敗北の二十世紀 増補 (ちくま学芸文庫 イ 36-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480091031

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  •  「災厄の世紀」としての20世紀に固有の経験として、「敗北」という経験を改めて引き受け直すこと。「きわめて明瞭にひとつの終わりとして現われるものはわれわれがまだその深い意味を把握できないものの始まりとすることで一層よく理解される」(アーレント)。20世紀の歴史の「喪の作業」として、敗北の記憶の批判的序説をもういちど始め直すこと。

     記憶にないほど久しぶりに再読したが、まるで印象が違ってしまった。それくらい初読のときに「何も読めていなかった」ということなのだろうし、いまの自分の勉強とうまくマッチしたのかもしれない。
     
     アーレント、シュミット、ツェラン、メカス、林達夫。1930年代の「世界」の喪失(市村は「故郷喪失」ではなく、「世界喪失」という語を使う)という経験を徹底して考えつめることで自らの思想を織り上げていったそれぞれの個性と精神史的な同時代性とを、凝縮された文体によって、繊細に、ある面では大胆に描き出していく。市村は後半で武田泰淳に触れているが、1930-1940年代の日本語で、自らの「世界の喪失」と向き合った思考はどこにあったのか、「敗北」という現実を新たな始まりの根源的な契機として突きつめて考えようとした書き手がどこにいたか、あらためて考えさせられた。
     何より、一歩一歩足もとを踏み固めていくように進められる重厚な思索をたどることが、とても心地良く感じられた。明晰さと単純化とは決して同じではないこと、「わかった」という明証性の底からもう一歩思考を推し進めていくことの大切さをしみじみと感得させられた。

  • 市村弘正のまなざしは、常に小さなものや失われたもの、傷ついて損なわれたものに対して向けられる。おそらく著者は、本当の悲劇というものは決して物語ることが出来ないのだという事実に、徹底して向き合ってきたのではないだろうか。アレントからシュミット、丸山真男といった戦間期の思想家達の言葉を借りながら、本書ではそうした「言語を絶する悲劇」であった20世紀という時代を、時代が犯した敗北という事実を、繊細ながら強靭な文体によって懸命に引き受けようとする。歴史が成功者の手で綴られるのだとしても、ここには敗北の言葉がある。

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