シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫)

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著者 : 巖谷國士
  • 筑摩書房 (2002年3月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480086785

シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫)の感想・レビュー・書評

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  • ■シュルレアリスム
    ×写実的な表現を否定
    ○オブジェクティブ=客観を押し出した思想。
    ※シュール・レアリスムと思われがちだが、切るとすれば、シュルレエル=超現実、椅子無=主義とされるべき。なので、日本で使われる、「シュール」という言葉はもはや意味が違ってしまっているようである。ちなみに、超現実と言うのは、超スピードみたいなもので、過剰だというだけであって、現実とは別物といった意味合いではないようである。そのため、あくまで現実との「連続性」をもったものが、シュルレアリスムであるとされる。

    「自動記述」:シュルレアリスムの主要要素の一つ。アンドレブルトンなどが実践。ひたすら文字を書き続け、そのスピードを加速させてゆくとやがて簡潔かつ主語のなくなった文が出来上がる。ある意味、集合的無意識にでも到達したかのような一文である。

    「デペイズマン=転置」:シュルレアリスムのもう一つの主要要素。コラージュ、レディメイドのオブジェなど、既成のものを置き換える、といったことによってシュルレアリスムを表現している。

    ■メルヘン
    =フェアリーテイル=妖精物語=おとぎ話。
    ※妖精→運命の象徴。
    ≠童話
    ※童話とは、十八世紀以降の概念。そもそも、それまでは大人と区別されるべきでの子供がいなかった。いたのは小さな大人としての子供。そのため子供のための物語=童話はおとぎ話とは性質が異なる。

    ⇒メルヘンとはそれこそ集合的無意識による産物と言える。それこそ、狩猟時代や旅と言ったように、かつての我々の「記憶」が語り継がれているものである。ありふれた展開と表現しかないが、その分心理描写などもない。淡々と物語が物語られるわけだが、ありふれているのに消えないのはそれが我々の根底にある記憶だからなのではないか?世界各地に似たようなおとぎ話がある理由=集合的無意識=我々の太古の記憶。
    ※ちなみにメルヘンの特徴として、「非限定」というものがある。つまり、時代は昔であればいつだっていいし、登場人物も誰だっていい。昔々あるところに木こりがいました。というとき、昔はいつか特定されず、木こりも誰だか特定されえないのである。

    ≠寓話
    ※メルヘンには寓意=教訓はまるでない。

    ☆メルヘンの自我のなさ⇒シュルレアリスムの自動記述とリンクする?

    ☆フェーリックと、ファンタスティック。
    フェーリック:我々の世界とは完全に異なる仕組み。別の世界に行く。
    ファンタスティック:我々の世界と同じ世界に異質なものが生じる。目の前に、突然、化け物が現れる。
    ⇒そのため、フェーリックな物語を読んでも我々は驚かないし、ファンタスティックなものを読めば驚きうる。といった点で、おとぎ話=メルヘンはフェーリックな作品と言える。とすれば、この点はシュルレアリスムと異なる。シュルレアリスムはあくまで現実世界に異質なものが乱入するイメージなのでいくらかファンタスティック寄りとも言えるが、著者的には、もはやブルトンの自動記述によって記されたものはフェーリックとして捉えられるらしい。その点には納得できるが、そうすると、シュルレアリスムは現実とはまるで性質の異なるものとなってしまうわけだから、非現実的だという風に撮られてもおかしくない気が?


    ■ユートピア
    ちなみに、西洋と東洋で、性質がまるで違うようである。
    東洋:フェーリックな世界。つまり、まったりのんびりとした空気の桃源郷。⇒女性原理。
    西洋:管理社会。法や区画が整備された社会。⇒男性原理。
    ※著者は、西洋のユートピアが体現された社会こそが現代の日本社会だと考える。
    ※ちなみに、西洋のユートピアはトマスモア以前に、プラトンなどでも描かれている。
    ※ユートピアは管理社会なので、「個性」はあってはならない。数値などで均一化され管理される。
    ユートピア⇔迷路。
    ※実際には、プラトンなどが管理された国家という意味でのユートピアを唱えたのは、逆に管理国家が侵害される危機があったから、とも考えられる。

    ☆サドとフーリエ
    サド:悪い意味でのユートピアの体現者。管理社会を推し進めれば、人間は「部品」になる。人間が組み合わさって椅子になったり歯車になったりするが、これは明らかに嫌なものである。つまり、ユートピアも推し進めれば最低なものとなることを証明。『ソドムの百二十日』
    フーリエ:ユートピアをすべて徹底的に無邪気に肯定。すべてを宇宙的に捉える、さらには、性なども開放する、といった具合に、つまり、全てを徹底的に自由に開放してしまえばむしろそれこそむしろ徹底的に管理されているとも言える、自由であればあるほど自由はなくなるのである。という、二つの極みを貫いたのがサドとフーリエ。


    ■考察、感想。
    著者の視点は鋭くそういった意味では面白い。この一冊は、シュルレアリスムで統一されるようである。ユートピアを乗り越えるものとして、あるいは対置されるものとしてシュルレアリスムは考えられるし、シュルレアリスムの土壌としてメルヘンが考えられる、とすれば、この三つは繋がってくるという意味合いで三題囃は成功しているとも言えるが、著者は基本的にストーリーを考えずに話をされるそうで、そのせいでか知らないが、結局作者が何を伝えたいのかがさっぱりわからないという結果となっている。純文学ならこれでいいのだけれども、教養図書としてはたしてそのスタンスはどうしたものやら?と感じる、評価が真っ二つに分かれそうではある。まあ、シュルレアリスム理解の柱をくれたのはありがたいけれど。自動記述とデペイズマン。つまるところ、客観性による現実打破。だが、それが、フェリックに繋がっていくとしたら、連続性はどこへといくのか?だがそれが太古の記憶へとつながるのなら、確かに今の世界システムとは異なるがかつてあったであろう世界システムという意味で、歴史的に連続しているとも言えるのか?そしてそれは常に現在=ユートピアと対置されうる性質をもちうるのか?とまで考えるとなかなか面白味のある議論だよね。

  • 現実と地続きの「超現実」

  •  講演を元にしたもののせいか、多少意味が取りにくい部分がある。個人的にあまり明るくない世界なので前半の自動記述など実作の部分や関わった人物たちの名前などは参考になったが、ファンタジーとシュルレアリスムの区別やユートピアの問題性がちょっとわかりにくかった。出版から20年経って、後半の現代日本への批判的言及もどうたらえてよいかとまどうし、結果的に論旨の不明瞭さを助長しているように思われる。実際このようなタイトルの講演だったのかもしれないが、書籍の形式としては入門にふさわしくないのではないか。

  • シュールレアリズムではなくて
    シュルレアリスム
    分かりやすく、読みやすい本です。

  • 4/23 読了。

  • 2015.12.26
    今年度、2015年の春頃に、ルネマグリット展があったらしい。私は行かなかったのだが、駅に広告のポスターがあり、そのポスターの絵画では、おっさん達が宙に浮かんでいた。なんだこれ!という驚きと、何かなんとも言えない、不思議さに魅了された。これが私の、シュルレアリスムとの出会いである。それ以来、ルネ・マグリット、サルバドール・ダリ、マチェク・イェルカなどの絵画を楽しみ、美術に対する興味が固まってきた。本著はそういう、シュルレアリスムという1つの美術的潮流を理解する上での入門書である。シュルレアリスムとは何か、メルヘンとは何か、ユートピアとは何か、という三部構成である。まずシュルレアリスムとは何か。シュルレアリスムとは超現実主義であるが、この場合の"超"とは、現実から離れた別世界を指すのではなく、より程度の強いという意味、つまり超スピードの"超"と同じである。我々にとって現実とは、主観により認識され整合された、解釈されたものである。この主観による解釈を、自動記述という方法により引き剝がし、主観つまり私以外の何者かによって現実を捉えさせたものが、超現実である。本著では言われていなかったが早い話これは無意識のことではないか。主観つまり意識を排した、無意識によって世界を捉えること、これが超現実主義ではないか。つまり一見シュルレアリスムの絵画は、でたらめのように見えるが、より徹底した主観のなさ、つまりより徹底した客観主義の立場をとるわけである。意識による現実世界と無意識による超現実世界は連続的である。私もふと、今まで見ていた景色、何気ないいつもの通学路が、全く別のものに見えるという感覚に襲われることがある。これは世界が変わったのではなく、世界を見る私の目が変わったからではないか。普段においても私はおそらく、100%意識的に世界を見ているわけではない。ただ意識的に見る方が比率として大きいから無意識的に見る世界に気づいていないだけである。シュルレアリスムはこの無意識的な世界の捉え方を意図的に行ったものであり、要するに程度の違いである。またデペイズマンという、このシュルレアリスムの思想から生まれた概念も、マグリットが好きな私にとっては非常に興味深いものだった。ダリの、ダブルイメージとも重なるような概念な気もする。次にメルヘンについては、まずおとぎ話に対する筆者の主張が非常に面白かった。おとぎ話とは、農耕を始めて暇を手にした人類が、かつての狩猟採集民族時代の生活を無意識的に思い出しながら、集団で語り合うことで作られた話しであり、その二大要素として、森と旅がある。つまりメルヘン、おとぎ話というのも、人間の無意識的な作用によって生み出された芸術であり、事実そこには自我とか、人名とか、そういう主観的意識的要素が少ない。またファンタスティックとフェーリックの違いも面白い。ファンタスティックとは、現実において非現実が現れることだが、フェーリックは始めから非現実なこと。スパイダーマンはファンタスティックだが、不思議の国のアリスはフェーリックだろう。ではシュルレアリスムとは何かというと、現実の中に内在するフェーリックなものを見出すことではないだろうか。シュルレアリスムはファンタスティックかフェーリックか、で考えると多分どちらとも言えず、この2つの間にある気もする。最後にユートピアとは何か。ここで語られるのは、西洋的思想と東洋的思想の違いな気がする。西洋的とは、男性的で人工的で、理路整然、理性的であり、完全なる管理社会であり反自然的なユートピアを理想とするが、東洋的とは、女性的で自然的で、混沌としており感性的、欲望を放蕩するような桃源郷的世界が理想とされた。そしてシュルレアリスムとは、東洋的なものである。つまりやはり、感性的、無意識的であり、ユートピア的な、理性的意識的で理路整然とされたものではない。そう考えるとシュルレアリスムとは、人間性というか、理性とか、そういうものやあり方に対する、それは最近の西洋化近代化的グローバリズムもそうだが、そういうあり方に対する反抗ともとれる運動ではないだろうか。文学や芸術のひとつの潮流として現れたシュルレアリスムは、人間は如何に生きるべきか、本当の人間性とは何か、自由とは何かという問いに対する1つの答えではないか。本文にもあったがフランスにおける革命運動においての、"闇を返せ"という言葉なんてのも非常に象徴的である。まずシュルレアリスムとは何か、簡単な定義から始まり、メルヘンとユートピアという、日本でも誤解されて使われている言葉の定義と歴史を明確にしながら、シュルレアリスムとは何ではないのか、という視点から、シュルレアリスムを明らかにしていった本のようにも思えた。また個人的には、美的感性、ユーモア的感性、知的好奇心、これら人間の高次欲求を満たす生き方の共通項は、意識的主観的世界を、無意識的に、シュルレアリスム的に捉え直すこと、つまり現実の破壊と再構築という捉え方もありではないかと思った。美的にはまさにシュルレアリスムで、ユーモア的には緊張と緩和、知的には懐疑による常識の破壊と関心の生成である。シュルレアリスムに対する入門的解説から人間の生き方まで幅広く考えさせられる一冊。

  • ・シュルレアリスムとは、現実を超えた世界ではなく、強列に現実的であること。
    ・シュルレアリスムの世界は、現実の延長線上にあるということが肝。
    ・「桃源郷」と「ユートピア」の違いについて。

  • ページの使い方が勿体無い。わざわざ40%近く空けて脚注を載せるなんて読者を甘やかしているのでは。

  • [ 内容 ]
    現実に内在し、ときに露呈する強度の現実としての超現実―シュルレアリスム。
    20世紀はじめに登場したこの思想と運動について、ブルトンやエルンストを中心に語り、さらに「メルヘン」「ユートピア」へと自在に視野をひろげてゆく傑作講義。
    文学・芸術・文化を縦横にへめぐり、迷路・楽園・夜・無秩序・非合理性などをふたたび称揚するとともに、擬似ユートピア的な現代の日本を痛烈に批判する。
    いま、“幻想を超えて生きるには”。

    [ 目次 ]
    1 シュルレアリスムとは何か(シュルレアリスムという言葉;「超現実」とは何か;ワンダーランドと超現実、そして町 ほか)
    2 メルヘンとは何か(メルヘンと童話とのちがい;おとぎばなしの発生;「眠れる森の美女」の例 ほか)
    3 ユートピアとは何か(反ユートピアの立場から;トーマス・モアと大航海者;ユートピアさまざま ほか)

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 現実的でありすぎるがゆえのシュルレアリスムという解釈。
    超現実とは現実を超えて、別言すれば現実をかけ離れていることではなく、その逆だと著者は言う。ここは辞書的解釈とは異なる点。
    現実の中にシュルレアリスムは既に存在している。

    連関するメルヘン、ユートピアについての論及も面白い。

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シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫)の作品紹介

現実に内在し、ときに露呈する強度の現実としての超現実-シュルレアリスム。20世紀はじめに登場したこの思想と運動について、ブルトンやエルンストを中心に語り、さらに「メルヘン」「ユートピア」へと自在に視野をひろげてゆく傑作講義。文学・芸術・文化を縦横にへめぐり、迷路・楽園・夜・無秩序・非合理性などをふたたび称揚するとともに、擬似ユートピア的な現代の日本を痛烈に批判する。いま、"幻想を超えて生きるには"。

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