- Amazon.co.jp ・本 (399ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480091888
感想・レビュー・書評
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新書文庫
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自由の女神とインディアン・クイーン、人形の家、家具カタログ、写真、ベッド、椅子、そして現代の都市における摩天楼といったさまざまな「もの」を取り上げて、それらの「もの」に注がれる私たちの視線がどのような精神史的背景の中で形成されてきたのかを考察している。
視線やまなざしの政治学という本書の主題はフーコーの仕事を思い起こさせるが、「解説」で内田隆三が指摘するように、著者の手法は、言説を分析の対象にしたフーコーよりも、「もの」に込められた歴史の稜線をたどってゆくベンヤミンの仕事に近い。
とはいえ、本書の主題となっているのは、「もの」そのものというよりはむしろ「もの」を取り巻く「視線」である。ここで言う「視線」とは、「世界を織っている集合的な経験」を意味している。これに対して「もの」そのものは、それが有する固有の屈折率によってそこに集まる視線をたわませることで、それについての集合的な経験を構造化している当のものだと言うことができるだろう。こうした「もの」そのものに即した歴史的経験の分析は、本書よりもむしろ著者の『「もの」の詩学』(岩波現代文庫)において顕著に見られる。
著者が「文庫版あとがき」の中で、「いかにも若書きであり、方法が剥き出し」だと述べているのは、こうした本書の考察の仕方に不満を覚えたためではないかと思われる。本書は、「もの」そのものではなく「もの」に注がれる私たちの「視線」を分析の対象にしているために、精神史的考察という方法論的な視座があたかも確固とした足場として確保されているかのような外観をまとってしまっている。だが、じっさいに「もの」にまなざしを注ぐという振舞いを離れて、私たちの視線の歴史的形成を客観的に記述することなど不可能だ。本書の孕んでいるこうした問題が、より「もの」そのものに即した分析へと著者を動かしていったのではないだろうか。 -
たいそうおもしろうございました。だがしかし、おもしろいわりにはうまく感想が紡げないという感じ。扱っている個々の物が非常にユニークでありまして(ex,自由の女神、人形の家、カタログ、パノプティコン、写真、肖像、寝台、椅子、都市)、それに付随する形象の変遷(社会状況の変遷)もきれいさっぱり。…どう考えてもこれくらいしか思いつかないから、とりあえず個々の物の歴史は無視して、全体への基調だけでも記そうと思う。
この本は物の形象に刻み込まれた「(集合的な)まなざし」に注目し、物とまなざしからその当時の社会状況、あるいは社会の雰囲気を読んでいる。
以上…。趣味的読み物としてよかったです。