世界制作の方法 (ちくま学芸文庫 ク 15-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (305ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480091253

作品紹介・あらすじ

本書が刊行されるや、アメリカ哲学会に大きな反響を惹き起こし、度重なるシンポジウムが開催されたアメリカ現代哲学の最重要著作。世界制作論とは、グッドマン独自の唯名論的論理を基礎とした、もろもろの哲学に関する哲学、メタ哲学、哲学とはいえない哲学、という逆説である。そこでは、藝術、科学、知覚、生活世界など、幅広い分野を考察し、思索の徹底性を示す。「われわれはヴァージョンを作ることによって世界を作る」。この洞察によって、言語中心主義に陥っている現代哲学の超克を目指し、人間の記号機能の発露としてのさまざまな世界を、平易な文体によって等しく考察する創造的試み。

感想・レビュー・書評

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  • 新訳みたいなので、読みやすい文章になってます。しかも文庫だから買いやすいです。

    アメリカのハーバード大学など諸機関による芸術と認知についての研究であるハーバード・プロジェクト・ゼロの「芸術」の概念とも深くかかわってるみたいです。

    「いつ芸術なのか」だけでも読む価値ありです。複雑さが複雑なままわかりやすく説明されているような感じです。

  •  著者はアメリカ現代哲学の大物らしいが、どうやら日本ではなぜかあまり注目されていないようだ。
     この人の考え方は要するに唯名論で、「ヴァージョン」や「ヴィジョン」が多数記述されることによって世界は「制作」されるのであり、我々がよく考えるように「実在する世界」と「主観」が対立しているという構図は、否定される。
     つまり実在が云々されるまえに論理/記号/言説が前提とされ、これにより世界は「多数性」として拡散する。
     この実在否定の(に見える)考え方は、グッドマンもあまり説得的に詳しく書いていないので、腑に落ちないようではあるが、しかしそれはそれとして、実に興味深い。
     ベルクソンはじめ、哲学者のうちの多くは、ろくに芸術を知りもしないで芸術について書きたがるため、芸術論の面ではちょっと笑わせられてしまうような事例が多い。しかしグッドマンは違う。かなりの通のように思える。この本でも、芸術に関する記述の部分がとても面白かった。
     何かを表現しているわけではない抽象絵画や音楽などの「純粋芸術」は、「みずからの特性のあるものを例示する」ことによって、記号として作用する。この指摘に感心させられた。
     この人の芸術論の著書を読んでみたいが、邦訳されていないようだ・・・。

  • 世界は制作される。以前のヴァージョンの改訂として。
    本書を通じて、グッドマンはこの点を強調する。

    それゆえ、今の私たちにとって意味のある問いとは、世界の存在についてではなく、その世界の作られ方や過程の方だ。原初の世界のようなもの、無垢であらゆるヴァージョンの根底に横たわるような安定した世界のようなものは、あるとしても、空虚だ。私たちはすでに世界の中におり、その世界の中から次の世界を作り直すしかない。

    グッドマンは手の届かない場所にある真理や、その探求においてロマンティックに注がれる視線よりも、手の届く場所にありながらあまり考えられたことがない問題や、より日常的な視線を好む。そしてその視線を保ち続けることで、素朴に捉えられている世界の見え方を覆す。

    それは手品師のように鮮やかな手つきだが、実際そのタネはいつも目の前に広げられていることに読者は気づくことになるだろう。

  • 記録

  • [出典]
    「解像度を上げる」 馬田隆明 P.247

  • 言語哲学、論理学、形而上学、芸術論に多大なる貢献したアメリカの分析哲学者グッドマンの著作。グッドマンの哲学の特徴は、記号主義(この記号主義は、構成主義、体系の複数性、唯名論、反基礎付け主義を特徴とする)、多元論(この多元論には、ヴァージョンの複数性、非実在論、根本的相対主義を特徴とする)である。以下、目次と内容概略。

    第一章 言葉、作品、世界
    数多くの異なった世界=バーションがある。しかし、それぞれが唯一の基盤たる世界に還元されるわけではない。様々な世界製作の方法(合成分解、重みづけ、順序ýづけ、削除と補充、変形等)があり、作りだされたバージョンはそれぞれ正しいバージョンである(芸術のバージョンも科学のバージョンも)。これらのバージョンには真理よりも「正しさ」が重要である(「正しさ」については第七章)。

    第二章 様式の地位
    「一般に様式をなす特徴を他の特徴から区別するものは何か」という問いについて。様式の定義、様式の意義などについて。様式には、語られたもの、例示されたもの、表出されたもの、の特徴が含まれる。様式理論においては、様式と主題、形式と内容、「何」と「いかに」、内在的と外在的などの二項対立を導入すべきではない。

    第三章 引用に関するいくつかの問題
    言語以外(絵、音楽、身振り等)の引用とはいったいどのようなことなのか、可能なのか、についての考察。

    第四章 いつ芸術なのか
    「芸術とは何か」という問いについて。「象徴とは外在的であり、作品そのものは象徴ではない。真に重要なことは外在的な象徴について考えることではなく、それと離れて、その作品に内在的な特性とは何か考えることだ」という意見の批判的検討。作品は必ず記号作用(象徴)を行う物であり、内在的な特性の区別などできない。どのようなものも記号作用を持ちうるのであれば、「良い芸術とは何か」より「いつ芸術となるのか」という問うべきだ。

    第五章 知覚に関するある当惑
    心理学実験における仮現運動についての考察。特に、色の仮現運動について(なめらかに別の色に移動せずいきなり色が変わるということへの当惑)。むしろ、運動の視知覚のあらゆる明確な事例は、事実上色の突然変異に基づくものである、との結論。

    第六章 事実の作製
    事実は作為的である。事実は理論負荷的である。事実とは小さな理論であり、真なる理論とは大きな事実である。我々は何か古いヴァージョンから出発し、新しい世界を制作すると決意してその技量がもたらされるまでそのヴァージョンにしがみつく。古代ギリシャにおける世界制作を例にとる。
    どのヴァージョンも(虚構から成るヴァージョンでさえ)知識拡張の様態の一つであり、科学同様に真剣に解されねばならない。

    第七章 レンダリングの正しさについて
    真と偽とを区別するだけでは正しいヴァージョンと間違ったヴァージョンを区別するのはに十分でない。検証と真理、真理性と妥当性、正しい代表、公正な見本についての考察。ヴァージョンはそれぞれが適合する世界に対して真であり、その世界に対して正しいとみなすことができる。記述や代表の正しさは真理に包摂するよりも、適合の正しさという一般観念の下に包摂するべきだ。正しいヴァージョンの探索に用いられる検証手段(見本の抽出や一致、演繹・帰納推論等)に対する我々の確信は正当化できない。カテゴリー把握の正しさは、実践と適合の問題である。

    ____________________

    ぼんやりとしていてわかりにくいが、ところどころはよくわかる。
    指示、記述、描写、外延指示、代表、例示、表出、しるし、写し、書記体、綴り、など非常に似たような単語が出てきてわかりにくい。他にも稠密、投射、自書体を入れるなどの独自の表現が頻出してわかりにくい。それを見越してか、親切にも後ろに単語がまとめてあるのでそれを参照するべき。
    いつ芸術なのかと引用の問題が好き。第二章と、第七章の後半が難しい。私だけかもしれませんが、glueのパラドックスの議論の主眼がいまいちよくわからない。
    幅広い分野を論じているようで、主張がかなり一貫していると感じた。芸術や隠喩表現の意味、シンボル機能、世界の構成などについて述べているので私の興味の範疇にかなり沿っている。また読もう。別の著作も調べるべき。

  • 現代哲学というとフランスのポスト構造主義がなんとなくおしゃれな感じで、英米の哲学というと、相変わらず、堅苦しい分析哲学とか、言語哲学というイメージがある。

    というわけで、敬遠していたのだが、最近、ウィトゲンシュタインの「哲学探究」の問題意識に関心があって、その延長線上にあるものとして、ちょっとアメリカの哲学状況にも目を向けてみようかなと思い始めた。

    というところで、最初にあたったのが、この「世界制作の方法」なる本。基本的には、分析哲学や言語哲学、科学哲学、認知心理学などをベースとしているのだが、「世界制作」というタイトルからして、ぶっとんでいる。

    で、中をみると、世界は複数のヴァージョンであり、どれが正しいわけではない。という徹底的な相対主義だし、ヴァージョン、ヴィジョン、レンダリングなど、言葉づかいもなかなか刺激的で、面白い。

    基本的には、実在とか、認識とか、哲学の中心主題を巡る本なのだが、かなり芸術論的なパーツが充実していて、楽しい。で、その美学的なパーツと形而上学的なパーツがまさに同一の主張であって、要するに「科学」も「芸術」もどちらが「正しい」というわけでもないということを本の構成としてもまさに示したというところ。

    個人的には、世界はヴァージョンであり、他のヴァージョンの組み合わせとか変形でできる。が、オリジナルなヴァージョンがあるわけではない。という世界観は、かなり共感できる。

    というのは、80年代に洋楽聴いていたときに、やたら同じ曲のヴァージョンが出てきたり、曲の引用だとか、引用の引用といった現象があからさまになされている状況があって、そのときに、なんとなく「世界はヴァージョンだ」と思ったことがあるので。。。。

    というわけで、米国の現代哲学もしばらくお勉強してみようという気になった。

    もちろん、この本読んで、本当のところ何が分かった訳では、全然ないけどね。(読んでも全然分からないけど、なんだかそれなりに賢くなった気になるのは、フランスのポスト構造主義と同じ効用がある)

  • 面白かった。ネルソングッドマンといえば、有名な本もありますが、これは秀逸な芸術論として読みました。意外と、分析哲学的なアプローチの汎用性をみました。

  • あるブログで推薦されていたので手に取る。
    世界論であり認識論、といったところ。この方の著作は初読。

    世界や現実は人の数だけ存在する、というのが私の解釈。あるいは曲解。

    米国の哲学者は事例が恣意的だというのを苫野先生が言っていたが、その傾向が見られた。
    また推薦本は自分の中で勝手にハードルを上げてしまっていることに気づく。期待し過ぎないこと。

  •      -20080619

    「われわれはヴァージョンを作ることによって世界を作る」、芸術、科学、知覚、生活世界など、幅広い分野を考察し、人間の記号機能の発現としてのさまざまな世界を読み解き、現代哲学の超克をめざすという本書、87年初訳のみすず書房版の文庫化、08年刊

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著者プロフィール

1906~1998年。アメリカの哲学者。美学、論理学、認識論、科学哲学において多大な影響を及ぼした。画廊を経営するかたわら、ハーヴァード大学で博士号を取得。ハーヴァード大学哲学名誉教授。タフツ大学、ペンシルヴェニア大学、ブランダイス大学、ハーヴァード大学など、各地で教鞭をとる。ハーヴァード大学では、哲学、認知科学、芸術、教育を融合させることを目的とした研究機関「プロジェクト・ゼロ」を設立。おもな著書に、『事実・虚構・予言(Fact, Fiction, and Forecast)』(雨宮民雄訳、勁草書房、1987年)、『記号主義――哲学の新たな構想(Reconceptions in Philosophy and Other Arts and Sciences)』(エルギンとの共著、菅野盾樹訳、みすず書房、2001年)、『世界制作の方法(Ways of Worldmaking)』(菅野盾樹訳、ちくま学芸文庫、2008年)など。


「2017年 『芸術の言語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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