「伝える」ことと「伝わる」こと―中井久夫コレクション (ちくま学芸文庫)

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著者 : 中井久夫
  • 筑摩書房 (2012年2月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (412ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480093646

「伝える」ことと「伝わる」こと―中井久夫コレクション (ちくま学芸文庫)の感想・レビュー・書評

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  • ・これは断言できませんが、絵画療法上、伝統的診断で精神病といわれている症例では、うつ病、統合失調症ともに、いや器質性精神病でも、画の言語的説明が乏しく、伝統的に神経症といわれている症例では、画そのものの水準は低くても言語的説明が明確で均衡がとれ、適切で豊富です。

    ・反作用は身体化する。精神病者たとえばうつ病者の肩こりや、統合失調症者の身体緊張の全身分布の不均衡―たとえば顔の上半分は緊張しているのに下半分は弛緩しているとか―はよく知られているが、これが「波長あわせ」をしている治療者にそっくり移ることがある。神田橋氏は、患者の言葉によく傾聴する方法として患者の姿勢を模倣すること、たとえば患者が足の先をみつめているなら自分の足の先をみつめてみる、ということを推奨している。確かにそのとおりであって、ふんぞりかえっていては聞こえない多くのことが聞きとれる。しかし、その副作用もあって、治療者の身体がゆがむ。
    …「”ノイローゼ”の患者は全身の筋肉のやわらかさがたえず予想を裏切るもので、いわば暗闇で石ころだらけの道を歩くように非常に疲労する」とのこと。

    ・患者の問題にするどい注意が向いていると思っている時に、しばしば、この「自由に注意をただよわせる能力」がなくなっていることがある。数秒や数十秒ならよいかもしれないが、持続的に喪失しているのは、いかに我ながらよい切りこみをしていると思っても、いやそう思えば思うほど、長期的には患者に破壊的な、患者のうらみを買う面接をしていることが多い。「いいアイデアを得たぞ」と鼻をうごめかしたくなる時には、この治療者の自由性がいつの間にか消えてなくなっていないかどうか、そっと振り返って吟味してみる必要がある。

    ・面接の最初と最後には現実的な話題になるようにすること。特に、幻想的な、あるいは深層心理についての会話、あるいは情緒を大きく荷電した話で終わらないことである。そういう話で面接を終えることは、包帯をまかずに外科の処置室から患者を帰すことに等しいと思う。これは恋する相手とのランデヴーにもいえることだろう。

    ・ある種の患者には初対面の時から、この患者はとうていこなせないが、しかし、自分は逃れることもできないと圧倒されてしまうことがある。こういう時に限って、誰も自分を助けてくれないという孤立無援感を抱く。
    …こういう場合は、患者と二人だけであてどなくさまようような治療関係になる危険が大きい。重要なことはまず、どんな患者でも治療できるという治療者の万能感を捨てることである。そういうことを傍からいっただけで楽になったといわれた場合さえある。第二に、同僚の中に聞き役を一人作ることである。同僚も、こういう場合はよい聞き役になるべきである。この場合、助言や指示、解釈は二の次であり、必ずしも有用ではない。

    →クレーム対応の同僚への対し方として読んだ。僕は少ししゃべり過ぎ。

    ・有意味な面接は、特定の治療者と特定の患者という組み合わせでは、大体40回前後であるそうだ。前にも書いたことがあるが、われわれは40枚くらいの回数券をわたされているようなものである。週一回であると大体一年、二週に一回では二年であるから、そういうものであろう。

    ・例えば、絵で話をする場合、絵というものは否定を意味することができない(ヴィトゲンシュタイン)。絵に描かれたものは、漠然と、「存在するもの」と受け取られやすい。言語では”non”ということができるが、絵で否定の意味を伝えようとすれば、音声言語で「これは否定の記号だよ」と予め伝えておいた記号を使う他はない。つまり、否定ができるというのが言語第一の有利性である。

    →確かに。神の完全性は否定でしか語ることができない、と言われる。現実に存在するものはすべて一部でしかなく、不完全だから。つまり一神教の神は言語と同じように、形而上であり、論理の世界の存在なのだ。

    ・統合失調症の言語症状の多くは、独語にせよ支離滅裂にせよ、反響言語(言ったことをそのまま繰り返すこと)ほどみごとにテクニカルに伝達を拒否していなくとも、相手の接近を回避している。一般に、言語症状は、「メッセージがとらえられないもの」と解していいと思う。”症状性”と”メッセージ性”は相反関係にある。

    ・あいづちなんかは、情報は伝えてはいないが、相手とこちらをつなぐような機能をしている。「あのー」は次の話へと話をつなげる。そこで、私は言語のこういう面に、「話の継ぎ穂」という名をつけたい。
    …聴き手に対して「のである」をできるだけ使わないでおこうという努力は、日本文をひきしめるが、どうしても使わねばならぬ時がある。それは、ことばの流れを一次そこでゆるくして、前の文章をふり返ってから次へ進んでほしいという時である。いわゆる敬語にもその働きがある。北九州では「あのでございますね」という。「でございます」「です」「だ」が単に語尾でないことは、これでよく分るだろう。これらは文節のあとについて次の文節をよびおこす機能も持っている。「そこでです、実はですね、私はですね、きのうですね…」こう書けば、しどろもどろになりつつ、必死にことばを継ごうとしているさまが想像されよう。「そこでだ、君はだ、早く行ってだ…」この場合はいら立ちをおさえて発話しつづけようという努力であろう。突っぱねる域に達すれば、これでもコミュニケーションかとなるであろう。

    →単に、言葉癖と言ってトークから排除すればいいってもんでも、ないよなあ。

    ・こういう継ぎ穂が言語学に書いてないかと思ったが、ない。西洋の言語学は、センテンスが絶対で、センテンスはフレーズからなり、そしてワーズが出てくる。要するに、意味内容の構成だけが問題にされている。西洋の文法学者は数学にあこがれているのだ。

    ・これはサリヴァンが既に言っているが、統合失調症の患者同士の会話には特徴がある。例えば、A君が話していると、B君はA君が語り終わるまで喋らない。次にB君が話し出すと、A君はB君が終わるまで待っている。つまり、正確に一人が語り終るまで、次の人は喋らない。ところが普通の会話では、不思議にそうではない。親しい人同士の会話は、語尾という相手とつなぐ機能を持っている部分が、のみ込まれたようにあいまいに語られる。一方、相手も、そこは分ったということでもう次の言葉がその上に重ねられる。そう、会話とは、二人で一つの文章をつくり上げることをめざすのだ。
    …つまり、統合失調症の場合、全体優位であり、継ぎ穂的な機能は二の次になっているのではないかと思う。これに対して、うつ病の人の発話は、あまり全体をにらみすえず、継ぎ穂優位のように思える。選択決断にエネルギーを使ってしまうのであろう。

    ・すべての統合失調者が奇矯な絵をかくのではない。それは事実からあまりに遠い。また、奇矯な絵をかく患者でさえも、あのような絵しか描きえないのではない。
    …ピカソの視覚にはものが彼の描くようにみえているのだと主張する人がいれば笑い草だろう。しかし、統合失調症者にはそう見えるのだと思っている人はいるかもしれない。しかし決してそうではない。

    ・絵画は患者によって違うよりもはるかに治療者によって相違する。ある治療者の受持患者の絵には眼がやたらに出てくる。別の治療者の絵にはほとんど皆無なのに…。

    ・夢の辞典がないように、描画についても一読して了解できる辞書的な便利なものはないし、今後も多分できないだろう。しかし一般に正しい解釈とは、一つの手がかりでなく多くの手がかりのベクトルが同じ一点をさすような形で明らかになってくるものである。

    ・なお、強迫症の人が粘土を汚がって嫌うかというと、最初のためらいはあっても、むしろ熱中して、汗をだらだら流しながらこねることがふつうである。粘土は攻撃性の良い吸収剤といってよいことが多い。私の治療においてつくれなかったものは一人だけであり、それもさわるには「熱すぎる」ものを扱いかねるがごとくであった。そして、その間こねている治療者側の作品は(この作業療法では粘土を二つに割って、患者に半分を渡し、医師側ももう半分をこねて何か作っていることが多い)、ふつうどんどん変形してゆくが、転移をよく表していることが少なくない。どうしても「サメ」が出来てしまうこともある。

    ・中里均氏の二人分割法。二人の人間が枠づけした空間を左端と右端から交互に分割線を引いてゆく方法である(枠を書いた画用紙を交互に線で分割し、その中をまた交互に好きに塗ってモザイクのようにしていく)。ふつうの例では相互にためらいつつ他端をめざすか、中心にむかうか、どの辺りでためらうか、衝突をどのように回避するか、中央に残る白い部分をどうするかは非常に微妙な人間関係の持ち方を示す。…たとえば、ある初老の男女がこれを行った時、最後の白い部分に小さい虹を描いたのが好印象であった。

  •  中井久夫コレクションの4冊目。筑摩書房の当初の予定では全4巻だったはずだが、あとがきで著者自身が5冊目の発刊を予告しているので、数ヵ月後にはもう一冊中井久夫の本が読める。このニュースだけでもしばらく希望をもって生活できる。
     中身については、著作集第1、2巻を中心に編集されただけあって、精神医学臨床上の話が多く、比較的難易度は高いと思われる。しかし、後半には磯崎新との対談があったり、ヴェルヌやユングなどの読書にまつわる小文も収録されており、バラエティは豊富である。個人的には磯崎新との対談が意外にもおもしろかったが、誰もが唸ってしまうのはおそらく「私の日本語作法」と「翻訳に日本語らしさを出すには―私見」だろう。日本語の書き手としてはおそらく当代随一の著者が日本語の書き方について指南するのだから、日本語を書くすべての人必読である。それも繰り返し。
     あと、この本の本文最初のページに、
    「臨床眼というものは神秘的なものではなく、細部の積み重ねの上に発現するもので、それ自身を求めて祈っても甲斐ないものである。」
    とサラリと書かれているが、臨床眼に限った話ではなく、あらゆる種類の夢や目標をもつすべての人がこころに留め置くべき言葉だと思う。

  • 精神科医・中井久夫氏によるエッセイ集、ちくま学芸文庫「中井久夫コレクション」の第6巻です。冒頭から、中井先生の重要な業績の一つである「統合失調症患者の回復過程と社会復帰」に関する、いささか硬めの論考と症例分析が収録されています。

    本書の白眉は何といってもP.70~「統合失調症者における「焦慮」と「余裕」」ではないかと思っております。統合失調症に限らず、精神疾患症状の多くはつまるところ「あせり」と「ゆとり」のバランスの中で説明がつくのではないだろうかとすら思えてきます。

    “これらのことば(=「あせり」、「ゆとり」)は、治療への合意の契機となる。(…)再発の反復に疲れている描写の気持ちを汲むときの鍵言葉の一つでもある。(…)そして一般に、治療目標の設定を可能にするものである”(P.74)

    (うつ病者、あるいは躁うつ病者の「あせり」は)”一般に世俗的なものの限界線内で動き、具体的な到達可能なものへの「あせり」であり、この世の階層秩序的価値観の堅固な枠組に守られている。しかも(…)「何とかしてとりかえしをつけよう」とする「あせり」であることが多いであろう。ここに躁うつ病者、うつ病者の「あせり」の持久性と解消困難性がある”(P.84)

    なお本書はシリーズの他の巻と比べても、バラエティに富んだ内容になっているように感じられました。「禁煙」や「翻訳」、「ユング風景」といった一風変わったテーマのエッセイも収録されています。

    わたしは第1巻~第5巻を長距離通勤の友として愛読してきましたが、第6巻である本書は、しばらく間を空けて出版されたため、まだ数回しか読んでいません。そのため、本書からはまだまだいろんなものが出てくるだろうと、期待しております。

  • 途中まで読んで難しくて挫折。

  • 大事なことをかいているのはわかりますが・・むつかしい。

  •  愛読してきたこのシリーズ、今回は短い文章が多く、多様で、発表年代も80年代を中心に、70年代、90年代、2000年代とまちまちである。
     いつも感想で書くように中井久夫さんの精神医学は、めざましい体系を持たないかわりに、臨床医学に徹した、実際経験に基づいて練られた思考に満ちている。医者が自らの治療行為について、どのように意識化し、内省しうるのか。中井さんはひたすらに誠実であり、本職の精神科医師で中井さんを尊敬している人が多いらしいこともうなずける。
     実践的な思考といっても、それは驚くべき博識や文学・芸術センスにも支えられていて、やはり、読んでいて刺激的だ。
     この巻ではとりわけ、統合失調症と「言語」について書かれた部分が興味深かった。
    「妄想と言語との間には、非常に密接な関係があって、ある種の言語的な営みのうちに妄想というものが作られて行くのではないか。」(P.129)
    「会話とは、二人で一つの文章をつくり上げることをめざすのだ。統合失調症の人相手の場合は、これが起こらない。この相手とつなぐ継ぎ穂が弱まっているように思える。」(P.143)
     さらにヴァレリーを引用しながら、「交換」における言語活動を指摘するが、ソシュールではなくここでヴァレリーが登場するあたり、独特である。中井さんはポール・ヴァレリーにとても興味をもっているようだ。
     フロム・ライヒマンのことばながら、この本に引用されていた「統合失調症者のもっともよく治った形は芸術家である。」(P.209)というのもおもしろいと思った。
     ついでに、最後の方に文章作法、翻訳の作法に関する短い文章も載っている。

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