「リスク」の食べ方: 食の安全・安心を考える (ちくま新書 982)
- 筑摩書房 (2012年10月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480066848
作品紹介・あらすじ
放射能に汚染された食品は危険。食中毒を引き起こすレバ刺しは禁止。食にはさまざまなリスクがあるが、食の絶対安全は可能だろうか?一方で、健康にいいからグルコサミンを摂取する、抗酸化物質を排除するといったブームもあるが、それは本当に効くのだろうか?本書では、危険であれば拒否し、効果があれば礼賛する状況に抗するため、それぞれの問題を丁寧に検証していく。「安全」「安心」はただでは手に入らない。
感想・レビュー・書評
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p160 要約
リアルな医学的議論は「各論的に」行われなければならない
「抗がん剤が効かない」というのなら
・どのガンのどのステージにおいて
・どの抗がん剤が
・どのような目的に照らし合わせて
・その目的を達成しているか、否か
というめいだいに置き換える必要がある。
そうしないと「あのがん」と「このがん」、「あの効く」と「この効く」のすれ違いが起きる。
この考え方、当たり前なのだろうけれど、とても大事だ。
日常的にこれをやったら、うるさいのだろうけれど、何かを知ったときに、まるごとで受け取ってしまうことが多い。
でも、実際はほんの一部の現象しか指していないかも知れない。
リスクというのは、ゼロには出来ない。
安全と安心も違う。
安全を求めるのはいいけれど、安心は、リスクゼロには出来ないものなのだし、求めずに、不安でいた方がいい。
リスクと、コストと、それらを考えあわせなければいけない。
というあたりには、うん、って納得するものの、やはり怖いものは怖い…というのは、どこまで自分でリスクを許容するかの話なんだろうね。
当たる確率があっても牡蠣を食べたい人は食べるわけだし、私も賞味期限は「ま、これくらい」って言って、二年前賞味期限の茶葉を平気で使ったりするわけだし。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第三章「食べ物には危険がつきもの」は、リスクをゼロにするということがいかに荒唐無稽であるか、実例豊富に語っていて実に面白い。
「安心=思考停止」と「疑心=陰謀論」の中庸を綱渡りし続けなければいけない。これが大人の責任。
「万が一にも」「もし何かあったら」「可能性は否定できない」は思考停止のステートメント
・レバ刺し禁止に至る議論の無責任
・トクホのデータ論拠いい加減さ
・ビタミンEは心臓病を減らさない
・ビタミンA,C,E、セレニウムが長命につながるおちうデータは無い
・ポリフェノールのがん予防効果は示されていない -
ゼロリスク思考の危険性と幼稚さを具体例を上げながら指摘。
はじめにのところに『「この本を読んでいるあなた。あなたもこの問題については共犯者なんですよ、たぶん」といった有責性の自覚を促す、わりと苦々しい本です、本書は』と書かれています。 -
ユッケの騒ぎがあった記憶はあるが、そんな無茶苦茶な禁止令が出されていたとは知らずビックリした。
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どんなものにもリスクはあって、結局不安がらずに事実を直視して、リスクを自分で選んでいくしかないよね。
安全は求めても安心を求めすぎるのは良くない。
安全、安心は似てるけど、まったくちがうことばでした。 -
医師の書くリスク本なので健康リスクになるわけだけれど。
リスクを選ぶときにリバース可能かどうか、をいうのはちょっとずるいかもしれない。説得しやすくはある。日本にいてもリスクを見積り対処する能力は作れるようにするのが教育であり議論だろうと思うが、どんどんやりにくくなってきているように思える。この自殺が多く生きにくい国で生まれて育った割には私はのんびりしているのはなぜなんだろう。結構安心しているし安全でありがたいと思って暮らしているのはなぜだろう。 -
レバ刺し禁止騒動を例に、食のゼロリスクを追い求めることの愚かしさを新書らしく分かりやすく解説。放射能のリスク〜原発再稼働問題についてふれた章は少し唐突な気もする。「安心=思考停止」の指摘は、成る程その通り。
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S498.54-チク-982 300247749
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食べ物、予防接種、あと本書では言及してないけど出産も、消費者側や国がゼロリスクであるべき!を掲げちゃうと歪んだ構造になるよという話。
リスクをうまくとれる人生のほうが幸せだよね。
日本ではリスクという言葉にギャンブルとか危ないみたいなマイナスのイメージあるよね。