ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)

  • 449人登録
  • 3.62評価
    • (21)
    • (56)
    • (43)
    • (8)
    • (4)
  • 67レビュー
著者 : 青砥恭
  • 筑摩書房 (2009年10月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480065117

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • どんな親の元に生まれたとしても、すべての子どもに、良質な教育を受けられる権利がある、と私は考えていて、そういう社会に少しでも近づくよう、自分ができることをしたい、と思っているけど、想像を絶する底辺の現実に気が遠くなりつつも、この悲惨な貧困の連鎖を断ち切るのは、お金じゃない、教育だ、という思いは改めて強く感じました。微力ながら知恵をしぼりたいです。

  • 『ルポ 若者ホームレス』の、その前を読んでいるようだった。毎年、10万人近い高校生が中退しているという。そして、著者は「高校を中退した若者たちの貧困の実態を伝えること」「日本社会の低層に沈んでいる若者たちの嘆き、うめき、悲しみ、なかなか聞こえてこない助けを求める声を、彼らに代わって社会に伝えること」(p.14)がこの本の役割だという。第一部は高校中退の現実を描き、第二部ではその背景を探っている。

    「中退した若者たち」の話は、読んでてきつい。「中退したら仕事がなかった」「親しい友だちがやめると、ポロポロ続けてやめていく」「夢などない」―どれが鶏でどれが卵かわからんくらい、学力の低さ、貧しさ、暴力、生活能力のなさ、大人からの期待のなさ、そういったものが絡まりあって、中退に至っている。そして、高校中退は「人生の分岐点」になってもいる。

    ▼子どもが教育から排除されれば、その後に続く人生の可能性が奪われる。貧困は子どもたちから、学ぶこと、働くこと、人とつながること、食べるなど日常生活に関することまでも、その意欲を失わせている。彼らから話を聞いていくと、ほとんどの若者たちが、経済的な貧困にとどまらず、関係性の貧困、文化創造の貧困など生きる希望を維持できない「生の貧困」に陥っている。それが親の世代から続いている。(p.185)

    中学校からの「成績なし」や、入試の面接に欠席でも、入学できる高校。中退は、こうした"底辺校"に集中している。

    私は、同期生のほとんど全員が当然のように大学へ進む高校へ通った。自分たち自身、それぞれに将来への期待や希望があったと思う。近いところでは「こんなことが勉強できる大学へ行きたい」、先のことでは「こんな仕事をしたい」というような。そして、そうした将来は努力すれば手に入るのだという雰囲気は十二分にあったし、親や先生など周りの大人からも、その方向での期待の目があったと思う。

    進学について、遠方への仕送りはとてもできないが、国公立なら大学の学費は出してやれると親からは言われた。何もかもが選べたわけではないけれど、私には「選べる」経験があったのだと思う。そのことを、ほとんど当たり前に思っていたのだと、今はわかる。

    ▼「貧しいということは何もできないことです」「何も選べないんですよ。服も子どもの教育も、何も選べないんですよ。つらいのは子どもたちに何もしてあげられないことです。(p.133)

    そう話す久子さんは、夫の暴力やギャンブルから逃れて離婚、高校生2人と小学生1人の3人の男の子を育てるシングルマザー。夫とのトラブルと厳しい生活に精神的に病むようになり、精神科に通院中、生活保護で暮らしているが、生活はぎりぎりで、最大の悩みは子どもたちの教育費。

    自分が勤めて稼ぐようになって、あらためて教育費の負担の大きさを感じるようになった。高校の授業料はいったん無償になったものの、義務教育もそれ以降の学校も、教科書などの教材費や行事の参加費、修学旅行の積立金など、お金はあれこれとかかる。大学の授業料は毎年のように上がって、国公立といえども私に子どもがいたらとても払えないような額になっている。

    私は、学校を終わるまでの途中で、授業料免除や貸与だけれど奨学金を受けることができて、こういう制度があればお金があまりなくても勉強できると思った。でも、その頼みの綱も、予算は限られていて、当たらないことも多くなっているというし、返済のことを考えると奨学金を借りるのも難しいという。私も学校を終わったとき、数百万の借金ができていた。

    教育費の私的負担の理屈は、「教育を受けた恩恵は、その個人が享受するから」という受益者負担なのだろうが、この理屈でつくられた教育の場では、そこにとどまる若者も、そこから排除されていく若者も、「共にこの社会を生きるどうし、この社会は自分たちのもの」という感覚は育てにくいやろうなと思う。

    『現代の貧困』では、貧困対策は貧困な人たちの権利を守るだけでなく、社会統合や連帯という面を持っている、と強調していた。それは、貧困と富裕、下流と上流といった社会の分裂を防ぎ、同じ社会に生きる人と人とがつながって「私たちの社会」を築いていく際の、もっとも大切な基礎となるもの。

    人間は他者と共同し、共感し、互いに励まし合う資質をもつもの、教育は「将来の社会の担い手」を育てるものだと、著者はいう。『We』173号で、李国本修慈さんは「学校をつくりたい」と話していた。「誰にも等しくある存在価値を認める文化や思想」を軸にすえたその学校構想のことを、この『高校中退』のドキュメントを読みながら思った。

  • 高校中退後の若者が社会とのつながりをなくし、貧困に陥ることに焦点を当てている。問題提起として示唆に富む書。教育と福祉が手を結ぶことの重要性を指摘している点も興味深い。単語の用法の不統一(DV、虐待の定義など)、文体の不一致等が気になったが、これは編集側の仕事か。

    近年、貧困をはじめとする子どもと家族をめぐる問題が社会的な関心を集めつつあるのは望ましいことと思う。けれども、対人援助専門職がそれぞれに「ここぞわれらの出番!」と主張して、一種の縄張り争いの様相を呈してきている感が否めない。このようなことは本末転倒で、あってはならないことと心得て、子どもや家族の困難を軽減するために、隣接領域の専門職がうまく手を取り合っていく方向性に目を向けなければならないと思う。自分の研究においても、福祉領域の固有性を、他の領域と手を組むことでより効果的に発揮できるような方法を考えていきたい。

  • ・「学ぶことは生きること」「貧しいということは選べないということ」
    ・この本を読んでいて、以前訪れた底辺校の生徒たちを思い出した。目の前にあるのは、確かに救いようがないように感じる現実かもしれない。けれど、私は、この現実に対して行動を起こせる職場を選んだ。そのことを意識して、前を向いて、何をすべきか、考え、行動していきたい。
    ・自分の両親が離婚しなかったことは、私にとって幸せなことだったのかもしれないと思う。

  • 2009年刊行。

     貧困と結び付いた高校中退者の実像を、著者の教師経験と、中退者へのリサーチを通じて描き、著者の考える中退要因論、処方箋を開示する。
     この問題に関する新書の中でもピカイチの充実の内容。殊に、中退者へのインタビュー、リサーチが秀逸。

     インタビューされた中退者が語る貧困(要因は様々)の実像は重たい。が、何より彼らが語る高校中退の重みは、実は中退者しかわからない。しかるに、この厳然たる事実を中退予備軍に理解させる困難(理解するリテラシーに欠ける場合も多い)も活写される。
     教育困難校の中で心身を擦り減らし奮闘する教員にも頭が下がる。

  • 学校にさへ落ち着いて通えない国にどれほどの未来があるのだろうか。

  • #読書開始
    ・2016/3/9
    #読了日
    ・2016/3/13
    #経緯・目的
    ・中退者の現状、実態把握の強化、中退者のインタビューもあったために購入。
    ・中退予防、中退者の削減には何が効果的かということ対策のヒントにしたい。
    #達成、感想
    ・中退と経済の関係についてが主な内容。貧困と中退には強い相関があり、貧困の解消が学力向上につながる。
    ・教育の在り方とは、進学率98%を越える高校を義務教育にすべきでは、社会政策の在り方にも提言している。
    ・大学とは勝手が違うが、底辺と呼ばれる層の理解ができ、データの示しかたを学べた。
    ・埼玉県がメインだが、実際の声を拾っているところが素晴らしい。
    #オススメ
    ・教育関係者、特に教諭にオススメ。官僚には読んでほしい。

  • 高校中退者の実態、そしてその原因の考察。高校中退という現象がいかに構造的な問題であるかが分かる。恐らくどんなに熱意をもった教師であろうとも、個々人の生徒を救うことはできてもこの問題の根本的な解決など不可能だ。そう思えるほどに高校中退は家庭環境や貧困の問題との相関性が高い。
    無論、いわゆる底辺校に対する策が必要なのは言うまでもないが、それがいわゆるエリート教育が必要でないという結論に結びつけるべきではないだろう。問題はすべての高校の問題を十把一絡げに論じようとするところにあり、こうした高校間の格差が広がっている以上、類似した高校によって異なる対応策を論じることが求められているのだと思う。例えば学力テストは上位校において学力を把握するために必要かもしれないが、教育困難校においてはむしろ読み書き計算といった徹底的な基礎能力の向上にあてるべきだ。
    本書に書いてある具体的事例はどれも事実なんだろう。が、事実としてはなかなか受け入れがたいほど私の想像を遥かに越えていたというのが率直な感想。私とて高級住宅地で育ったわけではないのだが、それだけ社会が分断されているということなのか。私のように平凡な高校生活を送ってきたと思えるような人も、本書により高校生の別の側面を見てみる必要があるだろう。なぜなら教育は社会全体に関する問題であるからだ。

  • 当たり前の生活環境にあると、その当たり前からハズれたものを「自己責任」や「努力不足」と切り捨て言い捨てる。そのくらい「当たり前」の規範と圧力は強い。しかしまさにその前提条件にある「当たり前の生活環境」という、とりわけこどもには当たり前に与えられなければならないものが、ばっさりと存在していない、ほころんでいるということに、意識を向けることがされない。ドキュメントなのでエピソードとデータがいくつか、それ以外は何もないが、まさに現実で接しようとしている生々しさ。いつの時代もこどもが生きやすい社会、これが一丁目一番地。

  •  この豊かな国で何故こんなことが起こっているのか。こういう情報は本でしか知ることができない(=身近に例がない)という事実が社会の階層断絶を物語っている。
     確かに親から相続されるものは単に金銭だけではない。ウチは子供の頃ものすごく貧乏で両親ともに中卒だったが、幸いにも努力は報いられること、希望を持つことの大切さ、高等教育進学の動機づけなどを母親から与えられた。おかげで(借金とバイト漬けで苦学はしたものの)大学院まで修了し、現在は貧乏を脱出しているが、今の生活は決して自分の努力によるものだけではないことを改めて感謝した。母親は地区トップの高校に行けるだけの成績だったが、経済的な制約で進学を断念せざるを得なかった。代々貧乏な親(祖父母)では無理をして進学させる意義は理解できないだろう。親族にも誰一人として高卒はいない。きっと子供にだけは同じ思いをさせまいとする母親の執念だったのだろうと思う。
     本書に書かれている状況は決して社会の無関心とか政治の無作為のせいではないと思う。ある特定の支配層にとって都合の良い社会なのだ。底辺層がいなければ搾取する対象が存在せず、安価な労働力を確保できない。この国は牛丼屋やコンビニで昼夜を問わず数万/月の給料で働いてくれる人材を必要としている。そういう人材には三角関数や微積分を教育する必要なんてさらさらない。この学力というモノサシを用いることでそういう境遇に陥ったのは自分の努力が足りなかったと当の本人にも納得させることができる。なんと素晴らしいシステムだろう!
    日本なんて所詮その程度の国。民主主義を自ら勝ち取った歴史を持つ欧米の国々とは根本から異なる。一億総中流などと浮かれていたのは、戦後復興のごくわずかな成長期だけだ。

全67件中 1 - 10件を表示

青砥恭の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
冲方 丁
有効な右矢印 無効な右矢印

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)を本棚に「積読」で登録しているひと

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)の作品紹介

毎年、十万人近い高校生が中退している。彼らの多くは貧しい家庭に育ち、まともに勉強する機会など与えられず、とりあえず底辺校に入学し、やめていく。アルバイトですら、高卒以上の学歴を求められる現在、高校中退者にはほとんど仕事がなく、彼らは社会の底辺で生きていくことになる。いま、貧しい家庭からさらなる貧困が再生産されているのだ。もはや「高校中退」を語らずして貧困問題を語ることはできない。

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)はこんな本です

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)のKindle版

ツイートする