ソ連史 (ちくま新書)

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  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480066381

作品紹介・あらすじ

一九一七年の革命から生まれ、一九九一年に崩壊した社会主義国家・ソ連。二〇世紀の歴史上に巨大な存在感を持つこの国は、いまだ「冷戦の敗者」「失敗した社会主義国」「民意を無視した全体主義国家」といったイメージで論じられることが多い。しかし、その歩みを内側からたどってみると、そこでは必ずしもその印象に収まらないさまざまな試行錯誤がおこなわれていたことが見えてくるだろう。簡潔にして奥深い「ソ連史入門」。

感想・レビュー・書評

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  • 1922年・ソビエト連邦結成のその前夜から1991年の消滅まで。

    労働者階級、つまり被搾取人民の解放のために革命は起こり、世界初の社会主義国家連邦が生まれました。それがソビエト連邦です。マルクス・レーニン主義のもと、資本主義を超えるものとしての社会主義からはじまって、貧困のない共産主義まで到達させようとするのがこの連邦の目的でした。しかしながら、ソ連結成まもなくから、食糧確保のためにまもなく農民の搾取がはじまるのです。目的のために手段を正当化するのが、権力(ちから)の強い側のやり方。こういった政治の強引なやり方は今も昔もよく行われることで、社会主義でも民主主義でもその主義にかかわらず、警察や軍隊までをもときの政体がそのしもべとして使うことは珍しくないと思います。露骨さの度合いの違いがあるだけで、どの国でもそういったことはあるのではないでしょうか。

    話はソ連に戻りますが、マルクス・レーニン主義は、人民の自発性を重視し奨励する主義なのですけれども、それ自体は間違っていないのではないか。人民の意識の変化が大切だと考えるのは、僕だってそうです。権力がへたに人民の意識を洗脳していくわけじゃなくて、人民が自律的に自分の知的好奇心にしたがって自己の意識を育んでいく。そういうありかたが、よりよい社会を下からつくっていくことになっていきます。

    でも、ソ連ではまずスターリンという独裁者が台頭してきます。スターリンの下、学問や芸術が政治に従属させられ中央集権化が強められていく。このことから現代社会への教訓とするのるのは、政治が最上位でゆるぎないという至上主義って、僕は社会の偏りが過ぎるのではないか、ということだと僕は考えます。学問や芸術は独立した分野として尊重されながら在ることが望ましい気がするんです。政治視点の一面的な価値観で考えるべきではないのではないか。

    ただ第二次世界大戦において、スターリンはヒトラーのナチスドイツと正面から戦って、退けたのでした。これはとても大きなポイントです。いわゆる独ソ戦。国内深くまで攻め込まれ、苦しみながらも最後にはナチスドイツを撃退した。まず、ドイツと正面切って戦っていたのはソ連だけだったのでした。それが、ドイツ敗北に終わった戦後の世界での戦勝国・ソ連の発言権を強めることに繋がります。ソ連という社会主義国への世界からの見え方が輝いたものへと変わってくる。

    第二次世界大戦での死者数は、ソ連がもっとも多いそうです。全体で5000万人とも言われる死者のうち、ソ連の死者は2600万人とも2700万人とも言われるそう。それが、ソ連の指導者たちに恐怖や不安を植え付けることになります。独ソ戦の経験によって、「完全にやっつけないとこっちがやられかねない!」と過去の経験からそれが「ありうる」と判断し、危惧する(これ、実は原理主義にもつながる話だと思うのです。「原理主義」って「理想主義かつ完璧主義のこと」ということです)。スターリンによる大粛清(百万人以上もの人たちが殺された大テロル)や独ソ戦後のソ連の対外的にも対内的にも厳しいやりかた、それらはどうやら、西側諸国への不信と恐怖からきている。

    そんなスターリンは死後、フルシチョフらによって批判され、ソ連には揺り戻しがやってきます。人民は、ずっと引き締められてきましたから、弛めてくれる政策を望んだ。それをフルシチョフは読み取っていて、ゆるめていきます。そんな1950年代から1960年代までは、まだ貧しさがありながらも社会主義の行く先への民衆の期待感は強かったようです。でも、思うように発展しない経済状況があり、しばしの安定から停滞の時期を経て、人々の期待感は失望へと変わり、労働意欲の低下、規律や秩序の乱れにつながっていきます。

    迎えた80年代。本書終盤にあたります。ソ連解体前、ゴルバチョフの時代の彼のやり方はとてもシンプルでピュアな感じがしました。(こういう古いやり方を刷新する感じが「新しくて正しい」とするテーゼとして、当時成長期だった僕の内部にそっと根を張って今にいたるような気がします。そういう時代の空気を十分すぎるほどに吸って育ったのではないかと)

    ゴルバチョフのやりかたは、どろどろした政治はもうやめよう、というようなやり方のように感じるのです。政治力の使い方も、いわゆる政治力然としたものとは違うような感覚。強権的な支配、利己性などを志向していないかのよう。志向性がいわゆる政治家のそれと違うから、あれだけの思い切った舵取りを試みられたのでしょう。ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(マスコミの存在を重くみる、情報公開の政策)、世界平和の新思考外交がゴルバチョフ時代の特徴です。

    ゴルバチョフは権力をクリーンでクリアに使おうとしたようにさえ本書からは見受けられます。そのスタンスは、甘いといえば甘く、拙いといえば拙く、若いといえば若いのではないか。だけれど、そのドラスティックさに、油っこさを(あまり)感じません。ちょっと話が飛んだようになりますけども、ゴルバチョフ氏は既成の宗教の枠外にあるような神の存在を考えていた人なんじゃないかと思うんです。そういう人のやり方だからこそのような気がします。

    さて、あとは読みながら感じたことを列記して終わります。

    ・まずソ連がそうだったけれども、社会主義国家や共産主義国家を称する国々は、人民の幸福のために国を発展させていくとの目標がたんなる張りぼての看板にすぎず、実際は軍事国家に転じていきがちではないだろうか。

    ・ロシアは伝統的に強いリーダーを求めるそうです。強権的なリーダーを好む国民性。また、政府や機関誌などにも投書をよくする国民性で、そこに批判や意見や陳情などが多く寄せられていて、政治に役立てたり、訴えを受け入れて願いをかなえたりするシステムが成立しているそうです。これはソ連に限らず、日本でもあることです。

    ・本書を読むと、社会主義の実験場・パイオニアとしてのソ連の格闘の盛衰をざっくり知ることができました。そのうえで思うのが、北欧の社会民主主義の国々は、おそらくソ連の失敗を細かく分析してよく勉強したうえで政治をしているのだろうなあということでした。具体的にどうこうとはちょっと言えない程度のふんわりした感想ではあるのですが、これまで読んできた本や記事などの記憶からそう感じるのでした。

    以上、ソ連を知ることは、ロシアの背景を知ることにもつながります。また、他山の石として日本を振り返って客観的に考えたり、他国と比べてみたりなどするためのひとつのものさしを手に入れることにもなります。実際、こうやって苦労したりがんばったりしてたんだなあ、と想像しながら読むとおもしろかったです。学生時代、決められた時間に決められた進み方で決められた歴史の部分を他律的に勉強させられ、覚えることを強要されて歴史はもういいや、となりましたが、こうやって好んで一冊読んでみると、味わいがあって歴史も悪くない、という気持ちになりました。

  • ソ連という国に漠然と貧しくて嘘だらけの国というイメージや教科書に載ってるようなことしか知らなかったので、正しい理解のために読み始めてみた。

    そもそも生まれた時にソ連は解体されていたし、ソ連=ロシアみたいな習い方をした。もちろん大学受験の時にはある程度国の集まりということや、スターリンやゴルバチョフのことは習った。

    その国の最高権力者の思想や政策が日本以上に人々の生活に強く影響を与えていた。自分の権力を維持するために粛清を行ったことで、有能な人間を失い、自分の指示に従うことを優先したスターリンや、アメリカとの優劣に重きを置き、外に見えることを優先したフルシチョフなど、その影響を受けた国民の生活は予想よりも劣悪だった。
    日用品や食料の不足による飢餓、それらを手に入れるための行列、移動の制限など、生活する希望はあったのかわからないと何度も感じた。

    驚いた点として、国民の意見を吸い上げるシステムとして、国に手紙を出すというのが一般的であったことである。新聞や雑誌に意見や不満などを送ることは理解できるが、国に意見を出し、それが反映されることもあったことは、国民の不満を常に意識していた国としては、非常に手っ取り早い方法だったからではあるが、ある意味では民主的でもあると感じた。

    現在のロシアは国としてしっかり成り立ち、国民が幸せであるという視線で読み始めたが、決してソ連解体後は国として裕福になったり、国民生活が安定したわけでもないでもなく、ソ連時代のマイナスの根は深いと感じた。

  • 以前からソ連に興味があったものの調べもせずぼんやりと生きていたため、ようやく手を出してみました。ソ連史の全体について要点を抑えつつ多面的に書いてあり、良書でした。

    実態が伴わないながらも一般的なイメージの一党独裁的なソ連というより、遥かに自由(統制しきれなかったとも言えるが...)で、国民の声を聞いていることに驚きました。
    また、国民側も不満一色という訳ではなく、明るい未来を信じて共産主義建設のために献身した人々が少なからずいたことも驚きでした。
    投票率の高さや国への投書の数はすさまじく、また国側も民意を組む意図があったというのは、政党を選べない一党支配だからこそ国民も「この政党に変わってもらわなければならない」という切実さがあるように思えました。
     
    資本主義に対抗する崇高な理念だった社会主義がどうしてああも失敗してしまったのか。今日では資本主義でも社会主義でもない体制が模索されており、新しい理念というのはしばしば魅力的に映りますが、少なくともそうした対抗文明には一定の危機感も持たなければならないなと思わされます。

    本書の締めくくりの言葉が非常に印象的だったので、以下に引用します。

    ─ソ連の歴史を研究する者としては、果たして「対抗文明」が現れることがよいことなのか疑問や不安を抱かないでもない。善き意図が善き結果につながるとは限らず、「対抗文明」のほうが優れたもの、善きものとなるとは限らないからである。こうした疑問や不安を払拭する意味でも、ソ連という強力な「対抗文明」の歴史、そしてソ連の存在した二〇世紀の歴史から学ぶべきことはまだ尽きていないのではないかと思う。

  • 「ソ連」という言葉。懐かしくないですか?
    1972年生まれの僕としては、17歳くらいまで存在した国。有名だった国。
    そして、忽然と無くなっちゃった国。
    「戦争と平和」を読んだり、ドストエフスキーは読んだりしたのですけれど、「良く考えたら、詳しいことは全然知らない」と思って、ふっと衝動買い。
    著者の松戸さんという方は、1967生だそうなので、2017年現在50歳くらいですね。
    西洋史、ロシア史の研究家で大学教員さん。
    去年だったか、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」という本を読んで。冷戦時代の東欧で少女時代を過ごした米原万里さんの自伝的エッセイ。
    ソ連時代の東側で少女時代を過ごした各国の人々が、ソ連崩壊以降にそれぞれに流転して大人になっている有様を描いて大変に面白かった。
    あの本なんか、「ソ連史」を知ってから再読すると、またしみじみとオモシロイんだろうなあ。
    #
    全般として、読み易く、そして大胆に省略しながらひたすら叙事的に語ります。
    ぢゃあツマラナイかと言うとそうでもなくて。
    細部のドラマに入らない代わりに、「どうしてそうなったのか?」という「理由」はちゃんと説明してくれます。
    つまり、お金。食糧。生活事情。軍事バランス。政治。メンツ。
    なんで、簡潔で短いのだけど面白い。納得しながら読み進められます。
    #
    一読、いちばん印象に残ったのは、
    「冷戦の頃は、アメリカと並んで、二大大国、というイメージを持っていたのだけれど、内実で言うと、アメリカと比べて貧しい国だったんだなあ」
    ということです。
    それだけでも大いに発見でした。
    #
    それから、全体を通して、
    「この時期にまだ青年だったゴルバチョフは、こう回想している」
    みたいな感じで、ゴルバチョフさんの目線がたびたび登場します。
    これはこれで、読み手としてはライブ感があってわかり易かったです。
    当然だけど、ゴルバチョフさんはスターリン時代もフルシチョフ時代も知っている訳で。
    変な話ですが、ものすごくゆるい、「ゴルバチョフが主人公の現代歴史大河ロマン」を読んでいる錯覚(笑)。
    #######################
    以下、備忘録のようなもの。
    #
    ロマノフ王朝だった1914年、第一次世界大戦勃発。
    帝政ロシアも参戦します。
    まず、この時点でまだ純然たる「帝政」であっただけでも、大まかに言うと、最新モデルの経済先進国ではなかったんですね。
    思ったより全然長引いて、総力戦になってしまった第一次世界大戦。
    さらに、これは、「祖国防衛戦争」ではなくて。
    国際政治利害ではじめちゃって、引っ込みがつかなくなった感じの戦争。
    (どこの国もですが)厭戦気分が国民に広がります。
    そして、この本を読んで思ったんですが。
    2017年の日本からは想像も出来ないくらいに、食料がとにかく足らなくて、生活環境が悪かった。
    それで、二月革命。
    ただこれは、不徹底な革命だった。
    そのときに国外にいたレーニンさんは、大慌てで焦って帰国。
    扇動して軍部と繋がって、史上初のマルクス主義革命。
    「ボルシェビキ革命」。これが十月革命。
    まずここで、大事なのは、マルクスさんは、
    「資本主義が発達して、勝ち組負け組の格差拡大など、欠陥点が多くなり、共産主義になる」という理想?というかを描いたんですが、
    このときのロシアは全くそういう状況ではなかったんですね。
    全然まだ流通も商業も、近代的インフラが無くて、貧しい広大な国でした。
    そこで、権力をレーニンが握りますけれど、面白かったのは、
    「えっーと、どうしようかな」
    という感じだったんですね。ほんと。
    イデオロギーとしての理想はあるけれど、何しろ前例が無い。
    その上、マルクスさんの前提と違って、圧倒的に貧しい。まだ資本主義が熟していない。というか、始まってすらいないんぢゃないかレベル。
    とにかく第一次世界大戦から「いちぬけた」します。戦争している場合ぢゃなくて。国内の反革命勢力との内戦優先です。
    大まか言うと、「全ての農地は、工場は、国のもの」ということなんですが、歓迎する人も、反発する人もいます。
    そこで細かくいろいろ、制度を修正していきます。
    とにかく、恐ろしいくらい巨大な国。そして、国民の九割は教育も行き届いていない、迷信深い人々。
    別段、この段階でレーニンもスターリンもトロツキーも悪役ではなくて、
    「どうやったら国民みんながいちばん幸せなんだろうか。考え方としては、資本家が搾取して、勝ち組負け組に引き裂かれるドッグレースな社会より、共産主義の方が絶対良いんだよなあ」
    と、模索する訳です。
    模索しているうちに、飢饉でも起こったら一発で国民的窮状に陥ります。
    その上、イギリスやアメリカなどを筆頭に、
    「資本家から全財産奪うような前提の国家だあ?そりゃアカンやんか」
    ということになって、色んな形での嫌がらせというか反発がはじまります。
    ソ連側としては、
    「俺らのこの思想でみんなレッツ革命」という気分で、仲間を増やしたかったのですが、なかなか上手く行きません。
    それでも第一次世界大戦で列強が疲弊していたこともあって、どうにか政権は持ちこたえます。
    どうにか持ちこたえているうちに、スターリンの世の中になります。
    でまあ、たしかにスターリンさんは、権力暴力で反対派を根こそぎ虐殺するわけです。
    この1930年代の恐怖政治はすごいですね。
    歴史は色んな必然と、それを上回る偶然で作られているんだと思います。
    ナチスが出てきて第二次世界大戦が始まります。
    とにかく内政、工業化で必死なソ連なので、日本ともドイツともいいように外交して、
    「まあ、周辺の小国は好きに切り取っていいから、お互いに仲良くしようぜ」
    という内容の、秘密条約を結んでいます。
    この秘密条約は、ポーランドさんとかからすると、トンデモナイひどい話です。
    ところが、膨張し続けるヒトラーがソ連に攻め込んできます。
    この、独ソ戦は、すごかったんですね。
    とにかくモスクワ直前まで攻め込まれて、ソ連は蹂躙されます。
    もう、ナチス側も「財産を収奪する」ためにやってきたようなものなので、まさに見るも無残に荒らされて、殺されて、無茶苦茶になります。
    なんだけど、ナポレオン以来の冬将軍、ソ連という地理的な奥深さから、最終的には押し返して、ソ連は「勝ち組」に入ります。
    なんですが。
    アメリカは、真珠湾くらいしか、「アメリカの国土」は荒らされていません。
    なんだけど、ソ連はもう、むちゃくちゃにされちゃったんですね。
    なので、終盤戦はその恨み?ぢゃありませんが、逆に無茶苦茶に簒奪します。
    とばっちり?を食ったのは日本(満州国)ですね。
    まあ、条約があったとはいえ、この頃の不可侵条約なんて、どっちかがいずれ破棄することが予想されるわけだから、防衛機能を持たないのに広大な植民地を大陸に持っていた日本側の国家軍事経営者がどうなのよ、と思いますが。
    とにかくシベリア抑留など、満州にいた日本人たちは田んぼを刈り取られるように虐殺されて拉致されちゃいました。
    そして、スターリンさんは、1930年代に身内を大虐殺して恐怖政治を敷いて、貧しい大国をかろうじて率いていた訳ですが。
    1940年代に、文字通り「祖国防衛戦争」を率いて、一応勝ったことになります。英雄ですね。
    そして、冷戦構造が始まるわけですが。
    「ソ連は、独ソ戦で国土の西半分を虐殺されてしまったようなものなので、そのトラウマから、とにかく領土を接する隣国は防波堤として事実上属国にしておきたかった」
    という視点は、なるほどなあ、と思いました。
    なんていうか。
    「攻撃していくため」
    ではなくて、
    「あの悲惨な思いをもうしたくないから」
    という防衛思想なんですね。
    ま、これはアメリカも同じなんだと思います。
    #
    そして、また、戦争の焼け跡からの工業復興。
    えらいこっちゃです。
    そして、「共産主義・社会主義の卸元」という立場ですから、何かとアメリカ側とやりあいます。
    何しろ、アメリカは原爆もってますから。
    スターリンは大いに無理をします。
    (スターリンのあとのフルシチョフも)
    なにしろ、「ソ連共産党が経営している広大な会社=ソ連」みたいなものですから。
    国民の消費的幸せとか、食料の確保とか、ライフラインの普及とか。
    そういうのがまだまだなのに、無理して重工業軍事産業に金をつっこみます。
    原爆、水爆、大陸間弾道ミサイル… と、軍拡レースです。
    #
    あと面白かったのは。
    「スターリンのおやっさんの恐怖政治路線は、誰も踏襲しなかった」
    ということですね。
    あまりにインテリを殺しすぎて、産業としての社会の効率が悪くなった、というのもあるでしょうし。
    やっぱり、あんなに殺したら、そりゃ不満もでますがな、という感じなんです。
    フルシチョフだってその後だって、スターリンに比べたら分厚いカリスマ性も薄いので、徐々に雪解け路線になります。
    #
    そして、50年代60年代は、それなりに重工業主体になんとか成長してはいたんですが。
    やっぱりちょっと田舎にいったら、電力も下水道もない、なんてことがザラにあって。
    都会でも、金はあっても買うものが市場にない。
    ひどい話です。
    #
    そして、「国家まるごと官僚主義」みたいなものですから。
    行政ノルマの達成に追われて、ごまかしが横行。
    ノルマさえ達成すれば、あとは頑張っても収入が変わらないし、豊かさも実感できない。
    結果、どんどん勤労意欲が低下していく。
    面白かったのは、「商品がない。闇市場にはある。商品が買える、という情報があったら、みんなどんどん仕事なんか勝手に休んで行列に並ぶ」というライフスタイル。
    その上、戦争で男手が恐ろしく減っています。
    (その前にスターリンが勢い良く内部虐殺もしていますしね)
    なので、労働市場で言うと、売り手市場なんです。
    ちょっとさぼったからって首にしてたら、必要なときに人手がなくなる。
    経営者?側も、ノルマさえ達成していたら、それ以上がんばってもしょうがない。
    (そのノルマ達成も、ごまかしが横行しています)
    なので、首にならない。
    ほんとにひどかったみたいですね。
    #
    で、そういうことを、政権側も自覚してたんです。
    「もっと食料とか、生活必需品を生産して分配していかないと、みんな不貞腐れて働いてくれないよ」
    みたいなことなんです。
    50年代60年代に、西側陣営も一斉に戦争の焼け跡から経済復興して、きらびやかに商品が出回っているわけで。
    なんだけど、こうなっちゃうと、
    「広大な荒れ地と膨大な無学国民を抱えてもともと貧しいのに社会主義やっちゃった上に、重工業がんばらないと冷戦レースに遅れちゃう」
    という足かせが重い。
    どうにもならない。
    その上、今と違って、「うち、こんな困ってんですよ」という情報が、あんまり外国にバレないから。
    やっぱりねえ。
    自分の家が実は貧しくて火の車だって言うことは、他人様には隠したいですしね。
    見栄をはっているうちに、どんどん国家の経営状態は悪くなっていく。
    (見栄をはる=アフガン出兵とか)
    #
    でも、「どうにかせんならん」というのは政権内部でもあったんだと思います。
    そうじゃないと、ゴルバチョフに託さないですよね。権力。
    1980年代、ゴルバチョフ。
    もう、国内ぐちゃぐちゃ。
    流通も出来てなくて、街では小麦粉がないのに、倉庫で腐ったりしています。
    官僚主義にメスを入れて、自分への批判も含めて許可して情報公開して。
    一部、事実上の民間会社を許して。
    お金ないんだから、軍事費削って
    アフガン撤退。米ソ協調。
    「社会主義(という名のものとの独裁的官僚主義)のせいで、ハッピーぢゃない暮らしをさせられている、ソ連及び周辺諸国の人々」
    の、打倒現政権、西側合流の「東欧革命」が1989−1990。
    #
    つまりは、ゴルバチョフが、
    「もう見栄はらないよ。とにかく金がないねんから、小さな政府に仕立て直さなあかんねん」
    ということですね。
    ただ、ここぞとばかりに20世紀初頭から抑え込まれてきた、周辺諸民族国家が独立求めて立ち上がってきます。
    ソ連邦の解体までには、ゴルバチョフさんもバルト三国とかに軍事介入していますから、ここまで早く、激しく、「ソ連」というヤクザ一家が壊滅するとは、意外だったんでしょうね。
    #
    こうやってふりかえると、
    「いやあ、貧しいのに、無理してきはったんやなあ…」
    というのが率直な感想。
    なんかほんと「お疲れ様でした」という感じ。
    興味を持って読むと、この手の新書、お手軽に俯瞰図を見せてくれて、なかなか面白いものです。

  • 新書サイズで革命から連邦解体までを記述しており、第二次大戦後の話に多く割かれております。
    ソ連が一般に抱かれているイメージとは異なり、体制内で異論も表明可能であり、共産党も一方的に抑圧していたのではなく、国民の意見を聞き、それに応えようともしていた、とも。
    特に目新しい知見は得られませんでしたが、チェブラーシカは1974年に初めて映画化されたとのこと。ブレジネフ時代ですね。。
    巻末に参考文献集がおさめられており、最近の研究書は読んでいないので、ここからピックアップして読んでいこうかなと思います。

  • 1917年のロシア革命で実権を握ったソビエト社会主義共和国のレーニンが中心に社会主義革命を進めていく。思い半ばで亡くなりスターリンが後を継いで進めていくが、第一次、第二次世界大戦の疲労で計画通りには経済が回らなかった。また国営のコルフォーズ、ソフォーズも計画は達成できずに食料不足から餓死者まで出てしまう。対戦後は軍備に大量の予算を投入しアメリカと核開発で張合い冷戦時代を一方の雄として過ぎる。1990年にゴルバチョフの時に経済的に限界になり社会主義国家の限界を示す。しかし福祉には力を注ぎ自由主義圏では参考にせざるを得なかった。
    非常に解りやすく纏めており参考になった。

  • 本書は、所謂“政治史”、“外交史”というような分野に止まらず、“経済史”、“社会史”とでもいうような分野に関して詳しい。それが興味深い。

    「過ぎ去った体制(=ソ連)に関して読んでも…」と切捨てず、本書に付き合う価値は存外に高いように思う。現在、“ソ連”が語られる場面は非常に少なくなっている訳だが、本書は「好いタイミング」で登場したかもしれない…

  • わかりやすくソ連、ロシアとはを理解できた。
    現在起きている戦争の背景理解にも。

  • 本書は、その名の通りソ連の歴史を経済的・軍事的・社会的・政治的な側面から網羅的に検討する本である。著者が冒頭で述べているようにソ連体制や社会主義を擁護せず、かつ否定もせずに中立的な立場から論じられている印象である。本書の特徴は、ソ連の最初で最後の大統領で長らく指導部にいたゴルバチョフの回想録が度々引用されている点である。

    北方領土問題が生じた当時の状況や連邦が各共和国によって解体され、それぞれが独立していく過程なども記述されており、今を生きる我々にとっても有益な知識を提供してくれた。

    欲を言えば、冒頭かなんかに地図があると良かった。

  • 「戦争は女の顔をしていない」コミック巻末で監修者オススメ書籍

    だったのたが どちらかというと第2時世界大戦は序章で戦後の指導者と制作がメイン?
    何故国民の中に制裁があったか愛国心はどこからかとかは本作では分からず。。
    伝表とまではいかないが たんたんとしている

    国民の7人に1人 男性だと5人に1人が戦争で亡くなったこと
    勝利に酔いしれたが その後も国民への締付けは緩まなかったこと
    スターリン亡き後恩赦で囚人解放により犯罪がふえたこと

    どうもかたい文章から遠ざかっていたせいか全然頭に入らず。。
    いや学生時代から
    『日本人はなぜ黒縁丸メガネなのか』凄い読みやすいと感じたなぁ。。

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