宗教は国家を超えられるか 近代日本の検証 (ちくま学芸文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480089199

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  • 120416父三回忌法要の日に  宗教と政治―相反する二つの精神
    070609念仏法難八百年を考えるつどい
    ---
    国民の統合を前提とする近代国家は、人々の生活や文化のすみずみにまで関与し、そこに国家の意思を貫徹しようとする。しかし私たちは国家を相対化し、対抗する精神を必要とするのではないか―。近代天皇制において日本はどのように国民の「臣民化」をはかったのか。「国家神道」のもとに国民を統合しようとしてきた歴史は、いまの私たちにどんな課題をつきつけているのか。近代日本がつくりあげた文化的枠組みの構造と実態を、宗教という視点から再検討し、国家中心主義を超える道がどこに、どのように用意されていたかを探る。

    阿満 利麿
    1939年生まれ。京都大学教育学部卒業後、NHK入局。社会教養部チーフ・ディレクターを経て、明治学院大学国際学部教授。日本宗教思想史専攻
    ---
    第1章
    古式とタブー(桜のイメージ 「女人禁制」 ほか)
    第2章
    つくられた「ナショナル・アイデンティティー」(「神勅」というフィクション 天皇「機軸」論 ほか)
    第3章
    現世主義 (現世の強大化 平家の落人伝説 ほか)
    第4章
    国家を超える (「事大主義」と「信教の自由」 「信教の自由」への道 ほか)

  • 「宗教は国家を超えられるか」副題は近代日本の検証という本である。
    第1章 古式とタブー、第2章 つくられた「ナショナル・アイデンティティー」、第3章 現世主義と云う内容で、明治国家が日本人を臣民化するのに腐心してきたかという意図、プロセスが解明されている。
    また、第4章は「国家を超える」ということで、幸徳事件を参照しながら国家権力の陰湿さを説く。

    最後の西谷修氏の解説「阿満利麿の求道」で、ジョルジュ・バタイユ、ピエール・ルジャンドルの考え方との比喩が面白い。

    ただ単なる、日本国で起きている宗教と国家との関係性ではなく、阿満氏の普遍的なアプローチが感じられる著作でありました。

  •  
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4480089195
    ── 阿満 利麿《宗教は国家を超えられるか 近代日本の検証 20050608 ちくま学芸文庫》
     

  • 国家を相対化する試みを日本における宗教、思想、およびそれらの歴史を通して模索した本。国家の必要性を認めつつも、国家のために私たちは生まれてきたわけではない、と説く阿満氏。その記述は偏ることなく、誠実に考える姿が読む者にも伝わってきます。

    このような、ややもするとこのような本を政治イデオロギーの問題として片付けてしまいそうな、時代の趨勢っていったい何なんだろう。

    「他国が攻めてきたら・・・」

    ボクはこの質問に答えられない。もしかしたら、戦うしかないのかもしれない。しかし、ちょっと待てよとも言いたくなる。どうしようもないのかもしれないが、罪のない人々のことを思うと心苦しい。

    然し、日本という国においては歴史的な流れ、その特性から考えるに、国家を相対化するなど永遠に無理な試みではないだろうか、と思えて仕方がない。


    内容は学芸文庫だけあってかなり充実しています(読むのに一苦労しました)が、それだけに、またそのテーマ性もあってとてもレビューが書きにくかったです。
    (2006年01月23日)

  • 1994年に出版された『国家主義を超える』が原題でそれを文庫本の形式で再販したのがこの作品。

    明治維新から始まる天皇を中心とした国家構造に神道が「非宗教」という宣伝を伴って国民に対して教化・強制されたことを通じて、昔から土着的に存在していた日本人の宗教観を破壊したという点を根本に置きながら、信教の自由そのものが近代日本においていかに打ち砕かれてきたかを論じます。

    特に印象的な指摘は、ヨーロッパを中心にギリシャ時代から脈々と受け継がれてきた政治体制を人体にたとえる有機体的見解は王権神授説や専制君主制が人民による革命の力で打破されたことで近代に突入した一方で、日本はそれとは真逆に近代に突入したときに政治体制が天皇を現人神として国家の中心にすえる有機体的見解が現れたことが大きな違いを生み、その結果が信教の自由という人権の根幹に関わる部分を破壊してしまったことのつながるとの部分です。

    八百万の神を信仰する気風のあった日本が、明治以前の日本に存在していた風習や伝統を明治政府にたくみ使われることによって天皇中心の絶対的構造が作り上げられるにいたったかを解説しています。廃仏毀釈、教育勅語、現世主義、朱子学、本居宣長、こうした点を中心に展開しています。

    宗教に対する理解や不気味さのようなものを現代に生きる人々が、オウム事件や新興宗教、靖国問題などを通じて信教とは何かを考え直す上でも参考になるところの多い本です。

  • 日本が近代国家となる過程で神道が国家宗教となった(他の宗教が弾圧されたあるいは神道に取り込まれていった)過程が良くわかる本.また,桜など数々の「伝統的・日本的価値観」が実はそう古いものではないことが説き明かされるのは非常に興味深い.近代天皇制の成立過程が良くわかる好著.

  • 光文社新書の「国歌と宗教」に比べ、現実の天皇制をちゃんと扱っている点で遥かに優れている。無論その分通史的な興味は失せているが、しかし「国家と宗教」の問題を扱う以上網羅的であるというのはそれだけ焦点のぼけたものでもあるだろう。とりわけ現実に天皇制や国歌、靖国などの問題が取りざたされる時に近代の天皇制について掘り下げ不足、というのは致命的である。そういう点でもこれは買い。推薦する。

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著者プロフィール

阿満利麿(あま・としまろ):1939年生まれ。明治学院大学名誉教授、同人誌「連続無窮」主宰。著書に『法然の衝撃』『親鸞・普遍への道』『歎異抄』『親鸞からの手紙』『柳宗悦』『『歎異抄』講義』(以上、ちくま学芸文庫)、『無宗教からの『歎異抄』読解』『人はなぜ宗教を必要とするのか』(以上、ちくま新書)、『日本精神史』『『往生要集』入門』『『教行信証』入門』(筑摩書房)、『選択本願念仏集』(角川ソフィア文庫)などがある。

「2023年 『唯信鈔文意』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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