- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480065520
作品紹介・あらすじ
日本人は、今、あらゆることに疲れている。閉塞感が漂い始めてから、かれこれ二十年を閲したが、われわれは生き方の輪郭をつかめないまま、社会とともに磨りへっていくほかないのだろうか。生を支える"教養"の形を描き直すことはできないのか。本書は、経験と思想のつながりに立ちながら、文化、政治、教育、身体を結ぶ教養像を求めたひとつの試論である。個人の成長(徳の涵養)と社会の再建(デモクラシーの復興)を接続する可能性へ、もう一度。
感想・レビュー・書評
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雑文集でまとまりがないが、著者の問題意識は伝わってくる。話がアチコチに飛ぶが、コンテンツとしては豊富で示唆に富むので、本書をきっかけに読者が今後の興味関心を展開できるか否か。という意味においては大学教員としての責務は果たしているように思える。
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現代の日本社会のありかたに対する著者の不満を表明しつつ、その状況を変えるための「市民」を創出するための啓蒙に努めている本です。
本書のなかでもっともおもしろく読むことができたのは、東浩紀や濱野智史といった現代の日本のポストモダン・リベラリズムに対する著者の違和感を語った補章でした。著者は、「わたしには東浩紀のテクストのなかに直接的に表現されることのない政治的立場が、行間から理想はラディカルな直接民主制主義者であり、リバータリアンであると叫んでいるのに、やむをえず環境管理の方向で社会が進むことがリアリズムであるとため息をもらす姿(現状追認)となって映るのである」と述べています。こうした著者の感想は、個人的には腑に落ちるものでしたし、また著者が東を批判しながらも、ていねいにその思想的パフォーマンスの意味を読みとろうと努めている姿勢には好感をもちました。ただその一方で、現代の社会のリアルなありようを認識しながら、あくまで啓蒙の可能性に賭けようとする著者の姿勢には、どうしても疲弊感をおぼえてしまいます。
なお本論のほうは、消費社会批判、倉田百三や阿部次郎らの教養主義の検討、現代の大学のありかたに対する不満、はては東洋医学の身体観など、雑多な内容が詰め込まれています。ルソーの解釈をおこなっているところは多少興味をもって読んだものの、全体を通じて議論の焦点が定まっていない印象を受けました。