- Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480066480
作品紹介・あらすじ
高齢化が進み、いずれ消滅に至るとされる「限界集落」。だが危機を煽る報道がなされているのに、実際に消滅したむらはほとんどない。そこには逆に「限界集落」という名付けをしたことによる自己予言成就-ありもしない危機が実際に起きる-という罠すら潜んでいる。カネの次元、ハードをいかに整備するかに問題を矮小化してきた、これまでの過疎対策の責任は重い。ソフトの問題、とりわけ世代間継承や家族の問題を見据え、真に持続可能な豊かな日本の地域社会を構想する。
感想・レビュー・書評
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いいこと言ってる箇所もなくもないが、いかんせん散漫。多くのフィールドワーク事例の紹介が、本当にただ紹介・羅列にしかなっていない。
それとは別に著者が新たな着眼点から提起してみせる「限界集落の真の問題点」というのもあるのだが、ではそれを「どうするか?」という話になると議論は途端に具体性を欠き、ふんわりした理想論・根性論に終始してしまう。
また、帯の惹句だったという「消滅した集落などない!」はその実、「消滅した集落など(今のところ)ない!」であって、「今矍鑠と生きている高齢者たちが退場した後はどうなるかわからない」とは、著者自身も認めている。
しかるに、この本は6年前の作なのである。高齢者にとっての6年は大きい。今(2017年)まさに、6年前に著者が「(まだ)大丈夫!」と太鼓判を押した集落が消滅しつつあるのではないのか。そんな疑念が拭えない。
私自身はまさにこの本にあるような、地方都市に両親を置いて都心に出た「低成長期生まれ」世代だ。そんな私は定年を迎えた暁に地元に戻るのもやぶさかではないが、著者がついでのようにさらりと書いているように、私の子供となるともはや「都市での生活しか知らない」世代である。かれらには都市こそが、著者が情緒的に言ってみせるところの「ふるさと」なのだ。
とすると、かれらに「帰郷」を強制することはできず、本書の言う孫世代=私の世代の帰郷は畢竟、集落の消滅を半世紀かそこら先送りするにすぎないのではなかろうか。他出者が「ふるさと」に帰ればよしとする著者の論理は、この点首を傾げざるをえない。
2017/6/15~6/16読了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1980年代末に、当時高知大学にいらした大野晃氏が提唱したのが「限界集落論」。
これによると「限界集落」とは、「65歳以上の高齢者が集落人口の半分を超え、独居老人世帯が増加し、このため、集落の共同活動の機能が低下し、社会的共同生活の維持が困難な状態に置かれている集落」と定義される。
発表当時はそれほど注目されず、2000年代に入って突如メディアや政府から注目されるようになったという。
著者は、そもそも大野氏が「限界集落論」を提唱したことの意味を整理し、自身の全国の「過疎地域」でのフィールドワークに照らして、本当に限界集落は消滅しているのか、するのか、と検証していく。
2012年初版、2014年7刷なので、現在はどうなのかが非常に気になる。が、山下さんの直近の著作はあの『地域学をはじめよう』などであった。そうかー。
藤里町の事例が出ていて、以前、訪ねて行って、菊池まゆみさんの著作を数冊もらったことがあったことを思い出した。
菊池さんは福祉職として、「お金のない不幸、病気に苦しむ不幸、年を取って体力も気力も記憶力も衰えていく不幸、障害を抱える不幸」などさまざまな不幸を目にしてきた…との過去の自分の発言を、「不幸ではなく不便だった」と言い換えておられる。
限界集落と呼ばれる地域での暮らしも、不幸ではなくて不便である、と言われているような気がした。 -
日本の限界集落に置ける現状とその解決策を知る事が出来た。
自分も田舎から都会の大学に出てきてるけど、定年後は実家に帰るつもり。祖母もまだ生きてるし、あと8年くらいは農作物育ててそう。
限界集落における見方が少し変わった。一方で、これから50年後の日本の集落がどうなってるかはやっぱり心配。
作者のフィールドワークに関して、その村の情報だけじゃなくてもうちょい具体的なエピソードが欲しかったな。新書だから情報量を入れないといけないのは分かるけど、少し眠くなった。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/699516 -
過疎を単なる人口減少としてでなく,世代間の住み分けとして捉えるという発想は面白いし,その結果としての限界集落という認識の提議には意味があると思う。
ただその議論がどうにもぼやっとするのは,結局,親と一緒に農業をやるより,都会に出て労働者になった方が稼げたから,団塊以下は長子も含めてみんな都会に出て行ってしまいました、というごくごく当たり前の前提をどこかで糊塗しようとしているように見えるからではないかと思う。
大正~昭和一桁世代(戦前の多産少子・初めの人口増大世代)の兄弟間で「住み分け」が生じていたことはとてもイメージできる。(祖父母兄弟関係の実感として)
しかし兄弟間の「住み分け」と,子の流出を同じ文脈で語るのはおかしい。 -
限界集落と言われているところでも今の時点では、外部からの関与がない限り、健全に運営されており、直ちに消滅することはない。
しかし、集落の住民が高齢化しており、若い世代の補充がなければ、このままでは問題が出てくる。近郊に居住している親族の帰還を可能にするような施策を取るべきだ、という主張。
帰還を促すのは無理ではないか、という気がします。 -
青森に長年暮らした著者の丹念なフィールド調査の成果が凝縮された、読み応えのある本。
人々の生活の知恵、たくましさが伝わってくる。
著者の地域社会への愛情と「過疎」に対する偏見への怒り
も表れている。