なぜ、植物図鑑か: 中平卓馬映像論集 (ちくま学芸文庫 ナ 14-1)
- 筑摩書房 (2007年10月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480091109
感想・レビュー・書評
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東京都写真美術館で現代の写真の解説って哲学や思想に近いのね難しいなあと思いながら見ててそこのミュージアムショップで見かけてうっかり買った本。文字を辿り自分なりに理解しながら読み進める。当然読みおわらないので別の日に続きから読む。その時には前回の内容をすっかり忘れてるから戻って読む。全然進まない 笑
写真を撮ることをなぜ語るのか、写真と世界と自分の関係をどう捉えているのか。吉川知生の「今その溜め息を、あなたは迸り出る流麗な語りに置き換えようとしているのではないでしょうか。」批判に対する弁明()が小難しすぎて概念を絶妙に言語化するのと言葉を弄ぶのが紙一重に感じる。それでも全体像は掴めなくても著者の思想が読み取れる端々はなるほどと何かが見えた気がするし、大学入試の制限時間や「解答」を気にせず読める歳になってから読めて良かった。
p20そのさらに向う側に拡がる未知の世界が偶然にも発してくる象徴(くどいようだがそれら私の捕えた世界の意味の象徴とは逆転した位置にあることは言うまでもない)を受けとろうと待ち構えることである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
写真家・中平卓馬の写真、映画、テレビなどを含む映像論集。
書かれた時代を反映して、左寄りでかなりラディカルな部分もあるけれど、「表現」としての写真を考える上では示唆に富んだ本ではなかろうか。 -
例えば日本でいえばモノ派であったり、海外であればミニマリスムがそうだったと思うが、そうした60年代から70年代のアート・シーンにあって、「〜そのもの」あるいは「あるがまま」を求める姿勢が前景化してきた。Not Art But Work、という標語が字義通りの意味で読まれなければならないのは、まさにこの時代からだ。ArtをArtたらしめるそれを中平は〈手〉に象徴させ、この〈手〉が〈イメージ〉や〈詩〉を生み、「あるがまま」のそれをArtへしてしまう。しかしそれはもう不可能性なのだ、と決別するのが中平である。では中平は当時の新たな潮流にそのまま呑まれてしまうのだろうか。いや、彼が「真の幻想性は物の側にある」と語るとき、あるいは〈映像言語〉なるものを批判するとき、それは実にアクチュアリティをもって木霊してくるのではないだろうか。
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暴力的ですらあるが、あとがきにあるように、『この通りの写真なんか簡単に撮れない』し、『自分をがんじがらめにして』いる。
ツッコミどころは多々あるが、もがき苦しみ、産んでいく人がいた。