ドキュメント高校中退: いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)
- 筑摩書房 (2009年10月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480065117
感想・レビュー・書評
-
高校を中退してしまう若者たちの背景には貧困や虐待があるということを説いている本。いまでは考えれば当然のような背景だけど、ちょっと無意識のままだと遠い過去に植えつけられた勝手な非行少年少女だから高校中退するんでしょ、みたいに思ってしまう自分の浅はかさを反省させられる。
この本が出たのは2009年のこと。当時としては、高校中退の背景に貧困があるという論は新しい……といっては何だな。本当はようやく焦点が当たったということだと思う。本当にこの本を読んでいると過酷な状況の子ども・若者・親たちがいる。まさに貧困の連鎖、虐待の連鎖。これをみんなその子どもたち、声を上げることを知らない・できない子どもたちの自己責任ということにして見ないふりをしていたんだな。
著者は長らく高校教員をしてきた人だけど、学校の先生たちも大変だと思う。教育の場だけで何とかできる問題じゃないもの。書中で紹介されるエピソードのなかにはひどい学校も先生もいるけれど、無力感に苛まれる教員もいることだろう。「教育は、セーフティネットという事後的な救済ではなく、若者たちが自律的な生き方ができるように支援するという意味での社会保障機能として考えるべきだろう。」(p.185)というのは一理あり。一部の見えない場所に囲い込んだままにせず、本当に社会全体で考え行動していくべき問題だよね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
先日読んだ夜間高校のルポ『若者たち』の類書といえる1冊。高校を中退していった若者たちの姿を追い、そこから日本の貧困問題を浮き彫りにしたものである。
『若者たち』に比べると、かなり評論寄り。聞き取り調査でつかんだ事実とそれをふまえた論評・分析が、おおむね半々の割合になっているのだ。
開巻劈頭の一行にいきなり「高校中退者のほとんどは日本社会の最下層で生きる若者たちである」とあり、「そこまで言い切るか」と驚く。だが、通読すればこの言葉に誇張がないことがわかる。
たとえば――。
《中退していく生徒の親の多くは子どもの退学をあまり引きとめない。私の聞き取り調査でも、多くの親から「どうせやめるなら、早くやめてほしい」という言葉がよく聞かれたのは、この「すべて公立」という最も安上がりのコースでさえ、(年収)四○○万円以下世帯の親にとっては、負担し続けることがむずかしくなっているからだ。》
《高校を中退した生徒は、小学校低学年程度の学力にとどまっていることが多く、小学二年生で学んだはずの算数の九九ができない生徒、アルファベットが書けない生徒はめずらしくない。》
「中退した若者たちの親もまた貧困の中で育ってきた。日本の貧困は特定の階層に固定化している」と著者がいうとおり、「格差社会」が流行語になるはるか以前から、日本はもうとっくに格差社会なのである。
登場する中退者の多くが「この先どうなってしまうのだろう」と不安になる暮らしぶりだが、ただ1人、居酒屋の店長として立派に働いている「哲」という若者の事例のみが、明るい希望を感じさせる。
では、「哲」はほかの中退者とどこが違ったのか? 著者は、「子どもがより良く育ってほしいと願う親と彼を支える兄たちの存在」「身近に生徒に寄り添っていこうとする教師がいたこと」の2つを要因として挙げる。
親から子への貧困の連鎖――それを断ち切るには、周囲の「経済的レベルだけではないサポート」と学ぶ意欲を育む環境が不可欠なのである。
本書は、高校中退者たちを通して日本の教育の底辺を見つめてきた著者が、独自の視点から展開した教育論、教育改革論としても読みごたえがある。
印象に残った一節を引こう。
《中等教育の役割は、社会に安定した中間層を形成することだったが、現在の新自由主義化した教育政策は、逆に中間層の解体を進め、貧困層を拡大している。「教育は国家にとって安くつく防衛手段」といったのは、一八世紀のイギリスの政治家エドモンド・バークだが、いまの大阪府では子どもたちの貧困は主要な政策課題になっていない。社会全体で救われ、守られた子どもたちは将来、社会のために働き、尽くす大人に必ず育つ。教育とはそれを信じることによって成立する人間の営為である。》
終章には、子どもたちを貧困の連鎖から救うための改革案も提示されている。 -
日本では総ての子を持つ親に我が子に教育を受けさせる義務がある。
つまり、総ての日本人は教育を受ける権利を持つこの国で、充分な教育を受けていないものは(親が義務を放棄したような劣悪なか環境で育たない限りは)バカになるのは自己責任なのだ。
そんなバカは飯喰うなと考えていたけれど、バカに育てられてしまう人生がごく普通にあるのだ、今の日本で。
98%が高校へ入学する今の日本では、多くの高校中退者は人間らしい生活を選択することが出来ない。
貧すれば鈍するというけれど、今日の夕食に何を食べるかさえ選択できない状況ではどう生きるかの選択肢などない。
それが如何に悲惨な状況か。
元埼玉県立高校教諭が克明に綴ったドキュメントである本書が教えてくれる。
自由主義の口車にのって、教育までを市場のゲームに委ねてしまった結果がこれだ。
教育とは本当に大事だな、と改めて思う。
本が読めること(リテラシーがあること)のありがたさを再認識した。 -
<u><b>テキトーなこと言っている大人、責任とれるのか?</b></u>
<span style="color:#cc9966;">貧困世帯であることと、底辺校に入学することには強い相関があり、環境の悪い底辺校に入った子どもたちは中退することになる。もちろん、中退した子どもたちに安定した就職先などあるわけがない。そうして、世代を渡った貧困のスパイラルができあがる。高校中退の現状と、その背景及び詳細な調査結果。</span>
「学力なんていらない」「高校なんて行かなくてもいい」というのが平気で言う大人がいる。中学生が言うのはまだ許してやろう。可愛いもんじゃないか。大人が言うなよ!!
この本の中に出てくる「貧しいということは人生を選べないということ」の意味は深い。行きたい学校が選べない、就職先が選べない、食べるものが選べない、家が選べない、生き方が選べない……。もちろん学力がすべてじゃないし、高校出たからといって、安定した就職口があるわけでもない、ましてや良い人間になるわけでもない、それをわかった上でも、でも、やっぱり高校出てないとある程度のハンデを背負わないと日本では生きていけないって。とてもしんどいことなんだって。なんでそういう風に教えてあげないんだ。自分の勉強嫌いを勉強から逃げてきた経緯を正当化するためだけに、適当な発言をするヤツは嫌いだ。貧困を生み出している一つの原因は、そんな適当な世論だと思う。
以下は内容メモ(…といいながら、最後の方は愚痴。それにしても大阪府の実情酷いな)
[more]
<b>●大阪府の高校は中退者数・率とも全国で最も多い。</b><blockquote>1位 大阪府 7457人(3.4%)
2位 東京都 7212人(2.3%)
3位神奈川県 4210人(2.2%)</blockquote>
<b>●H高校での実態</b>
大阪府では2007年度、公立高校が従来の九学区から四学区に再編され、一つの学区の範囲が大幅に広がった結果、H高校へは以前より、遠くから通勤してくる生徒も増えた。
当然通学の費用や通学の時間もかかる。
<blockquote>2009年3月に卒業した生徒
入学時215人→卒業時125人
まともに朝から登校する生徒はクラス平均15,6人
授業料を払っている生徒はクラスで7,8人</blockquote>
●大阪中小企業が大いので経済不況の影響は大きい。
生活保護世帯が全国平均の約2倍、2009年度春の完全失業率は5,3%(全国平均4.0%)
府立高校4人に一人が授業料免除→全国平均の三倍(2005年度)
大阪府は全国で最も高額の授業料 年間14万4000円(全国水準11万5200円)
2004年からクーラー使用量年間5400円
授業料免除は2006年度入学の一年生から
「生活保護に準じる程度の困窮」から「住民税所得割非課税」にハードルを挙げる
<blockquote>
「教育は国家にとって安くつく防衛手段」といったのは、18世紀のイギリスの政治家エドモンド・バークだが、大阪府では子供達の貧困は主要な政策課題になっていない。…貧困の中で苦しんでいる子供を放置し、今の日本のように「自己責任」
受益者負担」だと突き放せば、その子どもたちの心の中に、社会に対する復讐心が生まれることはあっても、社会のために働こうなどという意識が生まれるはずもない。</blockquote>
●<blockquote>貧困とは所得の問題だけとは限らない。人間としての必要な文化、習慣、そして尊厳をもって育てられない子どもたちが、社会の隅の見えないところで生きている。」</blockquote>
この事実はすごく大事なこと。
●
<blockquote>幼児期から、親の一方的な怒鳴り声でなく、双方向の丁寧な会話がされてきたか。聞こえるのは一日中つけっぱなしのテレビから聞こえる騒音でなく、親からの語りかけであったか。本や新聞に書かれている内容が、家庭で話題にされてきたか。たまには家族と一緒にでかけて自然を楽しんだり、旅の中で新たな発見をしたか。</blockquote>
●道中隆による生活保護受給母子世帯の現状の調査
貧困家庭の子どもたちが、低学歴で安定した雇用もない中で、早期に子供を持つことでさらに貧困化が深刻に成っている。子供たちが親の貧困を継承し、社会的に不利の再生産となっていくこともこの表は示している。
●公立中学学習費は、世帯年収400万未満の世帯の場合36万8000円(私立は104万2000円)
公立高校は、43万4000円(81万9000円)
●学力テスト
<blockquote>文科省をはじめ日本の教育行政には、全国学力テストにかかる六〇数億円の経費を、教育から排除される子供たちのために使おうという発想がない。
親のいない夜を子供たちだけで過ごし、…夜中まで待ちを徘徊する…そんな子供たちに学習習慣を求め、夕方、大きな鞄を背負って塾通いしている子供たちと競争させることがフェアなのだろうか。</blockquote>
学力テストについては、フェア云々の問題とは別に、そんな暇があるならもっと金を違うことに使えっての。ちなみに全国学力テストとは別に大阪府は独自で学力テストをしている。印刷もセットも成績入力も分析も全て現場。その時間の分、現場の教師達は子どもの側にいる時間を、放課後学習の時間を、部活指導の時間を、よりよい授業をするための教材研究の時間を、個人の睡眠時間を削り取られている。
今の大阪の教育行政はスタンドプレーにしか見えない。「こんなことやってます」っていう取り組みやるだけやって、終わり。一生懸命いろんなこと、やってるように見せかければOK。何が教育日本一だ。金減らして、教員減らして、口ばっかりじゃないか。(金があればいいって問題でもないけれど。ちなみにこの本の著者が提唱する「高校教育の義務教育課」と「高校教育費の無償化」には私は反対)大切なのは日々の授業の一つ一つを子ども達が安定して受けられることじゃないんだろうか。あと、誠実に生きていこうぜという大人達の呼びかけじゃないか。 -
高校中退者の実態、そしてその原因の考察。高校中退という現象がいかに構造的な問題であるかが分かる。恐らくどんなに熱意をもった教師であろうとも、個々人の生徒を救うことはできてもこの問題の根本的な解決など不可能だ。そう思えるほどに高校中退は家庭環境や貧困の問題との相関性が高い。
無論、いわゆる底辺校に対する策が必要なのは言うまでもないが、それがいわゆるエリート教育が必要でないという結論に結びつけるべきではないだろう。問題はすべての高校の問題を十把一絡げに論じようとするところにあり、こうした高校間の格差が広がっている以上、類似した高校によって異なる対応策を論じることが求められているのだと思う。例えば学力テストは上位校において学力を把握するために必要かもしれないが、教育困難校においてはむしろ読み書き計算といった徹底的な基礎能力の向上にあてるべきだ。
本書に書いてある具体的事例はどれも事実なんだろう。が、事実としてはなかなか受け入れがたいほど私の想像を遥かに越えていたというのが率直な感想。私とて高級住宅地で育ったわけではないのだが、それだけ社会が分断されているということなのか。私のように平凡な高校生活を送ってきたと思えるような人も、本書により高校生の別の側面を見てみる必要があるだろう。なぜなら教育は社会全体に関する問題であるからだ。 -
学力のなさの裏側にこんな悲惨な貧困の実態があったとは知らなかった。現状の教育システムじゃとても彼らを掬いとってやることはできない。また、高度知識社会に成るにつれて彼らのような人間は、ベーシックインカム導入などの、思い切った社会システム改革を行わない限り居場所がなくなってしまうだろう。
-
2008年度まで埼玉県立上尾高校で勤務されていた元教師の研究をルポルタージュ風に書き上げた1冊。
4時間ほどで読めてしまう上に、想像以上の世界が紹介されているのでオススメ。 -
高校を卒業している事が当たり前となっている今日の日本において、高校を中退してしまうという事、せざるを得ない環境とはどのようなものなのかを説明している本。
底辺校とされる学校に通う生徒の家庭状況(年収200万程度の家庭が1/3。子供のバイト代で生計を立てている家もあり、制服・体操着を買えないこともある)、学力(足し算・掛け算が出来ない、中学時代に定期試験を受けていない為「成績が無い」、アルファベットを書けない)、勉強に対する認識(「自分の仕事は勉強でなくアルバイト」と答える)の低さに驚かされるが、何より支えてあげるはずの教師もあまりの指導することの多さと、受け止めようとしない生徒・両親に諦めを感じて、「生徒を切ろうとする」ようになってしまっているのだという。
筆者は、実際に高校を中退した人を対象にインタビューを行っている。両親も高校中退、片親に愛人が出来たので家にいられず夜を彷徨う、授業料を支払えなくなったので・・・、中退したら職が見つからなくなった、正社員のはずなのに日給・時給制、家族全員中退、男遊びで妊娠してしまった、「高校も義務化して欲しい」、親からのDV、(中学時代の成績が良くないために通っている)高校が家から遠すぎるなど、辛い実情を語っている。
正直、「考えが甘すぎるのではないか」と思えるような主張のため同情出来ないものもあったが、これまで育ってきた環境や「安易な考えで中退するとどうなるのか」を共に真剣に考えてくれる(親を含む)大人が周りにいなかったという事による悲劇という見方も出来なくはない。中退後は何をしているのかというと、日雇いの大工、内装、警備、水商売という職に就く事がほとんどで、社会から疎外されて生活してきたこともあり、社会のために働こうとはしない。筆者が言うように「自己責任」のひと言で片付けるのは、今後の日本を考えていく上で有益なのだろうか。
保育所や障害児通園施設においても貧困の影がちらついている。男に依存する母親、歯磨きを教わっておらず歯がとけてしまった子、食事はスティックパンやカップラーメン、おむつのはかせ方を知らない、親の性交渉を見ているのか、Hごっこをする子もいるという。
根底にあるのは家庭の貧困であり、両親の学習への感心の無さ、生活リズムの崩れ、きちんとした親子関係がとれていないといった事で、子供の考え方が悪い方向に固まってしまうのだという。
それにしても、親の最終学歴、職業、収入、教育に対する考え方一つで、子供の住む世界が凄まじく変わってしまう事実には驚かされる。負のスパイラルから抜け出せるよう国が取り計らったところで、一体どれだけの家庭がその情報を手に入れ、かつ有効的に活用していけるのだろうか。
筆者は高校を中退してしまう大きな要因として、学校生活・学業不適応(学力や意欲の無さから学校生活に適応出来ない)、学業不振(小学校レベルでつまづいている事があり、ついていけない)、進路変更(厳しい学校において学びや仲間づくりを諦める)の3つを挙げており、彼ら自身も安易な気持ちで辞めてしまった後で、「バイトが見つからない、次の仕事に考慮されない」と嘆いている。同世代の様々な家庭環境にある子供とつながることが出来ないという点も、問題として指摘されている。
それにしても、文科省の高校中退率の算出方法が筆者の算出方法と比べると、3%も数値が変わってしまう事には驚かされた。「算出方法は目的によって多種あってもいい」と筆者も述べているが、文科省の目的は一体なんだったのだろうか。「制服や体操着を買えなくて恥ずかしいから学校に行けない(買った後は顔つきが明るくなった)」、という子の存在や「うちの生徒にとって修学旅行で飛行機に乗るという経験は生姜で最後になると思います。これからもいっそう貧困の中で暮らしていくでしょう」と語らざるをえない教師はあまりに悲しい。
「貧しいとは何も出来ないこと。何も選べないんですよ」という生活保護を受けて三人の子を養う親の叫びは、届く日がくるのだろうか。
自分用キーワード
エドモンド・バーク「教育は国家にとって安くつく防衛手段」 9、10歳の壁 就学援助制度 アマルティア・セン「(基礎教育が)人間の安全を脅かすほとんどの危険に対し強力な予防効果がある。世界の本質を、その多様性と豊かさを認識することであり、その思考及び友情の大切さを理解すること」