作品紹介・あらすじ
さまざまな変奏と変容を繰り返しながらも、著者のモチーフはいっそう明瞭になった。それを新たな歴史哲学あるいは文明論の試みと称しても、過言ではないだろう。「映像の終りから」に始まり、「消費論」でひとまず終結した批評の営為は、われわれを、ありえた過去とありうべき未来をともに孕んだ現在という未知の核心へといざない続けている。独創性と構想力を兼ね備えた円熟期の代表作、ここに完結。
感想・レビュー・書評
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[ 内容 ]
<1>
「わたしの理解の仕方では、もう現在の未知を既知にしてくれる方法も、そんな認識者もどこにもいなくなった。
…現在が既知だとおもっていたり、おもったりした瞬間からかれの認識は死にはじめる」。
批評とは、寄せては返す波にも似た「現在」という未知を追跡すること、またそれに急き立てられながら歩むことだ。
臨死体験からファッション、ランドサット映像、コンピューター・グラフィックス、都市論、地図論、音楽論、文学形態論まで、この著者だけが達しえた確信の場所で、さまざまなイメージの死と誕生のドラマが紡ぎ出される。
解体と創造、連続と非連続の現場を透視し続ける批評の力技。
<2>
「…要約してしまえば、どんな緊急で突発的にみえる主題も、永続的な根本的な主題のすがたをはらんでいるかとおもうと、どんな永続的な悠久の貌をした主題も、かならず緊急で、突発的なすがたをはらんであらわれるということだ」。
批評の冒険は、価値・生命・言語・自然・神といった、一見古典的な主題へと向かう。
伝統への回帰でも、新しい弁神論の試みなのでもない。
これもまた、現在を追いつめ、同じに現在によって追いつめられた、のっぴきならない思考の身振りであり、世界視線という方法の戦略的実践なのだ。
分離と解体を経て、いまや大きく拡張された場所から見えてくるものは何か。
待望の連作第2弾。
<3>
さまざまな変奏と変容を繰り返しながらも、著者のモチーフはいっそう明瞭になった。
それを新たな歴史哲学あるいは文明論の試みと称しても、過言ではないだろう。
「映像の終りから」に始まり、「消費論」でひとまず終結した批評の営為は、われわれを、ありえた過去とありうべき未来をともに孕んだ現在という未知の核心へといざない続けている。
独創性と構想力を兼ね備えた円熟期の代表作、ここに完結。
[ 目次 ]
<1>
映像の終りから
ファッション論
像としての文学
映像都市論
多空間論
地図論
人工都市論
像としての音階
連結論
走行論
形態論
<2>
拡張論
幾何論
自然論
分散論
パラ・イメージ論
段階論
普遍喩論
視線論
表音転移論
<3>
舞踊論
瞬間論
モジュラス論
エコノミー論
幼童論
消費論
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
著者プロフィール
1924年、東京・月島生まれ。詩人、文芸批評家、思想家。東京工業大学工学部電気化学科卒業後、工場に勤務しながら詩作や評論活動をつづける。日本の戦後思想に大きな影響を与え「戦後思想界の巨人」と呼ばれる。著書多数。2012年3月16日逝去。
「2023年 『吉本隆明全集33 1999-2001』 で使われていた紹介文から引用しています。」
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