前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書 987)
- 筑摩書房 (2012年12月7日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480067005
感想・レビュー・書評
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こじつけだなんだという意見が多そうなのだけど、アイドルとキリスト教を並べて語って共通性を見出だしていくならば、文化レベルの違いからこじつけざるを得ないだろうと思う。
というかこの話題はどう書いてもこじつけと言われるんじゃないか?
個人的にAKBについては「まぁ知ってる」くらいのスタンスで読んだのだけれど、AKBがキリスト教を越える存在になるかどうかは別として、現代社会の新しい宗教として見てみるのは非常に面白いアプローチだった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
作者のAKB好きがわかる1冊。というか、それ以外の感想はよくわからない。変に哲学的な表現が多くて、わざと難しく言っているのではないか?と思うほど。ただ作者が単純にAKBにはまっている。というのはよくわかる。
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マジオタすごい。震撼した。
一アイドルファンとして弁解しておくと世の中こんなドルオタばかりではないです。 -
どうしようもない。オタクが自分の思いを無理やりこじつけた感が抜けていない。
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AKB48の魅力とは何か? なぜ前田敦子はセンターだったのか?後に『不動のセンター』と称せられた前田敦子ちゃんを徹底的に分析することによってAKB48の持つ「宗教性」をあぶりだしていきます。
『前田敦子はキリストを超えた』
このセンセーショナルなタイトルは筆者の友人であり評論家の宇野常寛氏のツイートがきっかけとなっているのですが、時代と場所が違えば恐らくこれは轟々たる批判を浴びていたであろうなぁと思いながら本書を手にとって見ました。
内容はというと、自らもまたAKB48の『ヲタ』を自認する筆者があっちゃんこと前田敦子(性格には元メンバー)と筆者自身が『推しメン』として大ファンであるぱるること島崎遥香を中心にしてとしてのAKB48を新書一冊分丸々使って語りつくすと言うものです。それにしても『識者』と呼ばれる人間に思い入れ100%の本を何冊も書かせるAKBグループはいまや巨大な『モンスター』となってしまった感が否めません。
僕は半ば距離感を置いて本書を半分ほど読み終えた頃、好きな作家の佐藤優氏がラジオでここに書かれていることとほぼそのままの見解を話しているのを聞いて、やっぱりキリスト者(佐藤氏はプロテスタント神学)からAKB48を見ても、彼女たちにはそういった側面を持っているものだったんだなと思い、改めてここに書かれている内容を読み通してみたのでした。
「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」
前田敦子ちゃんが第三回選抜総選挙で1位を取った際、壇上で彼女が話したスピーチの内容は有名で、この中には『利他性』というものが存在すると筆者は説いております。この『利他性』というある種の『自己犠牲』はAKBメンバー1人1人の中に刻み込まれており、ついでにいうなれば第五回選抜総選挙で1位となった「さしこ」こと指原莉乃ちゃんの中にも確実にそれらが存在すると思うのです。
僕はこの辺のことをまったくわかっていないのですが、『アンチ』という存在がいて、1つはAKBそのものに対して否定的な、もしくはまったく興味の無い『AKBアンチ』もう1つはAKBの『ヲタ』のなかに存在する『AKBヲタ内アンチ』というものがあるそうで、これは昔日の会社の中にあった『派閥』のようなものだなと思っております。日ごろは『○○アンチ』や『××アンチ』といったようにメンバーやそのファンたちを非難していても、外から彼女たちの悪口を言われればガッチリと結束する。そういう風に捉えております。
しかし、彼ら彼女らがネット上に膨大な量で排出する匿名の批判。場合によっては誹謗中傷とも取れる発言の数々になぜああも耐えうることができるのか?その疑問に対しても筆者は、握手会や劇場公演などのナマで彼女たちを見る機会、さらに直接ファンとメンバーが直接交流できる機会を通じて、『ヲタ』が『メン』に大して語りかける励ましの言葉によってであるという分析は『あぁ、なるほどなぁ』と感じ入ってしまいました。
さらには、AKBグループ独特のシステムである『推し』について、第三章の『なぜ人は人を「推す」のか』で徹底的に語られており、AKBの運営は「偶然性」というものに彩られているということや、「擬似恋愛」としての側面を挙げて、彼女たちへの『ヲタ』の想いは恋愛でも性愛でもなく『恋→政=愛』という形態をシステム化させたということや、古典的なロマンチックラブの甦り、さらには彼女たちが成長していくのを「見守る」という「喜び」そして「商品」でありながら人間でもあるというアイドルのある種不思議な存在にぱるること島崎遥香ちゃんの例を用いて解説されており、その『熱さ』に思わず打ちのめされそうになってしまいました。
最後になる第四章の『AKBは世界宗教たりうるか』では
「たかがアイドル、されどアイドル」
で本当に世界宗教になるのか否かということはさておいても、ここまでのシステムを「偶然」とはいえ作ってしまった秋元康氏とわずか7人という観客からスタートし、今やその一挙手一投足までもが衆人にさらされるようになり、その中でも『傷つきながら、夢を見る』彼女たちを『推し』たくなるという『ヲタ』たちの内在的論理や行動原理は少しだけわかったような気がいたしました。 -
了。
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あるWebニュースで次のような見出しが躍った。
「『宗教上の理由』で休日出勤が免除されるなら『アニメ』『アイドル』イベントも認められるべき?」
この議論は既存の宗教界に波紋を投げ掛けている。一方は「神」への信仰、もう一方は「ネ申」への信仰である。そんなイベントが宗教的理由と同等とされるはずがない、というのは宗教界側の理論であり、オタ側の理論とは真っ向から対立する。
書評子は決してAKB48なるものが好きなわけではないが、しかし若者たちを虜にし熱狂させるあの“現象”が、どのようなシステムによって成り立つのかという意味において大変興味深く捉えている。オタにとってアイドルは趣味の領域を超える存在である。もし彼らが「生きるにも死ぬにも唯一の慰めがAKBである」と公言するなら、その者たちにとってAKBはある種の宗教となる。
本書の著者 濱野智史はNHK NEWSWEBのコメンテーターなどを務める若手の社会学者である。要点をまとめるとこうだ。メンバーの前田敦子は最も人気があったがアンチも多く、匿名からの激しいバッシングと口汚い罵りに曝された。しかし彼女は、AKB総選挙で1位を獲ったにもかかわらず「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください!」とアンチに向かって懇願したのであった。
著者はこれを「自らを犠牲にしてでも利他性に生きようとする超越的行為である」と受け止め、ここにキリストを垣間見たと述べる。著者は「キリストが背負った原罪に比べれば前田敦子の方は人類史的に見てはるかに軽い」という前提で論じており、全体的にいうならば、題名のインパクトとは異なり冷静な分析をしているといえるだろう。
書名を見て眉をひそめる必要はない。Amazonの古本だと300円程度なので、興味があれば是非。筆者は250円で購入した。(C・M) -
【動機】AKB0048の参考資料として。
【内容】社会全体を語るためにシステムの外(アーキテクチャ)に注目し、AKB48のアークテクチャや宗教としての側面をレポを交えて解説している。
【感想】「近接性」を重視する論調が「在宅」の身としては共感しづらく、興味深かった。 -
今までもいろいろな出版をうぃている著者だから、新書の形で出版が許されたんだろうか。同じ本を他人が書いても出版されていなかったんじゃないかなと思う本だった。だから、評価はよくないです。
近接性、偶然性、それに、アンチの迫害性をキーワードに、社会学を専門としている著者らしい著名な書物や理論などを駆使しして、AKBは世界宗教となりうり、その穴Kで前田敦子はキリスト教のキリストになるということだが、まあ、学者先生が分析するとこんな風になるのかなと感じかな。AKBヲタらしい、当時の経験談などは読みながら笑ってしまいましたが。
ちなみに、大きな物語として、マルクス主義が進歩主義に近いことを再確認したりと別な意味で社会学の理論を確認したり、キリスト教の「預言」が正しい表記なのですが、本書は「予言」と書いてあって、宗教的にはあまり強くなく、社会学者の面が強い著者だと思いました。