限界芸術 芸術と生活との境界線にある
柳宗悦 ウィリアム・モリス
竹内勝太郎『芸術民俗学研究』
折口信夫『日本芸能史六講』
雑誌「民俗芸術」
31 近世の純粋芸術・大衆芸術の専門的作家は、もともと、新語の製作者としての無名の大衆から分化発展してできて来たという見方がたてられている。また、専門的作家たちは、その作品の素材となるそれぞれの時代の新語の採用にあたって、同時代の民衆の作った新しい言いまわしにたよらざるを得ず、こういう仕方で、現代においても、純粋芸術・大衆芸術の発展の契機は、限界芸術に求められる。言語を素材として使用するかぎり、言語による純粋芸術・大衆芸術の最小粒子は、民衆が毎日つくっている限界芸術なのである。
柳田→それらの集大成を祭にみた
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44 日本民芸館 雑誌「工芸」 民芸品販売店「たくみ」
51 宮沢賢治
ロッセリーニに似ているがネオ・リアリズムではなくネオ・アイディアリズム
54 天皇と修身
112 生花 無言の芸
119 文化は、まきちらされるものであるが、文化が特別の所にあらかじめあって、次にそれが、まきちらされるのではない。文化は、実は、それがまきちらされる手続きを含めて、はじめて文化となるのだ。文化はまかちらされることによって文化となるのだ。その文化が、また新しくまきちらされる事によって、文化の再生と存続が行われるのだ。
135 …私小説や文芸批評を書く方向に行く人は、実は外地亡命という安易な道をたどっているのだと思う。自律的な思索のできる知識人は、むしろラジオや映画などのように新しい困難なコミュニケーションの場に身をおいて、努力すべきだと思う。
149折口・柳田 今日の文化事象を、昔の習慣の残存としてとらえる方法をすすめる。
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黒岩涙香 万朝報
278 ハーン
311
342 歴史小説はリアリズムの系列に属し、時代物小説はリアリズムではつつみきれない空想的な産物ということになろう。この意味では時代物小説はSFに近い。
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