日本の百年 9 1945~1952 (ちくま学芸文庫 ニ 9-9)

制作 : 鶴見 俊輔 
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (580ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480090799

作品紹介・あらすじ

開国以来、日本の歩んできた100年、そこに生きた人々、当時の雰囲気、世相風俗を浮き彫りにした、臨場感あふれる迫真のドキュメント。公式記録や史料、体験談、新聞、雑誌、回想録、流行歌にいたるまで多方面から取材し、時代の種々相を写し出した記録現代史全10巻。復刊を待望された名著の文庫化。第9巻は、敗戦直後の想像を絶する経済的窮乏と精神的貧困の時代。同時にまた、日本歴史始まって以来、最も可能性に満ちた時代でもあった。見わたせば一面焼野原、降り注ぐ陽光、そして解放感。引揚者、もと特攻隊、ヤミ屋、戦災孤児、多様な民衆が廃墟の中でさまざまな未来像を描いて必死に生きる。

感想・レビュー・書評

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  • この「日本の百年」シリーズは、1巻の『御一新の嵐』をはじめ、各巻をちょろちょろと読んだことはあったが、1冊まるまる最初から最後まで読むのは初めてな気がする。「占領下」のあたりのことが読みたくて、この1945~1952とある9巻『廃墟の中から』を図書館で借りてみた。600頁近い文庫本を、数日かけて読んだ。

    この9巻全体の編著をうけもった鶴見俊輔が、巻末の「解説」で、こう書いている。

    ▼戦後日本史をつらぬく太い線は、敗戦による窮乏とその窮乏からのたちなおりの過程である。窮乏状態が『日本の百年』の第9巻(『廃墟の中から』)、たちおなりが第10巻(『新しい開国』)である。
     窮乏の中で、もっともはげしく未来の形がさがし求められる。敗戦前後の窮乏状態の記録の次に、未来像の創造の記録をおくことにした。
     日本百年の歴史の中で戦後史にのみある主題は、敗戦とともに、占領である。日本人がどのように占領をうけとめたかの記録を次においた。
     日本戦後史の中で、経済の復興、貿易の再開、技術の進歩と生活の技術化、大衆消費生活の向上、マスコミ・広告・大衆娯楽の発達などは、第10巻にゆずった。戦争裁判は時期としては、第9巻にいれるべきだったが、再軍備論争・憲法改正論争との関係で、第10巻にまわした。松川事件・鹿地事件も、事件のおこったあとで問題が深くなったので、第10巻にゆずることにした。原水爆反対運動・基地闘争も、同様である。(pp.567-568)

    なので、9巻のあとは、やはり10巻の『新しい開国』を読みたいところ。

    さらに鶴見は、「戦後史の方法」として、この本でどのような記録をあつめ、それによって何を描きだそうとしたかを述べている。

    ▼敗戦の予感、戦後の未来への希望、占領、引揚、闇経済下の生活、そのどれをとっても、日本人の体験は、大きなふりはばをもっている。その全体をえがくのに、一つの社会の成員全体に共通な一つの履歴のかたちを求めて、平均的生活歴としてとらえることはむずかしい。(中略)
     反対に、大きなふりはばの中のもっとも周辺的な部分の記録を、できるだけもれなくさがし、周辺をえがくことをとおして中心部を想定する方法をとることが、戦後の状況に適している。
     この場合、ある一つの極端な体験の記録だけをあげるという危険がある。それぞれの時代の極端に対立する利害にもとづく反対体験のそれぞれをくぐることをとおして、公平な展望に達することが、この本の目標である。(p.572)

    この目標を達することは、現代史の場合、いままさに歴史がつくられつつあって、資料も出つくしているわけではないから難しいのだと、鶴見はあわせて指摘するが、それでも、これだけ様々な記録があったのだなーと読んだ私は思った。

    9巻の中に書きとめられ、また引用されているさまざまな事柄のなかで、1945年10月10日の政治犯釈放のところ、釈放される人たちを出迎えにいった大半は朝鮮人であったこと、その日にひらかれた自由戦士歓迎人民大会に参加したのも反芻が朝鮮独立運動の関係者だったというのが強く印象に残った。

    しかも、8月15日から10月10日までの約2ヵ月のあいだ、「実質的無政府状態」のこのあいだにも、政治犯として獄中にあった人たちをすぐさま自由にせよという声は、日本の民衆の中からは出てこなかった。「18世紀のフランス革命が、政治犯のとじこめられていたバスティーユ監獄をうちこわす民衆運動からはじまったこととひきくらべて、革命への機運は、当時の日本には成熟していなかった」(p.155)と。

    大政翼賛会運動が、そもそもは「戦争を開始するための準備行動ではなく、隣近所の仲間づきあいをとおして日本の国をちいさなところから清めていくという運動だった」(p.232)こと、その翼賛運動の創立に参加した田沢義鋪[よしはる]が、「創立一年後には軍国主義の指導下に再編されてゆくのを見て、中心から退き、戦時下に戦争反対の演説をしつつ、四国で1944年に亡くなった」(p.232)こと、田沢のよき協力者であった下村湖人が、戦後にふたたび田沢らの善き意図をすすめようとした「煙仲間運動」のこと。

    バタ屋共和国「蟻の街」のこと。

    現在ある政党やその所属議員の主張からすると、あべこべの感がある、野坂参三の「新しい憲法で自衛戦争まで放棄してあるのはゆきすぎではないか」(p.281)という質問と、吉田茂の「国家の正当防衛による戦争は正当だとされているようだが、私はかくのごときことを認めることは有害であると思う」(p.281)という答弁のこと(このことは、『日本国憲法の誕生』のなかでも言及されていた)。

    日本国憲法の戦争放棄の条文と似ている、1928年の不戦条約の条文のこと(このことも、『日本国憲法の誕生』のなかで言及されていた)。

    「太平洋戦争開戦の日に、特別潜航艇に乗って真珠湾に忍び入った坂巻和男海軍少尉(1918-1999)は、おなじ日におなじ作戦で死んだ9人の戦友とともに、10番目の軍神として、靖国神社にまつられるべき人物であった」(p.481)が、この日に捕らえられ、太平洋戦争の全期間を捕虜として生きて、1946年に浦賀へ帰ってきたこと。

    …とくにそのあたりが、私の興味をひかれたところだった。

    (8/20了)

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