貨幣論 (ちくま学芸文庫 イ 1-3)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480084118

作品紹介・あらすじ

資本主義の逆説とは貨幣のなかにある!『資本論』を丹念に読み解き、その価値形態論を徹底化することによって貨幣の本質を抉り出して、「貨幣とは何か」という命題に最終解答を与えようとする。貨幣商品説と貨幣法制説の対立を止揚し、貨幣の謎をめぐってたたかわされてきた悠久千年の争いに明快な決着をつける。

感想・レビュー・書評

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  •  Audibleでランニングしながら聴取。学生の頃読んで以来30年ぶりの再読(というか再聴)。当時は四苦八苦して読んだ記憶があるが、今聴くと重要部分の繰り返しが多く、聞き逃しても筋が追えるため「ながら聴き」には意外に適している(書き下ろしでなく「批評空間」への連載だったことが影響していると推察)。
     
     なんといっても本書の肝は、マルクス「資本論」他における価値形態論・労働価値論に潜む矛盾を「論理循環」の形で可視化させたことにあるだろう。価値形態論を突き詰めてゆくと実は論理循環が含まれており、そこではマルクス自身が信奉して止まなかった労働価値論の項が消去されてしまうことが示される。そしてこの論理循環は他に依拠するところのない、著者自身の言葉を借りれば「宙吊り」の構造を持っており、さればこそ、自律的に存立する強固さと、いったんその根拠を疑い出せば霧散してしまう脆弱さを併せ持っている。本書では著者一流のレトリックを用いて、資本主義における貨幣経済がこの「奇跡」の上に成立していることが明快に記述されている。「本物」と「代用物」という記号論的二項対立を、この連環構造の中に解消させてゆく著者の鮮やかな技量は今でも色褪せておらず、見事というしかない。

     そしてもちろん、「恐慌ではなくハイパーインフレーションこそが、貨幣の存立基盤を突き崩し商品世界を解体する実存的危機である」という主張を含む本書は、実際に世界的インフレが進展しつつあるこの2022年にこそ特段の関心を持って読み返されなければならないと思う。

  •  マルクス『資本論』(主に第一巻と第三巻)をベースに、著者が貨幣の本質に迫るのが本書の内容である。貨幣とは何かという問いに対して、「単純な価値形態」、「全体的な価値形態」、「一般的な価値形態」、「マルクスの貨幣形態」、「貨幣形態」と順に追っていくうちに著者はある結論を下す。それは「貨幣とは貨幣である」というトートロジーである。つまり貨幣には本質的なものはなく、貨幣について考えれば考えるほど、ますますその存在理由がわからなくなるという。経済学を専門とする著者がこのような奇妙な結論を導いたことから、貨幣が単なるモノとは異なる独自の性質を帯びていることが読み取れる。
     また、第五章危機論で言及されたハイパーインフレーションの話も興味深かった。この辺りは、現在基軸通貨であるドルの行方を予測するうえでも非常に参考となるだろう。冒頭で挙げたように、本書はマルクス『資本論』を基に展開されるが、事前に読まなくても、読み進められる。その意味で『資本論』で語られた資本主義の分析の要点をこの本を読み通すことで学べるのではないだろうか。

  • ある人が「貨幣に対する理解に役立った」と言っていたのを聞き、読んでみましたが、個人的には、あまり得るものがありませんでした。

    「貨幣が貨幣であるのは、人々がそれを貨幣とみなしているからである」というトートロジー的な説明をひたすら繰り返しているだけに見え、果たして200ページも使う必要があったのか、謎です。
    50ページもあれば、十分な内容な気がします。

    ページ数が膨らんだのは、雑誌の連載だったのが原因ではないかと。
    雑誌の連載であれば、やたらと同じような内容が出てくるのも納得。

    貨幣の出現や歴史について知りたくて読んだのですが、その点においては得るものがなかったので、他の本にあたってみます。
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  • 岩井克人の文章は比較的わかりやすいというのが従来の印象だが、この『貨幣論』は難しくて理解の突破口となる「引っかかるところ」がないまま最後まで読み進んだ。マルクス理論独特の難解で抽象度の高い論理展開で、纏めるのには相当大変だろうが諦めずに、ここから再々度の読み込みでなんとか整理してみる。この作者をしてもこれ程の表現にならざるを得ないのは、マクロ経済学における「貨幣」というものが簡単に説明できるような単純なものではないということなのであろう。同時に本質的なものであると思う。
    貨幣形態・価値形態論と交換過程論・価値・商品価値・価値実態論・等価労働交換・交換価値・価格・貨幣起源の商品説と法制説・労働価値説・恐慌論・ハイパーインフレ・・・。
    これらの概念定義と論理的な組み合わせによる貨幣の解明がこの論考のテーマである。

  • 「われわれは今では価値の実体を知っている。それは労働である。われわれは価値の大きさの尺度を知っている。それは労働時間である。」

     難しくて一回読んだだけではわからない。マルクスの貨幣論を修正しているようなんだけど、元のマルクスの貨幣論がわかってないから、どう修正したのかも当然わからない。でも恐慌が貨幣の存在によって起こるというのはわかった。

     貨幣も商品であり、投入された労働量によって価値が規定されている、そんなことをマルクスは論じてるらしいけど、本当なのかはよくわからない。
    それに対して、岩井先生は、貨幣の価値は「貨幣に価値があるのは、皆が価値があると信じているからである、なぜ皆は価値があると信じているかは、皆が価値があると信じているからである」という循環論法によって規定されていると言ってるように思う。
    因果がそれ以上遡行しない地点として、因果の道の終着点としての循環論法で、線が円環に閉じているようなイメージか。

    岩井先生の考えは、他の研究者からマルクスを誤読しているという批判もちらほら見かけた。マルクスの思想は、いまだ統一見解がされていないのかもしれない。

  • 貨幣とは、自らが他の商品に直接的に交換可能性を与えると同時に、他の商品も貨幣に直接の交換可能性を与えるという位置に存在しているものである。

    何がどういう経緯で商品から貨幣に変わるのかは、説明できない奇跡だと言う。マルクスは、恐慌(商品世界全体で起きる需要不足)こそ資本主義の本質的な危機であるとした。しかし、筆者はそれを否定する。資本主義にとって本当に危機的な事象とは、無限先の未来まで誰かが自分の貨幣を受け取ってくれ、そして受け取った人も他の誰かが貨幣を受け取ってくれるだろうという期待が持たれなくなってしまうことだという。すなわち、ハイパーインフレである。ある財の需要が過剰になると、売り手は価格を上げる。しかしながら、物価上昇は全ての財で起こっているのだから、買い手側からすれば今財を買っておかなければ買うのはどんどん難しくなる。これがハイパーインフレをもたらすのだ。

  • [第16刷]2015年1月25日

  • 貨幣について近代経済学の立場から考察した著作。
    著者はマルクスの価値形態論を批判的に検討していきながら貨幣の本質に迫ろうとする。
    しかしその批判が成功しているかというとそうも言えない。
    まず、第一に著者はマルクスの価値形態論の弁証法的展開を、時間的展開と誤解している。弁証法とはあくまでも概念の時間的発展であり、歴史の実際の時間的な発展ではない。それはいわば構造に関することであり、歴史に関することではない。マルクスが価値形態論で示しているのは、資本主義社会が成立しているある一時点における貨幣の論理的成立根拠である。それは資本主義社会の貨幣を考察するときに、貨幣形態からさかのぼって、一般的価値形態と全体的価値形態をたどり、単純な価値形態へと到達するのである。建物がどのように建設されたかは建設された建物が自重をどう支えているかという構造力学とは関係がない。
    第二に、著者は労働価値説を批判することで、価値形態論を批判しているが、労働価値説と価値形態論は独立している。異なる労働は比較できない。マルクスが言うように、まず交換が成立し、そのことから逆にそれら両商品を生み出す異なる労働の価値が等しいと置かれるのだ。労働価値説は労働こそが価値であるという。それは価値とは何かと人々が自分で考えたときに導き出される結果なのであり、その意味で、前に書いたことと同様、構造にかかわることである。人々はそう意識はしないが、労働を価値として商品の価値を測っているのである。そもそも価値とは何らかの実体があるものではありえない。一種の信念・信仰である。兌換紙幣は金との交換を保証しているがそれは金が世界通貨だからだ。しかし金になぜ価値があるのかと言われると誰も明確には答えられない。端的に言えば他人が価値があると信じているから価値がある。紙幣が金と結び付けられてもそのことで価値の根源がはっきりするわけではない。だから著者が価値形態論への脱構築の試みの果てに、貨幣の根源に空虚を見出したのは当然のことである。
    それでは価値形態論と労働価値説の関係をどう考えればよいか。
    私自身は価値形態論を以下のように考えている。資本論の価値形態論は、商品世界を価値交換のネットワークとして描き出している。商品交換から価値を抽象物として取り出すことでそのことに成功している。マルクスが賢いのはすべてを労働価値という抽象価値に還元して考えたことだ。これを労働価値というのは仮の名称だと考えればよく、お望みならリンゴ価値だの貨幣価値だの呼んでいい。つまりある種の交換体系が成立しているのは、その抽象的価値が共通しているから、と「仮定」した。これは価値が現実に実体として存在している必要はなく、交換がそのように行われるということを意味しているに過ぎない。商品相互のある一定の量的交換関係が成立している社会体系では、ある一種の商品を選び出してその量によって、多種の商品の価値を測ることができる。その一種の商品を物差しとして使うわけだ。
    そのように考えれば、具体的物体として存在する資本財を抽象的価値に還元して考えることができる。価値形態論では労働や貨幣が絶対的地位に置かれているのではなく、その地位が相対的であることを表しているのだ。つまり労働の代わりに価値をリンゴの個数で測ったり、貨幣量で測ったりしてよいのである。価値が任意の財の量であらわされるとすると、労働力商品の位置づけが重要になる。資本主義社会では、労働(労働量)を時間決めで売るわけではなく、労働力商品を売るのである。ところが、労働こそが価値の尺度なのだ! ここに資本主義社会成立の秘密がある。
    マルクスはこの特殊な商品の価値を、その再生産に必要な価値の量によって定義する
    したがっていわゆる「搾取」と言われるものは、この労働力商品が現実に労働によって生み出した価値と、「資本価値の補填+労働力商品の価値」の差額のことだ。
    重要なことはそのような一定の価値交換体系のあるところでは、利潤は労働の搾取によってしか生じえないということだ。労働価値説をとろうがとるまいが、そのことに変わりはない。それが価値形態論から帰結されることだ。(労働価値説を仮定しないマルクスの基本定理の証明はhttps://youtu.be/whTf28oaqHU
    というわけで、著者は価値形態論の批判に成功しているとは言えない。魅力的な代替案は提示されておらず、常識的な近代経済学の立場に回帰し、「貨幣は神秘である、貨幣の成立は奇跡である」と問題を棚上げにしているだけのように見える。これなら価値形態論のほうがおもしろいし、説得力がある。
    それでも貨幣の本質を考えさせるという意味では刺激的な本である。
    著者は貨幣価値には根拠がないとするから、貨幣が商品よりも相対的に価値を上げるデフレーションよりも、貨幣が商品よりも相対的に価値を下げるインフレーションのほうを、資本主義にとって大きな危機であるとする。確かに資本主義というのはいわば貨幣信仰の宗教とも言えて、その成立基盤はあんがい危ういもので、無根拠があらわにされたときあっけなく崩れてしまうものかもしれない。

  • 非常に面白かった。貨幣の本質がよく分かった。

    危機論における、ハイパーインフレで貨幣(→商品社会→資本主義社会)が機能しなくなると言う主張に関しては、論理的にはありうるだろうけど、実際的にはそんなこと起きるのか、非常に疑問であり消化不良を感じた。

    ・全ての貨幣が一度に機能不全に陥ることなど起きるのか?
    (基軸通貨の死亡 = 貨幣の死亡とは個人的には思えない)
    ・貨幣が死んでも、「人間の本質」によって、貨幣は新たに創りなおされる

    のではないかと思う。特に後者に関して述べたい。

    個人的に「貨幣とは、貨幣として使われるからこそ、貨幣なのであり、貨幣とは、流通するからこそ、価値を持つ。」と言う貨幣の本質には同意するし、貨幣は使われなくなったら
    (貨幣が下支えしている商品社会や資本主義社会もろとも)消滅する、と言うロジックにも同意している。

    一方で、上記の「貨幣」や「貨幣の本質」を下支えしているものに「人間は交換する(したがる)動物である」と言う本質が存在するはずである。従って、仮にハイパーインフレで貨幣が死んでも(死にかけても)、この人間の本質によって、また新たに貨幣が創られるのではないかと思う。

    ▶︎ 読書の目的:
    お金(貨幣)の成り立ちを知りたい
    → 貨幣の誕生は「奇跡」的な出来事。貨幣はいかにして生まれたか?という質問に対しては「貨幣商品説」「貨幣法制説」の2つの論争(前者:元々、様々な商品に交換することができる/みんなが欲しがる商品(家畜など)が貨幣として流通し始めたという説・後者:時の政府や権力者の命によって、貨幣として使われるものを生み出したという説)が存在するが、筆者はこのどちらも否定する。貨幣は、貨幣として使われるからこそ、貨幣なのであり、貨幣は、流通するからこそ、価値を持つ。この無限の「循環」こそが貨幣の本質であるので、「広い交換可能性を持っていたから(→)貨幣になった(貨幣商品説)」も「為政者が決めたから(→)貨幣になった」のでもなく、「貨幣だから(→)貨幣」なのである。

    ▶︎ 概要
    本書は、マルクスの思想を土台として、貨幣とは何かを考察する本である。本書の大きなポイントは2つあり、

    ① 貨幣の本質
    貨幣とは、貨幣として使われるからこそ、貨幣なのであり、貨幣とは、流通するからこそ、価値を持つ。

    ② 資本主義の危機
    貨幣の存在は、商品世界の存立の土台であり、資本主義社会の存続の土台でもある。上記に挙げた貨幣の本質を鑑みると、貨幣は、使われなくなると、貨幣では無くなり、流通しなくなると、価値がなくなる。つまり、貨幣の使用・流通が止まると、貨幣自体やそれが持つ価値が消失する。それはつまり、貨幣を土台とする商品社会や資本主義社会の危機を意味する。これまでの経済学では、資本主義の危機を需要不足/供給過多(流動性選好の増加)による恐慌に見てきたが、本当の危機は、需要過多/供給不足(流動性選好の減少・ハイパーインフレーション)にある。前者の恐慌の場合は、物価・需要の低下という負のスパイラルが、労働者の賃金の「下方への粘着性」(制度や人情などにより、人間の人件費はなかなか下げられないし、クビも切りにくい)によって、ある程度抑制される(ストッパーが存在する)が、後者のハイパーインフレの場合は、論理上はストッパーが存在しないため、貨幣が死ぬ(つまり商品世界と資本主義を破壊する可能性)がある。

  • 貨幣が貨幣として通用するとは。
    貨幣それ自身に価値かあるわけではなく、商品流通のための潤滑剤的役割。
    しかし、人々が貨幣を主人公に祭り上げたとき、インフレが起こり、更に貨幣に熱狂し、最高潮に達したとき、ハッと我に帰る。これは、なんなのか。ハイパーインフレーションか目前だ。

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著者プロフィール

国際基督教大学客員教授、東京財団上席研究員
東京大学卒業、マサチューセッツ工科大学経済学博士(Ph.d.)。イェール大学経済学部助教授、プリンストン大学客員準教授、ペンシルバニア大学客員教授、東京大学経済学部教授など歴任。2007年4月紫綬褒章を受章。

「2021年 『経済学の宇宙』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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