- Amazon.co.jp ・本 (538ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480087386
作品紹介・あらすじ
著者は二つの問いを立てた。「第一に、なぜ祭司は前任者を殺さなければならないのか?そして第二、なぜ殺す前に、"黄金の枝"を折り取らなければならないのか?」森の聖なる王、樹木崇拝、王と祭司のタブー、王殺し、スケープゴート、外在魂…大きな迂回とおびただしい事例の枚挙を経て、探索行は謎の核心に迫る。答えはある意味であっけないが、モティーフは素朴ではなかった。ロバートソン・スミスのセム族宗教史に多くを負いながら、それと微妙な距離をとると同時に、ルナンへの傾倒を韜晦してやまないフレイザー。本書を手の込んだ文化相対主義的キリスト教起源史と読むこともできる。さて、再び、「金枝」とは何か?初版完訳、全二巻完結。
感想・レビュー・書評
-
下巻も様々な未開人の風習が数多く記載されており個々の事例だけでも楽しめる。節分、大掃除、忘年会といった風習は世界各地に存在している。人間の考えていることはどこでも大差無いということを知った。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本の中の本。
本からの知識で、キリスト教期限に迫る大部の書物を書いたのは、恐るべき資料の収集力、本人の情熱、今の子供おじさんの究極形か。 -
上下巻1000ページにも及ぶ本書を通読した後に再度1章1節に立ち返ると、これまで挙げられてきた膨大な事例は全て円環するかのごとく最初の疑問に結びついていた。個人的には前任者の殺害、外在する魂の象徴という共通点で火の鳥・異形編を思い起こさずにはいられない。無数に例示される風習・儀礼の数々はその一つひとつが金枝篇という書物に宿るヤドリギであり、それは次なる物語を生み出す根幹となる。物語が儀式を産みだすのではない、儀式が物語を創りだすのだ。無数の驚きと発見に満ちた本書は、さしずめ人間の持ちうる想像力の博物館だ。
-
膨大な博学記に圧倒された。
十分に理解できなかった点はあるが、世界中の民族伝統を多く知れたことだけでも収穫あり。 -
世界の膨大な習俗・神話の森を歩き回ったような感覚。よくもまぁこれほどまで豊富な事例を、ストーリーに沿って配置したものだ。「肘掛け人類学者」を侮るなかれ。(わたしは今まで侮っていた)
彼の探求したテーマ、「ネミの森の神話において①なぜ祭司は前任者を殺さなければならなかったのか②なぜ殺す前に、〈黄金の枝〉を折り取らなければならなかったのか」、を豊富な事例を用いて謎を解いていく過程もこの本の肝なのだから興味深かったが、わたしが最もそそられたのは内容を圧殺するほどの事例の合間に垣間見たフレイザーの未開観・人類学観の方だ。ちょうど上巻274~276P。
「結局のところ、われわれの蛮人との類似点は、相違点よりもはるかに多いのだ。そしてわれわれが蛮人と共通に抱いているもの、真実かつ有益なものとしてわれわれが大切に保持しているものを、われわれはわれわれの蛮人の父祖たちに負っている。」
かといって、フレイザーにとっては野蛮なものは学ぶものが多いとはいえやはり野蛮なのである。時代状況もあるだろうが、われわれとは異なる習俗、一見すると原始的な生活をしている人間に対して、「未開」だとか「野蛮」という語以外の説明する言葉をもってはいない。というか、それゆえに人類学はそれら「未開」「野蛮」を打破する、あるいはとって代わる説明言語を探求してきたんだろう。 -
一言でいうと、「乾燥ワカメ」みたいな作品。
長いが構成は至ってシンプルで、冒頭で示された二つの問いに答えるだけ。それぞれの証明にあたって、類似例が乾燥ワカメみたいに膨張していく…。「スケープゴート」や「外在の魂」など今でも映画や書物のなかに簡単に探せる。
「もしわたしの上記の仮説が正しければ」[p435]などにみられる資料操作の痕跡はむしろ気持ちが良い。19世紀の書物なので、情報が古く確かめにくい事例が多い(もちろん「未開人」や「野蛮人」などの視点が前提だが、ヨーロッパ資料にそれほど特権を与えていない)。厳密な学問書というより、ミステリー小説のように読むのがベスト。
まず「なぜ[イタリアのネミの]祭司は前任者を殺さなければならないのか?」への解答は第三章より<樹木や穀物の生命を維持するため>である。そして「なぜ殺す前に、『黄金の枝』を折り取らなければならないのか?」への解答は第四章より、<祭司の?「外在の魂」が金枝(=ヤドリギ?)であったからそれを折る必要があったため>である。
結論や著者の考え、キリスト教の起源などに興味がない読者でも、それぞれ独自の結論を編むこともできるぐらい個々の事例が豊富。読み方によってはマルチエンディング。 -
『ぼくらの頭脳の鍛え方』
書斎の本棚から百冊(立花隆選)28
人類史・文化人類学
文化人類学の古典中の古典。
※「初版」はリスト名にはないが、ちくま学芸文庫はこちらのみ。 -
表紙裏
著者は二つの問いを立てた。「第一に、なぜ祭司は前任者を殺さなければならないのか?そして第二、なぜ殺す前に、〈黄金の枝〉を折り取らなければならないのか?」森の聖なる王、樹木崇拝、王と祭司のタブー、王殺し、スケープゴート、外在魂・・・大きな迂回とおびただしい事例の枚挙を経て、探索行は謎の核心に迫る。答えはある意味であっけないが、モティーフは素朴ではなかった。ロバートソン・スミスのセム族宗教史に多くを負いながら、それと微妙な距離をとると同時に、ルナンへの傾倒を韜晦してやまないフレイザー。本書を手の込んだ文明相対主義的キリスト教起源史と読むこともできる。さて、再び、「金枝」とは何か?初版完訳、全二巻完結。
目次
第三章神殺し
第四章金枝 -
第三章神殺しの途中から補遺まで。
19世紀的な進化主義の考え方とか資料となっている事実への態度はさておくとしても、世界各地各時代の様々な宗教的儀礼がそれをする人々にとってどういう意味があったのか、どういう世界観の表現なのか、その儀礼において何が体験されるかの解釈としてはとても面白い。
あとなんか、単純に全体として文章の展開が上手いよね。 -
恐らくは、呪術的儀式を現実性から乖離せずに考察した数少ない一冊だと思う。と、同時にアニミズムへの入門書としてもかなり有益だと見れる。