- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480065124
作品紹介・あらすじ
「グローバル化」と「伝統重視」という相反する二つの流れの中で大転換期を迎える国語教育は、無意識のうちに「日本」という感性を押し付ける教育装置になってはいないか?本書では、「古き良き日本」ばかりが描かれる小中学校の教科書を詳細にテクスト分析することで、書かれた言葉の裏に隠されたメッセージを読み解く。国語教科書批評の最前線を提示する。
感想・レビュー・書評
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小学校、中学校の国語教科書に掲載されているコンテンツを分析している本。各出版社により特徴があるのが面白い。
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文学
思索 -
新書文庫
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小学校、中学校の数社の国語教科書を分析し、「国語教科書こそが内面の共同体を創る装置」として機能していることを鋭く分析した本。それぞれの教材がどのような意図で採録されているのか、どのような読みを規定してしまっているのか、を解説している。生徒からは見えない形で道徳教育をしてしまっていることが問題であると指摘している。
確かにみんながみんなで同じような話を読まされて同じような解釈を求められる点で、日本人としての「正しい」価値観の共有、というものが国語教育の中でも成されている、ということが言えると思う。特に小学校の動物出現率の多さ、さらに動物を擬人化する教材の多さ、という指摘は面白いし、他国に比べて日本人に動物キャラクター好きが多いとすれば、ここに原因があるのかもしれない。(というのはこの本はディズニーランドで読んでいた)それにしても、色んな教材の粗が紹介されているのは面白い。国語の教科書にされる文にこんなに突っ込みを入れることができるということに驚かされる。
特に今さらではあるものの、「美しい日本語」、「豊かな日本語」論に対する批判はまったくその通りで、2年前に使った英語の教科書にも「もったいない」という美しい日本語を大事に、的なレッスンがあってうんざり、という感じだった。「『学問』をすることは、何かが言えるようになることではない。怖ろしくて何も言えなくなることなのだ」(p.66)という指摘は印象的だ。
全体的に読んでいて面白いし、国語の授業で傷ついたことがあるとか、共感できる部分も多い。ぜひ続編として高校教科書の分析をして欲しいと思う。(14/07/20) -
著者の前著である『国語教科書の思想』(ちくま新書)の続編。前著から4年を経て、ふたたび小学校、中学校の国語教科書を題材に、そこでおこなわれている「道徳教育」のありようを分析しています。
著者の立場は、基本的には前著と同様だと言ってよいと思います。ただ本書の巻末には、前著に対する批判に答えた「『国語教科書の思想』その後」というタイトルの章が置かれています。この中で著者は、国語教育が「道徳教育」になっているという主張に対して寄せられた、「自分は子供の頃からそれぐらいのことはわかっていて、後ろ向いて舌を出しながら先生の気に入ることを書いていただけだ」という意見を紹介しています。その上で、「後ろ向いて舌を出している」子どもがいるということは、国語という教科が失敗しているということではないのかと反論し、子どもたちの自由な意見が意味を持つような、多様なパラダイムの存在を示すことが、あるべき国語教育の形なのではないかという主張が展開されています。
単なるイデオロギー批判ではなく、国語教育についての具体的な目標が示されているところは、おもしろいと感じました。 -
国語の受験の本を数多く書き、国語は道徳教育であると主張している石原氏が2009年に発刊した本。同じちくま新書の前著に当たり2005年に発刊した「国語教科書の思想」の続編的な位置づけなので、セットで読んだ方が良い。
前著では光村出版の教材を主に分析したが、2章では小学校3社、3章では中学校4社を分析している。これに先立ち、1章では国語教科書の思想の振り返りと国語のもっている特殊性などを論じ、最終章の4章では前著の「国語教科書のその後」という題で内容を深めている。
国語教育とは表面的な面もあるが、少し突っ込んで考えると教材のもつ共通性、思想性などがどうしても出てくる。そのあたりを意識することが大切であることを改めて感じた。 -
本は好きなのに国語の授業は嫌いだった。そのモヤモヤを晴らしてくれる良い著作だった。
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第1週 1/11(水)~1/18(火)
テーマ「日本・日本人・日本語」
↓貸出状況確認はこちら↓
https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00172225 -
国語教科書の背景にある思想性について、テクストを丁寧に読み込むことを通じて、
抉り出していくのがこの本の見どころか。
著者の言葉を借りるなら、国語教育は実は「道徳教育」なのだ。
子どもたちあるいは我々は国語教育・教科書という装置を通じて、「自然」、「家族的親和性」といった道徳的イシューを内面化していく。確かに言われてみると/思い返してみると、「良い解釈」とでも言うべきものは多分に制限されていて、それらは実は暗黙のうちに価値的なものを植えつけるために機能しているようだ。著者の危惧は、単に道徳教育そのものにあるのではなくて(道徳教育そのものの存在は否定しない)、何のための道徳か?という問いにこそある。こうした教科内容に違和感を覚えるような人が増えたほうがリテラシ的には健全な気がするが、この内容で果たしてどれだけの人材が育つか…と言ったところか。
ただ、実際の指導という話になったときに、やはり教員がどのように現場で教科書を使い、教えていくかということが問題になるのだろうとも思う。その辺も含んだ議論が―恐らく著者の専門外でもあるしそこまで踏み込むことは難しいと思うけれど―本当は必要であるし、テクストを論じることの限界でもあるのだろう。その意味で、やるべき仕事をやれる範囲で誠実にやっているとも取れるし、この仕事がこの先どのような示唆を与えていくのか?という興味/疑問も湧く。
ネタ的に『国語教科書の思想』の延長線上にある一冊であり、正直なところちょっと新奇性には欠けるかなという印象も持った。恐らく、本書の評価は本書の内容だけですべきではなくて、著者の「一連の仕事」という形でなされるのが適当だろう。舌鋒鋭い書き口と文章運びは個人的にはとても好みですが、人に推すにはもう少し。