第一次世界大戦 (ちくま新書 1082)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067869

感想・レビュー・書評

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  • あまり日本では取り上げられることのない「第一次世界大戦」。本書のまえがきにあるように、歴史の教科書で、おおまかなことしか学んでいない。
    しかし、本書では丁寧に、戦争の発端、経過、あるいは、各国の政治・経済状況などをふまえながら解説している。
    2014年は、第一次世界大戦から、ちょうど100年ということもあり、この本が出版された(と思う)。
    巻末には、参考文献や略年表も掲載されており、好感が持てる。
    良書。

  • 近現代西欧史、とくにドイツ史の大御所による待望の第一次世界大戦論。学界の研究水準に目配りしながら、第一次大戦の全体像とその歴史的意義について書かれたレベルの高い啓蒙書と言えるであろう。日本人にとっては馴染みの薄い第一次世界大戦がある意味で現代社会の起点でもあり、それゆえ「第一次世界大戦はなお歴史にはなっていない」という最後の言葉は重い。

    各国の外交的思惑、各作戦の意味、最前線の兵士たちや銃後の様子などバランス良く叙述され、大変勉強になった。オススメである。

  • アメリカのコメディを観ていて、以下のようなやりとりがありました。

    俳優「行かなきゃ!第1次世界大戦の兵士の役なんだ!ナチスと戦ってくるよ!」

    友人「待てよ!ナチスは第2次世界大戦だよ!第1次は違うよ!」

    俳優「そうなの?第1次は誰と戦ったの?」

    友人「・・・。早くいけよ!時間がないよ!」

    #

    大いに笑ったのですが、実は自分もあまり笑えないなあ、と思いました。

    #

    と、言うわけで、ちくま新書の「第1次世界大戦」。227頁。お手軽です。

    2014年、第一次世界大戦開戦100年記念の年に出版されています。
    著者の木村さんという方は、1943生。歴史学者で、専攻は西洋近現代史、ドイツ史だそう。
    真面目な本です。

    分量が初心者には程よくて、大変に面白かった。

    以下、もうとにかく、備忘メモ。
    書いてあったことと、自分が思ったことが混ざると思いますが。

    (それから、最近実は、映画「仁義なき戦いシリーズ」(1973-1976)を見直していて。やっぱりよく出来ていて面白いなあ、と。
    なので、例えがすべてヤクザの勢力争いになっていくかも知れません。)

    #

    第1次世界大戦は、1914年に始まって、1918年に終戦。講和条約調印が翌年1919。

    組分けは、

    ●ドイツ、オーストリア・ハンガリー、オスマン(雑に言うと今のトルコの地域+α)、ブルガリアの、「同盟側」

    ●フランス、イギリス、ロシア、セルビア、ベルギー、イタリア、ポルトガル、アメリカ、などの「連合側」
    ※これに、一応日本も入っていました。

    #

    どうして始まったのか?

    正直、それがいちばん知りたかったです。
    どのように戦闘が進んだか、とかは、実はまあ、そんなに興味はないのです。

    どうしてそうなっちゃったの?

    意外とそのシンプルな問いに答えがないまま、現実が進行していることって、仕事でもなんでも、ありがちだなあ、と...。そうぢゃないですか?



    というわけで、どうしてはじまったのか。

    そのためには、始まる前の状況がどうだったのか。

    さらに、どうしてそうなっていたのか。

    その備忘録が長く、長く、以下続きます。

    あくまで、後日後年自分が読んで思い出すためなので、ご注意を。

    #

    まず、1900年初頭の「世界」がどうなっていたのか。

    「白人キリスト教連合」とでも言うべき国々が、圧倒的な暴力支配を行っていました。

    1900年に始まったわけでは、ありません。ずっと前から、例えば「大航海時代」。
    他の国への圧倒的暴力で簒奪を行って。
    このときは、何と言っても、「スペイン・ポルトガル派」が強烈でした。

    その後、「産業革命」で他人種より早く工業化を達成。

    軍事力暴力だけでなく、

    「生産物を売りつけて簒奪する、経済ヤクザ的なシノギ」

    を身に着けてしまいます。

    #

    その流れで1700年代〜1800年代、イギリスが何と言っても最大の勢力を持ちます。

    「産業革命」で獲得した工業製品。

    より進化した武器弾薬。船舶。

    そういった武器を手にとって、暴力を行使して、あるいはちらつかせかせ、植民地にする。

    自国商品を売りつける。
    邪魔くさい「関税」とか言い出したら、言い出した勢力を暴力で潰す。

    対抗する地場産業、というのはそもそも無いような土地の方が楽。

    だから、産業革命が行われていない有色人種の土地まで、はるばる出かけていく。

    まずはそこの王様が、尻尾振ってこっちの犬になるように脅す。

    一方でアメも食べさせてあげる。

    でもその王様が、どうも地元を把握する力がなかったり、あるいは反抗してくるようだったら。

    そこの地元の、ちょいと賢い奴を子分にして、そいつに権力を握らせる。当然、反対勢力がいたら暴力で潰す。
    そうやって新たに権力を持った子分は、人形のように操る。反抗するようなら、別の人に置き換える。

    相手は有色人種だから。つまりは、「白人キリスト教連合」からすると、「誰の身内でもない」。
    なので、どの派閥からも「うちの身内に、なんてことしてんだよ」という物言いが付かない。

    産業革命化してない国(有色人種の国)が相手だから。
    最悪、一丸となって歯向かってくるようなことになっても、拳銃すら持ってない、ヤッパだけの集団。勝てる見込みもある。強気に出れる。
    (でも出来れば。出入りというか戦争になると、金がかかる。だから、地元が「一丸となって団結」することのないように、利害をちらつかせて、分断して操る)

    …と、言うようなやり方で、「植民地」を経営する。

    できれば、表向きは地元のトップ連中を言いなりにして、「自治しているよ」という見せかけを作り、大勢の不満を自分からそらす。

    その上で、言いなりトップ連中から、高額の「上納金」を搾り取る。

    美味しいところ、石油とか。そういうのは、自分の政府や商人が美味しいところは全部持っていけるような仕組みを作り上げる。

    というのが、いちばんスマートな「植民地経営」というシノギなんですね。

    #

    ただ、このシノギを回していくためには。
    「武闘派」だけではなくて「経済ヤクザ」を上手く組の経営に取り込まないと、大きくなっていけない。

    「代々の王様が、バカでもチョンでも、とにかく世襲でものすごい権力を持つ。王様の取り巻きが権力を持つ」

    というのでは、どうもアカン。

    工業労働者、熟練工、都市生活者、商売人、物流、金融、、、と言ったことを仕切れる、「頭の切れる若い衆」が大量に必要。
    そして、「シノギのための、ある程度の世の中の自由さ。旅行とか、商売とか、工場作るとか」が、必要。

    そこで、イギリスを筆頭に、貴族の既得権益は破壊しないように気をつけながらも、「自由化・議会共和制」という、組織改革を勧めます。自由と、民主主義ですね。

    ただこれは、「完全平等」とか「公平配分=共産」とは全く違うんです。

    今の日本もそうですが、

    「新しいシノギのために新しいチーム編成が必要。
    そのためには新しいピラミッドのカタチが必要」

    ということなんです。

    #

    中世だったら。
    王侯貴族という、ごくごく少数の身内、言ってみれば「正社員」だけでよかったんです。
    この正社員は、正社員だから、福利厚生とか保険保障も約束してあげる。

    ほかの「農民たち」とかは、言ってみればアルバイト。
    会社に忠誠を尽くすことも求めません。使い捨て。
    その代わり、人権とか、そういう福利厚生も企業年金も一切不要だったんです。

    ただ、その組織のあり方では、他の組に負けてしまう時代になった。

    もっと大勢の正社員が必要なんですね。

    もっと大勢の、多様な、サービス残業してくれたり、会社のために人生捧げるような、「あいつ邪魔だな」と呟いたら、察して拳銃持って殴り込みに行ってくれるような。もっと大勢の社畜が必要。

    当然その社畜たちには、餌としての「出世競争」「正社員としてのプライドや安心感」も与えなくては行けない。

    福利厚生、ポスト、企業年金が必要です。

    こういうカタチで、「国民国家」「近代国家」が緩やかに出来上がっていきます。

    かんたんに言うとそれまでは、農民たちからすれば、国家がどこと戦争しようが、大まかどうでも良かったんです。まあ、所詮バイトだし。

    (無論、違う言葉の人に支配されたりしたら、素朴な愛国主義に火がつくことはあったわけですが) 

    #

    と、言うわけで。第1次世界大戦前夜には、

    イギリス、フランス、の2国が、いちばん上手いことシノギをやっている巨大な国でした。

    イギリスは産業革命=植民地シノギを率先したし、島国のお陰で自国が戦乱に巻き込まれなかったし、強烈な海軍力=武力を持っていました。

    フランスはもともとが農業大国で土壌的に豊かだし、革命のお陰で、古い体制の破壊が図抜けていたし。陸軍力が強かった。フランク王国以来の、「白人キリスト教連合」の中の、老舗でいちばんトレンドでモードな存在、という既存イメージもあります。

    (ギリシャやローマはもっと老舗なんだけど、武力とか組織力というリアリズムな力が圧倒的に不足していました)

    イギリス、フランスに続くのが。

    ●田舎者だけど圧倒的な土地と奴隷たちを持つ、ロシア。

    ●北の成り上がり者で、武闘派を抱えてギラギラとトップ2の縄張りを狙っているドイツ。

    ●それなりに老舗なんだけど、モダンスタイルに変換できてない、オーストリア・ハンガリー連合

    みたいな構図なんです。

    ただ、順位で言うと、圧倒的にイギリスが1位。図抜けている。
    そして、フランスが2位。そこまで割りと、鉄板。

    #

    その中で、ドイツ。

    この北方の新興派閥は、新興の悲しさで、植民地レースに出場が遅れました。それでも必死に、いくつかの植民地を獲得。

    (どうしてドイツが新興なのか、ということを考えていくと、更に中世の歴史まで踏み込んでいく必要があると思うので、詳しくもないしここでは割愛)

    「イギリス、フランスに、いつまでも美味しいところ独り占めさせておくんかい?俺らの方が実力あるじゃない」

    という、武闘派集団なんです。
    何と言っても、後発で割り込んでいくには、武力がないと出来ませんから。(上位2チームだって、結局は武力ですから)

    そして、1800年代終盤に、鉄血宰相ビスマルクの親分が、メキメキと組の力をつけて。

    なんと普仏戦争で、フランスをこてんぱんにやっつけた上に、相手の大親分ナポレオン三世を捕虜にする、という偉業を成し遂げます。

    フランスからすると、どうにもカッコ付かない。ナポレオン三世は失脚し、跡目争い…。

    #

    と、言うわけで。

    話が長くなって恐縮ですが、第1次世界大戦前夜の「世界」っていうのは。

    ●絶対王者イギリス

    ●ドイツに噛みつかれ気味のフランス

    ●後発の田舎者だったはずなのに、3位はほぼ確保して、まだまだ上昇志向のドイツ

    ●古豪の位置にいるオーストリア・ハンガリー連合

    ●山一つ超えた田舎に広大な領地を持つロシア。

    ●微妙にキリスト教ではなかったりするんだけど、地理的に近くてデカいから、オスマン帝国。

    ここまでがビッグ6。

    ●上記のどれかに盃を貰って、顔色を伺いながら地元を守る、他のヨーロッパ諸国。

    と言ったあたりが、「白人キリスト教連合」として他の地方を植民地支配していたようなものです。

    そして、もともとこの連合から分派して、またたく間に別大陸で頭角を現した超新興勢力が、海の向こうの、ちょっと変わり者の「アメリカの叔父貴」。

    なにせ新興で、ハナから共和制だから。
    王侯貴族同士の友愛関係っていうのはないわけです。
    「ほら、先々代からの付き合いじゃないの」
    「あんたのおじいさんには世話になったからのう」
    「あんたの従姉妹がわしの女房じゃけん」
    というような、セレブ社交が通用しないんですね。この叔父貴には。
    それにヨーロッパの覇権には興味が無い。商売を無事出来れば良いってくらいで。
    でも、「白人キリスト教連合」ではある。それがアメリカ。

    そんな感じでしょうか。

    #

    ビッグ6は、それぞれに、新しいシノギに対応できるように、正社員を増やす「巨大企業」を目指して改革を進めています。共和制。

    そして、ビッグ6同士の戦いは面倒だからなるたけ避けて、周辺の国とか、遠隔地の植民地とかで、争ってる。代理戦争。

    ただ、この「巨大企業化」っていうのは「巨大領土」と実は相容れない部分があって。

    これまでの歴史地理、主に宗教対立(同じキリスト教でも分派対立があったり、中世からの因縁で一部イスラムの地域があったり)。

    そんなごたまぜの土地を抱えている辛いんです。

    「まあお前らバイトだし」
    「どうせ俺らバイトだし」

    だったら良かったんですけど。

    「俺らだって社員だろ?
    地域とは人種で差別おかしくないか?
    だったら俺ら、独立すんぞ。
    あるいは、あっちの組にいくぜ」

    みたいなことですね。

    と、こういう火種を、膝下の組内で抱えていたのが、地理的な要因から、

    ●オーストリア・ハンガリー帝国。

    ●オスマン

    ●ロシア

    あたりだったんですね。
    熱かったのが、ヤバかったのが、バルカン半島。
    (日本人の馴染みで言うと、オシムさんとかストイコビッチさんとかハリルホジッチさんの地元ですね)

    (このバルカン半島の諸国が、要するに揉めていた訳です。揉める理由としてはこれまた中世からの民族問題や宗教問題があって興味深いのですがここでは割愛)

    #

    このバルカン半島の問題で、言ってみれば「憂国の志士」みたいなセルビア人青年が、オーストリア皇太子を爆殺。ここからオーストリアがセルビアと戦争に。

    これで、しばらく拮抗していたヨーロッパの勢力が変わる匂いが漂います。

    オーストリアと利害が摩擦していたフランス、ロシアとしては、黙っていて良いのか、という緊張。

    ここから、オーストリアと五分盃を交わしていたドイツが、ヨーロッパでの領土・覇権を更に求めて、フランスとロシアと戦争に。

    #

    ここンところが分かりにくいんですが。

    まず簡単に言うと、

    ●「数か月、あるいは数週間で終わると思っていた」

    という要素が第一。

    加えて、ヨーロッパお膝元ではガチガチに同盟関係が入り組んでしまい、

    「ウチがヤるんやったらアンタんとこも知らんぷりはないんじゃないの」

    というドミノ倒し現象。

    更に、バルカン半島の覇権は、黒海という南方の海の利権もあってロシアに影響大。

    更に、ベルギーやアルザスロレーヌなどの西部戦線、東欧諸国の利権という東部戦線、両方で、新興ヤクザであるドイツは、フランスそしてロシアと因縁があったんです。

    #

    簡単に言うと、ドイツ的には

    「俺ら最近負け知らず、また老舗の連中を脅して縄張り増やそうやないか」

    という感じが、当らずとも遠からずだと思います。

    そして当然、フランス、ロシア、そして遠巻きに見守る最大組織イギリスも

    「ドイツの奴、ちょっと頭にのってるんじゃないの。俺らこのままじゃカッコつかないじゃない」

    #

    何よりも、参加者全員が、

    「まあこの出入りはすぐに終わるじゃろう」

    と思っていたんです。

    「4年間、組の全財産と、組員の1/3くらい殺してでも、全面戦争やぁっ!」

    という気持ちでは、誰も初めてないんですね。

    #

    だけど。いろんな要因があるでしょうが。

    科学の発達で

    「こりゃ思ったより金がかかるし、簡単に終わらへんのちゃうか」

    となってしまいました。

    ●銃器以上に大砲が驚異的に発達してしまったので、接近戦になる前の、塹壕にこもった同士の大砲持久戦になってしまった。

    というのがいちばん大きかったようです。

    これに更に、

    ●航空機、毒ガス、潜水艦

    みたいなものも登場します。

    言ってみれば、

    「騎士同士の一騎打ち」
    「武士同士の果たし合い」

    みたいな状況から遠い遠い地平線。

    「相手の姿も見えない距離で大砲を物凄い量を撃ち合い、破壊し、殺しあう。敵陣を壊滅させてから進軍する。それでも進軍すると、塹壕と機関銃が待っている」

    という世界。

    もうほんとうに、普仏戦争全体の大砲の弾数と同じくらいの量を、平気で2日とかで撃ちまくっちゃう訳です。
    相手も撃つから。負けるわけに行かないし。

    #

    そこでどの組も、いや、どの国も、

    「これはまずい、カネが足らなくなる」

    という事態に陥ります。

    とにかく出入り喧嘩がはじまった以上、負けたら賠償金を払わされます。

    「ここまでカネ使った以上、絶対勝たなきゃまずいんじゃない。賠償金を取れる条件じゃないと、戦争を終えられない」

    もう、こうなると、全部の国が、負けが込んできたバクチの、マイナスのスパイラルですね。

    払えないから、倍々プッシュで続けるしかない。女房を質に入れてでも。

    借りれるところ(中立だった国)からはとにかく借りまくり。

    近代国家の仕組みごと、国民は倹約質素、そしてカネは全て戦争に当てます。

    #

    そして、結局はナポレオン戦争と同じで。

    「成り上がり者の攻勢に対して、イギリスは、始めはスポンサー的に背後から応援。最後には、参戦」

    という構図。

    第1次世界大戦の「海軍」で言うと。
    まだ航空機・空母ではなく、恐らく日露戦争的な軍艦のどつきあい。

    そして、ここでは海軍大国英国が強く、ドイツは制海権を最初から最後まで奪えなかったんですね。

    (どうも海軍というのは物量が勝敗を物理的に決めてしまうらしく、無謀なせん滅戦、ということがあまりありません。ドイツ海軍は、ほぼ勝負を挑まなかったようです。兵隊になるなら、海軍のほうがいいなあ…)

    その為の苦肉の策が、潜水艦作戦。

    そして、ドイツがイギリスを痛めつけるために、商船を無差別攻撃したことから、「商売の大国」であるアメリカもとうとう、参戦。

    オーストリアが弱体化していたことから、ほぼほぼ単独で奮闘していたドイツは、劣性。

    そうなると、様子見だった国々が、一斉に英仏側で参戦... そして、終戦。

    と、言う流れ。

    #

    植民地の争い、火事場の泥棒的に、アフリカでもアジアでも戦争は行われました。

    ただ、簡単に言うとアジアではほぼ激しい殺し合いはなくて。
    日本が、英仏米が忙しいうちに、アジアのドイツ領をかすめとったんですね。

    「いちばん犠牲を出さずにぼろ儲けしたのは日本だ」

    と当時から言われていたそうです。

    日本も、ドイツと同じですね。
    1904年、日露戦争。コレ、かつかつのところで一応勝った形で終えて。新興ヤクザとして、追いつけ追い越せでガツガツのし上がりましたから。

    だからまあ、やがて出る杭は打たれるというか...。

    #

    終わってみればですね。

    参加各国はとにかく膨大にカネが無いわけです。

    もちろん、いちばんきついのは負けて賠償金まで背負ったドイツだったわけですが。

    (この不平不満がヒットラー台頭を呼ぶんですね)

    それ以外の国も、みんなインフラはぼろぼろ、男性は大勢死んで、もうへろへろです。

    結果的には、国土に一切傷がつかずに、焼け跡のヨーロッパに大量の商品を送り込める国力を維持した、アメリカだったわけです。

    言ってみれば、ヨーロッパはお互いにメンツとプライドと先読みの甘さでどつきあって、アメリカ(そして日本)に縄張り、カネ、美味しいところを持って行かれたようなものです。

    そして、長々書いたように「近代国家」になったことの軋みから始まっていますから。

    「近代国家」=「みんな正社員社会」=「異民族、植民地はどうすんねん」

    という玉突き問題は解決せずに、むしろ広がります。

    結局この問題は、

    「植民地経営っていうシノギはもう、無理やな」

    という方向に、第2次世界大戦を経て収束していきます。インド独立、とかですね。

    そして「近代国家」へのスライドが色んな理由でぐだぐだだった、大国ロシアは、「社会主義革命」という荒技で「近代国家」に変態していきました。

    #

    第一次世界大戦で、どの国も

    「こらぁ、一家あげて戦争に貢献しないと、勝てないわ」

    というきつい喧嘩をしましたので。

    「挙国一致体制」というか、とにかく普段の共和制とか自由経済とか、一旦お休みにしておいて、ずべての経済とか人手を、戦争に集中させる、「戦争優先」という国の仕組みを、試行錯誤しながら作ったわけです。

    つまり、強烈な中央集権。議論より行政。
    強い国家。自由より統制。
    みんなで同じ方を向こう。
    プロパガンダ。

    これはこれで、実はおそらく有史以来初めての国家的「実験」だったわけで。

    第一次世界大戦後、世界恐慌の季節ののちに、「強い国家」による解決、独裁者の季節、という流れになる下地が出来たのかもしれませんね。

    #

    ほんと、「近代国家同士がどつきあうと、えらいことになる」ということを思い知った訳です。

    なんですが。

    今と違って、ネットもSNSもありません。報道の自由も、比較的まだ制限があった。

    だからなんでしょうね。第二次世界大戦が起こっちゃうのは。

    当然この本は、100年後に分析して振り返っている訳で。

    凄まじい悲惨な殺りくの年月を知ると、「歴史から学ばんとあかんなあ」と、しみじみ、思いました。

    #

    その他、女性の国家への参加の仕方とか。

    イタリアと北部イタリアの領土問題とか。

    あと、近代戦争の戦場のリアリズム、つまり、机上の作戦が全然その通りに行かないこととか。

    オーストリアというのが、老舗の大国だったけど、この戦争で、ぐっと弱体化しちゃった、ということとか。

    色々と雑学的に「へ~」もありました。

    地味な新書なんですが、けっこう面白かったです。

    (ただ、読み終えて、日、一日と、どんどん忘れていくのですけれど...)

  • 第一次世界大戦開戦から100年にあたる2014年に多く出た関連本の一冊。軍事的な動向を中心に、大戦の概要がコンパクトにまとめられている。

    「おわりに」によれば大戦がもたらしたものは以下のようである。
    ・列強中心の国際関係は否定され、対等な国家からなる国際関係(国際連盟)へと移行した。
    ・多民族帝国が崩壊し(ロシア、オーストリア、オスマントルコ)、国民国家への移行が進んだ(民族自決権の承認)。
    ・戦争に動員され、多大な負担を求められた国民は、義務に見合うだけの権利を求め、国家もそれに応じざるを得なかったため、ここに国民参加型の国家が成立し、福祉国家への道が拓かれる。また、戦時下においては戦場に出た男性の穴を埋める形で女性の社会進出が進んだ。
    ・ヨーロッパは思想的にも経済的にもその地位を低下させた。
    ・大戦という強大な暴力行使は、政治文化を暴力に対して寛容にした。

  • 【久保田和男先生】
    第一次世界大戦が始まったサラエボ事件から、今年2014年は、ちょうど100周年となった。本書は、戦史と戦時下の社会の歴史の両方にバランス良く目配りしており、この大戦の実態を詳しく知ることができる。最新の研究成果が紹介されており、授業の準備にも役に立った。特に、第一次世界大戦が、エリート主義の時代から大衆社会への変換を加速したという視点が共感を覚えた。序章は、研究史の整理になるので、学生諸君は、第1章の、大戦の始まりのところから、読み始めよう。今日の混迷する国際紛争の起点を知りたい人たちに是非お勧めの本である。なによりも、ベテランの研究者による文章が読みやすい。

  • [一変の戦]主にヨーロッパを中心として甚大な人的・物的損害をもたらし、その後の世界の在り方を一変させることにつながった第一次世界大戦。一つの暗殺事件がどのようにこの歴史的災厄につながっていったのか、そして戦争の過程で国際社会や各国の国内体制がどのように変化していったのかを、最新の研究を基にまとめあげた作品です。著者は、西欧ヨーロッパ、特にドイツを専門とされている木村靖二。


    日本の歴史の教科書ではどうしても小さく扱われてしまいがちな第一次世界大戦ですが、それがもたらした今日にまで続く影響の大きさに驚かされます。また、従来の見方とは異なる見解も紹介されており、第一次世界大戦そのもののみならず、それをどのように歴史に位置付けていくかという点を紹介してくれているところも素晴らしかったです。


    個人的に読み応えが特にあったのは、列強諸国がどのようにしてドミノ倒し的にこの大戦に関わるようになったのかを解説した箇所。相手国の意図や能力の過小評価といった点はもちろん、列強体制に加わったままでありたいという、俗な言葉を使えば「プライド」とも受け取れる観点に比重が置かれていたことには少なからず考えさせられるところがありました。

    〜最終的に参戦を決断させたのは、列強としての地位が危険にさらされているという、伝統的な列強体制特有の論理であった。……列強としての地位が危うくなる事態を前に、戦争に訴えもせずに後退するなら、それは列強として声望や地位を失うことだ、というのが当時の支配的見解であった。〜

    日本の関わりも紹介されていますので、日本史に興味がある方にもぜひ☆5つ

  • 第一次世界大戦の開戦から100年ということで出版された新書。日本では比較的なじみの薄い(戦場になっていないので)第一次世界大戦だが、ヨーロッパ世界にとっては、数千万人の死者を出す大戦争であったことから自らの文明性の根拠が掘り崩されてしまったこと、列強のみによる国際関係が終焉を迎えたこと、帝国(ロシア、オーストリア、オスマン)が崩壊し、国民国家が世界の構成体となったこと、などから世界史的に重要な意味を持っていた、とする。

    印象的なのはドイツの「場当たり的」な戦争戦略で、無謀な拡大戦争を継続したため限界が来たところで反撃にあい戦線をどんどん後退させて負けてしまったこと。日本のアジア太平洋戦争における負け方と似ているのではないかという気がした。

    また、前線と銃後との単純な二分法を批判し、両者は意外と近接の関係にあったことを示した点も印象的だった。これは、アジア太平洋戦争における日本のように海を隔てて出兵したがゆえに、地理的に前線と銃後が区分けされるのとは違う、ということを教えられた。

    ドイツ軍を率いていたルーデンドルフは、第一次大戦後はヒトラーと組んでミュンヘン一揆を起こしたという。ルーデンドルフという男、非常に気になる人物である。もう少し調べてみたい。

  • 第一次世界大戦の経緯と事象が淡々と綴られていて、レポート作成の史料としては最適だが、読み物としては退屈。強い関心がある人にこそ薦められる。

  •  第一次世界大戦についての日本語による手頃な入門書がこれまで皆無だったので、本書はその点だけも価値がある。もう少し社会経済史的な叙述が欲しい感はあるが、新書の制約上やむないところか。

  • 第一次世界大戦についての、どちらかといえばミクロ視点の入門書。
    第一次大戦は何故勃発したのかという起源についての学説を序章で概観し、以下、1914年以降の時系列に沿って大戦の戦史、政治史、時に社会史にも目を配りながら、明快に記述されている。

    第一次大戦についての膨大な先行研究に立脚した論述の厚みや、学会や社会での大戦の受容のされ方の推移についてもコンパクトに述べられているのが特徴。
    深みにはまりすぎずも、大戦の幅広い面についての理解をしっかり深めてくれる、一般向け図書としては大変良くできた一冊。
    教科書執筆に携わっている著者だけあり、文章がこなれている。

    欲を言えば、後の歴史に与えた影響や、歴史の長いスパンで見たときの第一次世界大戦の位置づけ・インパクトについての議論がもう少し多ければ、個人的には良かったかと思う。
    本書ではホブズボームの「短い20世紀」論に依拠した観点から、第一次大戦のマクロの影響を述べている。
    先日読んだ『20世紀の歴史』(木畑洋一 著)は「長い20世紀」論に立脚しているため、しっかり内容比較をしてみることで、この時代についての見方の幅が広がりそうだ。
    ノートを取って内容比較をやってようと思う。

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著者プロフィール

木村靖二 (きむら・せいじ)
1943年、東京生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業。東京大学大学院博士課程中退、同大学助手、ミュンヘン大学留学、茨城大学教養学部講師、同助教授、立教大学文学部助教授、同教授を経て、東京大学大学院人文社会系研究科教授。現在、東京大学名誉教授。専門、西洋近現代史・ドイツ史。著書に『二つの世界大戦』(山川出版社世界史リブレット)、『第一次世界大戦』(ちくま新書)などがある。

「2022年 『兵士の革命 1918年ドイツ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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