- Amazon.co.jp ・本 (493ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480087997
感想・レビュー・書評
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バタイユの珠玉の一冊。エロティシズムの起源を生物学的に定義付け、その後にエロスと禁止、禁止と侵犯、そして宗教との関連について考察する。
日本では高群逸枝が似たような考察を先んじて行っているが、生物学から演繹して人間の情念を論じるということは近代において避けられてきた部分もある。今日では恋愛感情は自律神経の働きによって分析されているものが最も「科学的」と思われているのだろう。心理学によって実際の行動のパターンは分析されうるものの、それの社会的機能、基盤についての考察においてはこの『エロティシズム』を超える論述は未だお目にかからない。私の勉強不足であるかもしれないが……
情念論はデカルトあたりを発端に考えるのがよいのかもしれないが、哲学的には今日相当に未開拓の分野であるといえよう。今後の研究が——性という「宗教的」タブーを越えて——進むことが期待される。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
エロティシズムの発生メカニズムを、人間社会における動物性や自然的直截性への嫌悪、あるいは惧れという心的な抵抗、すなはち<禁止>という現象と、それをさらに否定すること、すなはち<侵犯>という両者のダイナミズムで以って俯瞰的な説明を施した書。
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_専門家_はけっしてエロティシズムのレヴェルにはいない。すべての問題のなかでエロティシズムは、最も神秘的で、最も一般的で、最もかけ離れた問題である。/最高の哲学的な問いはエロティシズムの頂点と一致する。/労働と比較すると侵犯は一つの遊びである。遊びの世界では哲学は解消する。/言葉だけが、限界で、もはや言葉が通用しなくなる至高の瞬間を明示するのである。だが、語る者は、最終的には自分の非力さを告白する。
エロティシズムとは、人間の意識のなかにあって、人間内部の存在を揺るがすもののことなのである。/タブー〔禁忌〕は冷静さと理性の世界を可能にするが、その大元では恐怖の震えなのだ。/女は男の欲望に対して自らを対象(客体)として提示する。(フェミニストが聞いたらブチキレそうw)/低俗な娼婦は禁止と無縁なるがゆえに動物に堕落する。/サドを讃えれば、サドの思想を緩和することになる。(だから江頭2:50は嫌われる努力をする)/どのような神秘体験も、場を移された性体験に過ぎない。
人間存在が自分自身に寄せる省察、存在一般に寄せる省察が、もし最も激しい感動の状態に無縁なら、いったいその省察は何を意味しているのだろうか。/哲学は、特殊専門化した作業として、一個の労働になっている。つまり哲学は、気付かぬまま、激しい感動の瞬間を排除している。/哲学は言葉を死刑に処する。 -
飽く迄も常識の概念から逸れる事無く繰り広げられている、エロティシズムの哲学。澁澤氏の方が好ましいと思われる。
サド侯爵の引用文から、死・殺人とエロスティックを繋げて居るところは評価したい。しかし眼球譚と書いた筈のバタイユの哲学としては、少々期待外れな気もする。
まだ途中ではあるが。 -
伊坂幸太郎の『重力ピエロ』で春が必至に読んでいる作品。
これも授業のために読んだ。
ジョルジュ・バタイユですらエロオヤジで有名だがそんな彼でもサドのことを冷静に分析していてこっちのほうがサドを知るにはいいと思った。 -
ラカンと共に読み解きたい。
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大学3年のゼミ夏合宿のテーマ本です。人がエロスを感じる原理や、そのルーツなどを考察しています。
性行為自体が生と死と密接な関係にあり、その生の肯定にあたる。そのため、死を連想するものや、そういった禁忌を超えたところに興奮がある。
そうやって考えていくと中々怖いものがありますが、これが多くの文化人や学生に影響を与えたのもよくわかります。
読むのは多分前半だけでも十分だと思います。 -
「エロティシズム」とは何なのかを追求した書。
「エロい本」ではないのであしからず。 -
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