魔術的リアリズム: メランコリ-の芸術 (ちくま学芸文庫 タ 4-2)
- 筑摩書房 (2010年2月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480092786
作品紹介・あらすじ
1920年ドイツ。表現主義と抽象全盛の時代に突如現れ、束の間妖しく輝き、やがてナチスの「血と大地」の神話の陰に消え去った、幻の芸術があった。歴史の狭間に忘れ去られた画家たちの軌跡を克明にたどり、仇花のごとき芸術の誕生と死を通して、ある時代の肖像を鮮やかに描きだした名著。
感想・レビュー・書評
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魔術的リアリズム、新即物主義。日本ではそれ自体がマイナーな派閥ではある。しかしそんなマイナーな派閥の中でも筆頭格として名を挙げたベックマン、カーノルト、ディクス、グロス、ショルツらではなく、本国でもマイナーな気味(らしい?)な画家たちにスポットライトを当てている。
シュリンプフやグロスベルク、ヴァッカーをはじめとした日本では中々お目にかかれない彼らの貴重な日本語資料。有難い。
しかし少し触れられたディクスの箇所に誤りがありました。彼は左派ではありません。作品についての解釈が寛容であり、左派の友人たちも多かっただけで、本人は政治的な立場を明確にすることは避けていました。こちらは1988年に神奈川近代美術館等で開催された『オットー・ディックス』展の図録で確認が取れます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「魔術的リアリズム」種村季弘
20世紀ドイツ芸術について。暗褐色。
ノイエ・ザハリヒカイト(新しい即物性)。一次大戦からナチスの台頭までに表れた。
工業技術の発展を背景に、“人びとの情熱は昼よりは夜に、現実よりは夢に向う。”
1923年5月、マンハイム美術館にて企画された未開催の展覧会の回状にて、『新即物主義』の名前が初出。
“ここ十年間に、印象主義的分解にも、表現主義的抽象にも組さず、またもっぱら有意味的に外的でもなければ、もっぱら構成的に内的であるのでもなかった、そのような芸術家たち~”
“ポジティヴに具体的な現実に断固として忠実であり続けた~そのような芸術家たち”
背景には、印象主義(impression)の外観性/表現主義(expression)の精神性に反立する、新しい時代のモノから投影されたヒトの姿、無機質な没個性を描くムーブメントがあった。
いずれにせよ1918~1933頃の、ドイツ芸術の傾向のみにとどまったのである。
後表現主義としての立位置(フランツ・ロー/抜粋)
醒めた対象、宗教的命題極めて少ない、静力学的、うすい色層、記述的
もう三崎亜記ドンピシャ。だと思う。
フランツ・ローによれば、それは印象主義(的リアリズム)と表現主義の双方の「浸透」から成るものであった。
印象主義的、乃至表現主義的、な傾向は過去繰り返し用いられた主題であるところに、第三の命題として、客体の主格化がきた。世界に対する我々ではなく、世界が我々に対する? -
近代のあまり触れられていないリアリズム〜ダダ周辺の美術史、のはずなのだが何しろ筆者の筆力が凄い。詩的な表現と感性丸出しの文章なのに読ませる雰囲気で説得力もあり。ボリュームもボリュームなので時間がかかるかと思いきや一気に読んでしまった。表紙にも使われているエレボー、素晴らしい。
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https://calil.jp/book/4891941693
PARCO出版局(1988-03) -
魔術的リアリズムは別の本で名前だけは知っていたけど、それを掘り下げるにはマイナーな分野である。第二次産業革命後の技術革新と戦争不安でわちゃわちゃしてる時代の文化ってめちゃ魅力的。日本の文豪の時代とか、今の感覚でなかなか生まれない面白さがあった。背伸びしすぎて前提知識足りんかったけど、ちょっとだけ魔法使えるようになりました。部分的に再読したい。
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解説:今泉文子
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新書文庫
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芸術は魔術。
私は芸術はよくわからないが感動は人並みにする。リアルな絵画はフィクションではあるが虚偽の感動は起こさない。それは真実の感動であり、涙は流れ落ちる。 -
単行本で既読。
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読みたい本。
新聞広告より。「第1次大戦後のドイツに突如現れ、瞬く間に消えたリアリズム絵画。街も人間も風景も硬直した機会のように描き、黄金の1920年代の裏側にある沈黙と孤独の表徴となった。「死ヲ忘レルコトナカレ」の警句が響く絵画迷宮への案内書。」