幻想の東洋 下: オリエンタリズムの系譜 (ちくま学芸文庫 イ 30-2)
- 筑摩書房 (2005年10月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (394ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480089458
感想・レビュー・書評
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11 新世界の楽園
12 反キリストの星
13 追放の夜・法悦の夜
14 東洋の使徒と「理性的日本」の発見
15 天使教皇の夢
16 アレゴリーとしての「ジアパン島」
エピローグ 二つの「理性」と一つの真理
付論 “近代”世界と「東洋/西洋」世界観
渋沢=クローデル賞
著者:彌永信美(1948-、東京都、仏教学)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
西洋とは、王という権威の象徴の歩みでもあった。自国の領土を拡大させようと、財政の尻を叩き、臣下から酷薄な取り立てを断行して、戦争を仕掛ける指揮官の役割。近代に移るためにはルネサンスと大航海時代を経なければならなかった。ラテン世界の歴史を再確認して、己の出自を固め、野蛮=東洋という図式を掲げて、暗黒の東洋に正義の戦士を名乗って打って出たのだ。自国の領土が世界の中心だと信じて疑わず、異国の文化を破砕させ、民を制圧し隷属させる。そのような西洋が幻視した、東洋とは何だったか。異なるものを許さない偏狭な民族主義が、疾風怒濤の植民地戦争によって、獲得した財宝とは、科学の先端を行くイスラムだったし、インドのお茶であり、インドネシアの奇妙な動植物であった。未開の土地を自国の文化で染め上げる西洋の高慢なやり方が、多くの珍しい因習や制度、宗教や建築を破壊させた。結局、恐怖の権化と見なした東洋世界を、何も知らず学ばず滅ぼして顧みなかった為に、西洋にとっての蛮族の姿は、把握されず消えゆく。意識の中に根深い偏見を宿したまま、歴史は修正されず、正統なる西洋を突き進むこととなった。未だに、現代西洋にとって、カルト的な人気を誇る東洋文化は、イメージの中の東洋であり、幻想であった。その幻想を、東洋の者たちが逆に再把握して、西洋を越えようとする試みこそが、本書の狙いだったのではないか。
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基本、「東洋」は「西洋」に対するものとして誕生した幻想に過ぎない――という論旨なのだが、作者自身は別の幻想に囚われているような気がしてならない。つまり、「日本が世界に果たした役割り」に関する評価がなんとも過大な感があるということだ。こういう感覚って他の国ではどうなんだろう。「中華思想」や「パクスアメリカーナ」は解り易い例として存在しているが、それ以外の国ではどうなんだろう。もし、それが特異なものであるなら、日本が「中華思想」や「パクスアメリカーナ」を揶揄することは出来ないよなあと思ったりする。