ハマータウンの野郎ども ─学校への反抗・労働への順応 (ちくま学芸文庫)

制作 : Paul E. Willis 
  • 筑摩書房
3.90
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本棚登録 : 943
感想 : 42
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480082961

作品紹介・あらすじ

イギリスの中等学校を卒業し、すぐに就職する労働階級の生徒のなかで、「荒れている」「落ちこぼれ」の少年たち=『野郎ども』。彼らのいだく学校・職業観はいかなるものか?学校はどのような進路指導をしているのか?彼らの形づくる反学校の文化-自律性と創造性の点で、たてまえの文化とはっきり一線を画している独自の文化-を生活誌的な記述によって詳細にたどり、現実を鋭く見抜く洞察力をもちながらも、労働階級の文化が既存の社会体制を再生産してしまう逆説的な仕組みに光をあてる。学校教育と労働が複雑に絡み合う結び目を解きほぐす、先駆的な文化批評の試み。

感想・レビュー・書評

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  • David Bowieの“ALL THE YOUNG DUDES(すべての若き野郎ども)”のように、いわゆる不良文化に深く切り込んだ視点が展開されているのかと思って手に取ったのだけど、全く違ってた。
    そもそも原題を改めて見ると“LEARNING TO LABOUR(労働について学ぶ)”であって、これでわかるようにこの本は「不良文化」を論じたものではない。私と同じ誤解を生じさせないように、これからこの本を読む方へまずこのことを先に伝えておきたい。(ちなみに「野郎ども」を指す原語はDUDEではなく、LAD。)

    これが描かれたのは1970年代のイギリス。
    著者のポール・ウィリスは先に述べたように「反学校文化=不良文化」に注目してこの本を書き始めたというよりも、「学校や権威に徹底的に反発する『野郎ども』が、自ら進んで単純労務労働を職業に選択して社会に組み込まれるのはなぜ?」という点に注目して、そこに同質性や関係性を見出そうとしたのが出発点というほうが正しい。

    著者が展開する「なぜ?」の解明への展開があまりに劇的でもあり、それをレビューでオープンにしたい衝動に駆られるが、ここにズラズラっと書いてしまうのはやはりNG。でもサワリをちょこっと提示してもネタ全体をばらすことにはならないと思うので、少しだけ…

    ①「『野郎ども』は学校で勉強をするのを忌避し馬鹿にしているが、自分たちはパブやケンカなどでの「社会勉強」のほうが重要と考えているのであって、むしろ学校の机での勉強しかしていない奴よりかはよっぽど社会のしくみに長け、人間としては上である」
    ②「勉強とか、先生の言うことばっかり聞くことで、青春という人生の大切な時間が失われるなんて馬鹿げている。青春時代こそ自分のやりたいように生きるべき。」
    ③「確かに生きるにはお金は必要。でも学校で勉強して就職したとしても、生涯で得られる金なんてたかが知れてる。俺らは必要ならばバイトするし、場合によっちゃパクってすませてOKだろ?」
    著者の野郎どもへの周到なインタビューによって、彼らの「理論」が生身の言葉を媒介に、手触り感のある内容で浮かび上がっている。

    さらに著者は、野郎どもの反抗の裏に潜む“裏ルール”も読み取り、法則性を見出そうとする。
    「野郎どもは学校の体制や教師に反発するけど、学校に行くこと自体は否定しない。いや、学校へは仲間に会えることや面白いネタがあることなどにより、むしろ喜んで通ってないか?」
    「単純労務作業は、普通ならばだれでも嫌がる。仕事はキツイのに給料や社会的地位は低い。でも、それをこなせるやつだからこそ、『真の男』と認められるのだと思っていないか?」
    この表と裏の両面を読み解くことで、彼らは社会からはみ出し者として排除されることはなく、逆に肉体労働といった現代人が忌避する労働に「積極的に」参画していく者として、資本主義社会で重宝され貴重化するという不可思議な現象を立証するのである。ユニークで面白い論理展開でしょ?

    しかし、著者が若者文化(不良文化)に肩入れしようとする偏った者でなく、冷徹な目をもった社会学者であることを思い知るのは、野郎どもが自ら肉体労働を「自主的選択」したその後についての記述だ。
    (以下P266からの引用)「かつてはおしなべて…深く考えることなく工場の門をくぐった。そうして今日、明日と働き、いつしか三十年が経ってしまうのである。真の機会をのがしたり、もともと機会を機会と理解できなかったこと、逆に好機到来とばかりに選んだ道がまやかしにすぎなかったこと、こうした苦い思いが、労働者仲間のあいだで工場に入る前の人生についての神話を生みだす。」

    やはり反学校文化を楽観的に見ることはできないということだけど、未熟な選択をした野郎どもにすべての罪を負わせるのは意味がない。かといって学校や社会の制度に矛盾があるとして、それらにすべての原因を求めるのも、近視眼的だ。
    何が悪いとか、誰が間違ってるとか、そんな単純な話でない。
    マルクスによると、人間が社会関係を完全にコントロールする社会の存立が、すなわち人間が歴史を創造できる段階に達したと見なせるということで、現代はまだそこには達していないということだ。
    しかし、この本の読了で、今の私たちはある意味原始人のように、(自分たちが作ったはずの)社会に振り回され、自分のしたいようにしてるように見えて、実は釈迦から見た孫悟空のように、何かに「操られている」という歯噛みするような現実を改めて知らされたという感じだ。

    White people go to school
    Where they teach you how to be thick
    …White riot - I wanna riot
    White riot - a riot of my own (The Clash “WHITE RIOT”)
    学校という“檻”なんかよりもっと巨大なものが取り巻いている。1つ目の檻が見えたからそれを突き破ったら、すぐ外側に次の檻がある…
    「野郎ども」の反抗やあがきを私たちは笑い飛ばせない。なぜなら私たちもしょせん同じ穴の貉だから。

  • 大好きな『ハッピーエンドはほしくない』に引用が多数あるので手に取ってみました。
    学校に反発する"野郎ども"少年がいかにしてブルーカラーの職に就くのか。そこから資本主義の本質を探ろうと言う本。

    1部はインタビューが多くまだ読みやすいが、2部からは目が滑ることが多く、流し読みになってしまった。
    文章は難解だが、おそらく原文のニュアンスもそうなんだと思う。訳はいい。
    なかなか面白いことがかかれているのはわかるが、言い回しが周りくどく、一文一文噛み砕きながら読むのでしんどく感じた。

    内容としては非常に充実しており、名著の貫禄。自分の労働を俯瞰で見ることができる。もう少し読解力があったらさらに面白く感じるはず。またいつか読みなおしてみたい。

  • 義務教育によってどんな身分の人でも平等に学ぶ機会を与えられているのにも関わらず、学校は差異を再生産して顕著にする。

  • 外国の古い本なので今の日本に当てはめられないことも多いが、日本でいまだに幅を利かせている人権侵害なトンチキ校則が施行される経緯(仕組み?)も窺い知れる。学校教育が格差を維持する装置になっているというすごいことが書いてあります。

  • 社会学におけるエスノグラフィーの古典。
    原題は[Learnig to labour]

    貧困からの脱却を企図するならば、ブルーカラーよりもホワイトカラーを目指す。にもかかわらず「野郎ども」は積極的にブルーカラーを欲望する。

    なぜか?

    盲目的に杓子定規に学校の勉強に励むこと、
    権威に対して従順であること、
    これらは「野郎ども」にとっては恥ずべきことなのだ。


    学校教育は教師の貯蔵する知識を「従順」と「尊敬」をみかえりに少しずつ手に入れる空間である。そのシステムを「拒否」「反抗」し、軽蔑さえする。彼らが価値を置くのはマスキュリンの象徴「筋肉」「猛々しさ」なのであり、その延長にあるものこそ肉体労働なに他ならない。支配的な価値観に反吐を吐き、敢えて反抗する。青年期の反抗は、自らの肉体労働にポジティブな自己認識を付与する。

    杓子定規な学校教育に抵抗するからこそ、社会構造の構築に加担する。だからこそ、社会構造は安定的になるというパラドキシカルなリアルを見事に喝破する論考。

  • 抽象論があまりに抽象的に訳されすぎていて、意味が掴みにくいと感じたところがあった。

  • きっとタメになる良いことが書いてあると思うけど、読みにくい。

  • 100分で名著で紹介されてて興味を持ち、購読。イギリスの労働者階級の若者(野郎ども)の、学校や先生への反抗、友人や家族を含め長く共有される価値観など、社会的には不利と見られる階層に自ら望んで向かっていく理由を、膨大なインタビューをもとに検証したもの。父親から代々受け継がれる体を使って稼ぐことのカッコ良さ(知識や階級で稼ぐやつを「耳穴っこ」と見下すこと)、お上が決めたルールに従わないという「自由意思を持っている」こと、同じ階層の人間だけが共有できるユーモアや掟などの価値観、などから、「野郎ども」は自ら進んでその階級に安住する。制度の問題ではなく、意思があってそうするわけだし、価値観を良いものとして受け継ぐので社会階級が固定化する。一般的には「貧困・低所得・低学歴から抜け出せない可哀想な人達」という印象を持ちがちだが、「地元じゃ負けしらず」な「野郎ども」は、満足しているのである。

  • 読書は楽しいけど読解が難しいことも多い。
    しかも図書館から借りてると何ヶ月もかけて読めない。
    なので各所皆様の感想で補完させていただいてます。
    ありがとうございます。
    5章以降は目が泳いで…読めないまま返却になりそ。

    不良はインフォーマルな文化。文化を構築するには、集団、徒党が必要。不良が学校という規律を否定しつつ、自らグループを構成することは、何ら矛盾しない。

    不良や労働者がある意味で真面目に働かないのは、学校=職場=権威の欺瞞を見抜いているから。学校は勉強すればみんなが自己実現できるように語るけれど、実際は競争社会で落ちぶれた者への保証なんて何もない。あるいは、教師の権力は確保しつつ、生徒を抑圧する全体主義的な機構を備えている。だからこそ、フォーマル側の要求を鵜呑みにしない。

    こんな「能力が高ければ精神・頭脳労働に従事でき、社会的地位も高まる」という「ものさし」を否認する労働者がいるからこそ、ものさしが強固になる。もしも全員が同じものさしで考えれば、肉体労働に進んで従事する人がいなくなり、社会が崩壊する。→再生産

    若年人口が多いと反体制が増えるとかいう本があったような…それと絡められるところもあるかなと。
    いつだってインフォーマルな文化はなくならないと思う。

  • これは読んでおかないといけない気がする。
    ブルデュー100分で名著で出ていた本ですね

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