流言蜚語 (ちくま学芸文庫 シ 26-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480093905

作品紹介・あらすじ

流言蜚語の成立条件、構造、社会的機能を詳細にわたって分析した論考、および関東大震災の生々しい体験記と、震災直後の世情への反応、流言を考察した達意のエッセイを付す。

感想・レビュー・書評

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  • 佐藤のメディア論の名著30に掲載された。実際は全集の中で150ページぐらいで読んだ。
     清水が下町の自宅で体験した関東大震災での軍隊の朝鮮人虐殺のことが書かれているかと思ったら全く触れられていなかった。世論の本の最初の場面は引用されていた。ほとんど具体例なしの理論本であった。

  • 社会
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  • 1039円購入2011-12-21

  • 本著は昭和12年に出版されたものだが東日本大震災を受けて復刊されたもの。
    二部構成。第一部は流言蜚語について、その意味、定義等をロジカルに整理したもの。報道、与論との関係など、なぜ流言蜚語が生まれるのか分析を深めている。関東大地震における朝鮮人虐殺が背景にあるのだろうが、ロジックの進め方は抽象的で難解なところもある。
    流言蜚語は情報が閉ざされた社会で起こり得るとしているが、情報の透明性が確保されているインターネット社会において流言蜚語が起こり得ないのか?
    第二部は著者自身が少年時代に経験した関東大震災について。生々しい体験談。
    「天譴(てんけん)」の考え方は、今回の東日本大震災でも唱えられたことでもあり、共通項が多いことに驚く。
    首都圏直下地震が騒がれる中、冷静さを求めるためにも歴史を紐解くことが大切なのかもしれない。

    以下引用~
    ・流言蜚語が生まれるためには、何かが与えられていなければならぬ。しかしすべてが与えられていてはならないのである。そこには与えらるべくして与えられておらぬものがなければならぬ。そして与えられておらぬものと欠けているものとは作り出さなければならぬ。
    ・医術の目標とするところが治療でなくかえって予防であるように、政治もまた流言蜚語が発生した後においてこれを禁止したり真相を発表したりするのでなく、その発生に先だって常に真相の発表に努力すべきであり、これによってその発生を防ぐべきである。
    ・知識の世界では全体の一部分を知っても他の部分を知らぬということがある。しかし信仰の世界では一部分を信じて他の部分を信じないということはあり得ない。全体か無かというのが信仰の世界の法則である。報道が流言蜚語から区別されるのは、前者が信頼されているからである。
    ・政治に関係するもの或いは社会を統制するものは、もし流言蜚語の発生を防ごうと欲するならば、まず民衆の信頼を得なければならぬ、と吾々は言った。
    ・言語への軽蔑の支配するところは、かえって流言蜚語の発生と成長とに有利な風土を持つということである。

  • 第一部「流言蜚語」のみ読了.オリジナルは1937年.報道を環境への適応のために必要とされる情報チャンネルとした上で,流言蜚語を「アブノーマルな報道形態」と定義づける.a, c の情報のみが与えられており,全体像を構成するために不足の情報がある場合,それを補い首尾一貫した情報にするためにb’が外挿される,という流言蜚語の構造.「潜在的輿論」としての流言蜚語.

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著者プロフィール

清水幾太郎

一九〇七(明治四〇)年、東京生まれ。社会学者。東京帝国大学文学部社会学科卒業。文学博士。二十世紀研究所所長などを経て、学習院大学教授、清水研究室主宰。主な著書に『愛国心』『流言蜚語』などのほか、『清水幾太郎著作集』がある。訳書にヴェーバー『社会学の根本概念』、カー『歴史とは何か』などがある。八八(昭和六三)年没。

「2022年 『日本語の技術 私の文章作法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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