教育の職業的意義: 若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書 817)
- 筑摩書房 (2009年12月7日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480065230
感想・レビュー・書評
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請求記号:SS/375.6/H84
選書コメント:
今では当たり前のように言われるのが、非正規従業員の増加、不安定な雇用です。特に若年層へのしわ寄せが懸念されますが、著者は日本の学校教育が職業能力を養う機会を一貫して持たなかったことと、密接な関係があると言います。であるとすると皆さんは、この議論を無視できるでしょうか。学生はあと数年で仕事に就くというのに、仕事に関する情報をこれまでどれだけ得られたか、考えさせられる著作です。
(環境創造学部環境創造学科 小湊 浩二 准教授)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
柔軟な専門性のアイデアや教育の職業的意義の抵抗と適応を纏うべきという論調に同意した。本書では大学人が抱える現在のキャリア教育に対して感じていた違和感を詳らかにしてくれる。
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経済成長時代、社会はとにかく労働力を欲し新卒大量採用に入り、またそのまま労働力をキープするために年功序列型の昇進制度とした。これが社会から教育への規定である。また教育から社会への要請もあった。高学歴化が進み彼らを満足させる一方で、ブルーカラーとホワイトカラーの間での柔軟な人材移動もする必要があった。そのため年功序列の形となった。これが教育から社会への規定である。
社会は制度を変えなければならないが、一方で学生は社会に出る際の専門性の構築が必要。キャリア教育は無駄に夢を壊すだけなので、新しい制度がいる。そこで柔軟な専門性構築を行う。まず専門性をどこかで構築すれば、仕事の仕方とかストレス耐性とかがついてほかにも適用できる。社会の側もキャリアラダーなどの制度が必要。育てながら昇進できる形。 -
具体策を考えていきたい
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〈適応〉と〈抵抗〉の両方をできるようにするための職業的意義をもった教育をつくること。
職業的意義をもった教育とキャリア教育との違い。
著者のいう「柔軟な専門性」という概念は、工学部のなかでは潰しが利くと言われる建築学科のやってきたところと近い。
「柔軟な専門性」とは、
「
弾性と開放性をもつ「暫定的な」職業的専門性を、「とりあえず」身につけること、そこを言わば基地として、隣接領域やより広範な領野への拡張を探索してゆくこと(p.178)
」
このところ、大学教育の様々な分野において広義の「デザイン」への期待が高まっているのは、それが、この「柔軟な専門性」を実態化しているもののひとつだからではないか。文系を含めた大学生全体に拡張しうるほどの強度があるかどうかはわからないが。
p.179からの「不器用な」人々の話も興味深い。こうした人々にむいてないと退場を願うのが狭義のデザイン教育で、彼らがなんとかできるようにするのが広義のデザイン教育という説明ができるかもしれない。
批判しようのない正しいことが書いてあるが、答えが書かれていないではないかという批判はわかるが、この問題に答えるのは、それぞれの現場の実践者の仕事であろうとも思う。私もその現場の末席にいて、責任を感じる。本田はこの責任を「恥」と書く(p.214)。
本書でいう、教育の「意義」は他の文献では「レリバンス」という語が使われる。その関連の話だ。 -
日本の雇用形態および高校教育の変遷をまとめている部分はとても勉強になった(職務、職能、専門、普通)。雇用形態については不可逆であると納得した。
本題に関わる「適応」と「抵抗」についての記述は特に目新しくは感じなかった。程度の差はあっても誰しもが考えることだろう。
図表を大量に引用している。これについて本文中ではさらっと触れる程度のことが多く消化不良だった。
OA入試 -
今の日本の若者の苦しみの根本のところを指摘してくれていて、ずーっと頷きながら読んでしまいました。労働世界に対する「適応」と「抵抗」の二つの側面が教育に必要というのに賛成です。困難はいっぱいありますが、大きな方向性を示してくれました。
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「適応」と「抵抗」がキーワード。
著者も断りをいれているが、批評はしても著者自身の考え、改善策を述べていない点がマイナス。
あまり響かなかった。