとつ「習熟」というのは、「練習したらできた」という限定的な成功体験があると、「出来るって面白い」と思える。
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1960年生まれの理系、文系と少々タイプは異なるが、斉藤、梅田の両氏が、志向性の共同体として、日本の若者の新たな生き方の受け皿、つまり私塾を創っていこうと意気投合しながら話し合ったことまとめたもの。
「あこがれ」「習熟」「私淑する」「好きな仕事でないとサバイバルできない」とか、とにかく、前向きで、楽しい話し合いでした。 -
対談者二人の繰り出される考えがそれぞれに一理あり、とても納得できた。一見両極とも思える視点だが、それぞれの考える「私塾」にとても共感できた。
モチベーション喚起の原動力=憧れ(ロールモデルを見つけること)と習熟(限定的成功体験)という言葉が印象に残った。