鏡と皮膚―芸術のミュトロギア (ちくま学芸文庫)

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著者 : 谷川渥
  • 筑摩書房 (2001年4月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (331ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480086341

鏡と皮膚―芸術のミュトロギア (ちくま学芸文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 潔癖主義を志向すべき理由がある。潔癖というと語弊があるが、それはここでは過剰合理の神経症的性質を表しているのではない。表層(外生的襞)を、内部(内生的襞)から反覆し展開された、表層と内部の相互循環性をもつ接触点の結節的な系統とみなすとき、自己の心的系統(表象を知覚する系)における漸次的範列化によって、美的快楽に耽溺しようとする志向性を意味している。

    終盤の鷲田清一との対談では、皮膚論におけるある種の危険性を指摘しているが、おそらくそれは、ナチスにおいてみられたような集団主義的衛生による個人の自由の侵害を懸念するものでもあるだろう。

    それには、みせつけるのではなく、隠すことの効用もまた改めて認識されるべきかもしれない。著者は、
    「結局、見えるものしかない。目に見える部分をもっと真剣に考える必要があるんじゃないか」
    という(330)。内に秘めたること、それ自体はたしかに表層として展開されない。しかし、その潜勢力は、自己充足的な美的快楽を発揚させるとともに、展開時において、すでにその範列的原則は浸透しているのである。幸運な者は、これを同様に楽しむことができるのだろう。

  • 5/29 読了。

  •  理解してるかどうかはともかく、2013年上半期現在で八回くらい読んでいると思う。

     表紙がとても良い。本文中で言及されるエドワード・スタイケンの写真『グロリア・スワンソン』(1924)に、万華鏡的な加工を慎ましやかに施してある。
     本文も実に興味深く読んだ。でも最初に書いた通りあんまり理解はしてないと思うので、内容にきちんと触れる感想は書けない。

     私が持ってるのは、初版時の帯がついているもので、このすてきな表紙が日焼けしないよう気をつけなければ。帯でちょうど写真の女性の口元が隠れ、その視線が本屋を遭難中の私を捕らえたのだった。視線は怖いから。ナマの人間の目には視線を合わせることが難しいけど、写真やTV、映画、絵画なら割と大丈夫である。
     『<表層>のバロック的遁走』という序文の題が帯コピーにしてあるのも良かった。

  • タイトルから刺激されて、少し私見を。鏡とは一枚の磨かれた板だ。皮膚とは肉体の表面を包む膜だ。どちらも、現実と接する最も表象の部位だ。鏡は映す。絵画と同じ二次元の中に。しかし、我々は、そこに奥行きを認識し、無限に見ようとすれば、全てを映し出す装置である事を知っている。皮膚とは感覚の集まる繊細な生理的部位だ。我々は、無意識に膚で、外気を感じ、音に触れ反応している。肉体は精神に直結する影響力を持っている。肉体によって精神は動かされていると云えば、全面的には賛同されないと思うが、衣食住は全て、肉体と深く関係している。そして、肉体は外界を探る触覚器でもある。何かに触れ、重さを感じ、温度を測る事で、皮膚は快不快にまつわる趣味判定を試行し続ける。鏡の映像は、我々の肉体器官を客観的に反省させる。視覚は個人的な機能に過ぎず、他人が持つ視覚と同一では無いことは、科学的にも正しいだろう。その不確かな器官が見せる世界を、再度、鏡を見ることで二重の確認をする事になる。絵画を例にすると、筆を使って、キャンバスに色を加え、修正をして、完成まで幾度も上塗りを繰り返す。画家のイメージにある映像が、脳裏に作られたイメージである事から、認識された想像上の二次的副産物を意味し、キャンバス上に鏡のように模倣反復され作品化される。その二重の認識行為が、鏡を見る事と同義であると言っても良いのではなかろうか。現実は、私と云う存在なしに実在している。それは、他者の証言によって信じられる命題であって、私が認識する現実が、他者を通じて二重に認識される命題なのだ。結論を仮に言うならば、現実が実在する事を確認しようとする我々の認識行為は、あくまで個人的な内に留まる経験を指し、決してその認識が真理である事を立証できない。そして現実は、その実在を疑えないほどに、ありありとその存在感を我々に示そうと働きかける。我々は現実の実在を二重に確認しながらも、現実から二重に欺かれる存在ではないか。肉体は結果の出ない実験装置なのだ。

  •  今まで美術史畑で、作品を軸にした論文ばかり読んでいたせいかその自由な思考連鎖に驚いた。テーマに合わせて、作品の歴史的背景をムシして取り上げ、様々な理論と接合することにより、著者神話を作り上げている部分も否めないが、新たな問題意識を持たせられた。
     今まで当たり前に受容してきた絵画作品が薄っぺらいモノに表象されていること、美術史として取り上げてしまうことで、観者の視線がないがしろにされていることもあるということなど、改めて感じさせられた。
    「表層にこそ意味がある」作品自体に視線を向けず、解説書を読んで分かった感覚に陥ってはいないだろうか。シュールレアリスムに関わらず、そんなことを思わされた。

  • 2012/1/13 関連図書

  • 皮膚と鏡を巡る物語のような芸術評論。
    それはまるで神話の一つ一つを丹念に読んで行く作業に似ています。
    ただ思い切りな部分が思わぬところに見受けられるので、苦手な方は苦手なのかも、と思いました。

    (2010.05.31)

  • 読んで共感できる芸術評論です。
    芸術の中にある文化・思想・心理などが、わかりやすくきれいな文章で説明されています。

    表紙がとても象徴的でうつくしかったので、ブクログで表示されないことを悲しく思った。

  • 美術批評。めくってもめくてもぺらぺらの世界。端正な文章なのに、なんとなくしめっぽい。美というベールの向こう側にある、異世界にふれる1冊。

  • 「表層」の二種である「鏡」と「皮膚」をめぐるテマティスム批評。美術と文学に現れ出た「表層」というテーマを横断的に論じつつ、とりわけ絵画の本質が、その「皮膚」性にあることを喝破する。

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