- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480094070
作品紹介・あらすじ
日本古典文学中屈指の名文『方丈記』。著者鴨長明が見聞し体験した、大火、大風、遷都、飢饉、大地震などが迫真の描写で記録され、その天災、人災、有為転変から逃がれられない人間の苦悩、世の無常が語られる。やがて長明は俗界から離れ、方丈の庵での閑居生活に入りその生活を楽しむ。しかし、本当の心の安らぎは得ることができず、深く自己の内面を凝視し、人はいかに生きるべきかを省察する。本書は、この永遠の古典を、混迷する時代に生きる現代人ゆえに共鳴できる作品ととらえ、『方丈記』研究第一人者による新校訂原文とわかりやすい現代語訳、理解を深める評言によって構成した決定版。
感想・レビュー・書評
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学校で習った記憶がありましたが、改めて読んでみるとめちゃくちゃ深い本でした。
著者の飾らない性格が文章から感じられ、とても親近感がわきました。
1212年に書かれた本作ですが、現代にも通じる考え方が描かれており、「やっぱり読み続けられている名著というのはすごい!」と感じました。
ぜひぜひ読んでみてください詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
古典を読むといつも感銘を受けるのは、今とは常識も価値観も大きく異なっていたであろうにもかかわらず、人間社会の生きづらさは通底しているのだということ。
鴨長明は、方丈庵での侘び住まいにいかに自足しているかを、まるで「聞かれてもいないのに主張」するように綴っている。それは長明の心の激しさとも捉えられるけれど、私は、この世を愛したいという切なる想いの裏返しだったのではないかと思う。本当に他人のことがどうでもよいなら、俗社会で生きたって同じはずだ。でも実は長明は、「数にも入らない類の人々」の死を思い遣る繊細さを持つ。その一方で、社会において自分に嘘がつけず妥協できないがゆえに、本意ではないのに苛烈になってしまうこともある。そういう長明にとって方丈庵での暮らしは、距離を取ることで、できる限り自分のことも人間社会のことも傷つけずにいるための、精一杯の生きる方策だったのではないかと思う。 -
平安末期に放蕩息子として、生まれた主人公は5度にわたる都に広がる天災を目にし、この都の生活に疑問を持ち、出家し、何不自由なく暮らしていた都での生活に別れを告げ山に小屋を作って、みすぼらしく、不自由な生活の中で自分の幸せを見つけるのだが…拘りが無くなったかのような生活の中で自己矛盾に気付いてしまうのである。
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源平の争乱を鴨長明の目から見てみよう、と思って読んだ。ドラマとしての平家物語を、歴史の流れの中で感じることができた。福原遷都は五大災厄のひとつ、世の中終わりみたいな10-20年間だったんだな。長明の謎に包まれた人生もまた、簡素で美しい文章の中に昇華されている。この出会いをくれたNHKラジオ古典講読に感謝。
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諸行無常
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/738896 -
小樽商科大学附属図書館蔵書検索OPAC
https://webopac.ih.otaru-uc.ac.jp/opac/opac_link/bibid/BB10264892
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず……」
冒頭のこの文は知っている、という方も多いのではないでしょうか。『方丈記』は三大随筆の一つとして数えられる、平安時代末期~鎌倉初期の鴨長明の作品です。
『方丈記』とは、「方丈」の庵で「記」した随筆のこと。では、「方丈」って何でしょう?これは当時の単位で、現代にして3m四方の広さを表します。鴨長明はこのわずか9㎡の住まいから、京の都を襲った様々な災害と、権力と都の移り変わりを振り返り、この世の無常を見つめたのでした。古典でありながら、現代のミニマリストに通ずる考え方や、混迷した時代を生きる苦悩が記された本書は、古典と感じさせない新鮮味のある視点に満ちています。
度重なる災害や、インターネットを介した新しい人間関係の在り方、移り変わる世界情勢……。本書は、激動の現代を生きる新たな視点を与えてくれるかもしれません。 -
有名だが全編読んだ事は無かったので、読破出来たことは趣深いw
リズムのある美しい詩のような文章で、日々の普通の事が綴られているのが面白かった。
最後に住まわれていた庵を再現した所に行ってみたい。 -
方丈記は実は文庫本にして20頁に満たない程のものであるとは知らなかった。
「草枕」の出だしとゴロの流れは全く同じと云うのは誰しもが知っていることだろう。
そして中身を読み進めると、終始漂う厭世感は、聖書のコヘレトの言葉(伝道の書)と同内容と言える。
歴史のフィルターを経過して残っている書物には、国の違い、時代の違いを超えて、真理としての共通点が有るのだろう。 -
流れるようなリズムがいい。慣れない古典でも心地いい。夏目漱石が愛読したのも頷ける。
中世文学の研究者である浅見氏がまとめた書。日本語訳に加え、時代背景や関連する書物の紹介が、理解を深める役割をしている。 -
始めに原文、後半に解説。
方丈記って、実はすごく短いので、日本人の思想の原点として読むべきだと思う。
震災以降、変わってしまった日本人の死生観を見つめ直すためにも。 -
鎌倉時代の歌人・鴨長明が晩年に残した随筆で、日本古典文学屈指の名文。著者が見聞し体験した大火、竜巻、大飢饉、地震と天変地異の記述が多く、日本で起こり得る不幸な出来事がほぼ書いてある。
さて最近、季節の移ろいを感じると、鴨長明や吉田兼好のような「隠者」に憧れを抱くことがある。俗世間を離れながら俗世間と交わる生活をし、出家といっても俗塵にまみれ、乱世に翻弄され、幾多の災害に遭遇し、挫折を味わい、辛酸を嘗める。そんな自分を脇から他者のように眺めることによって、この世の「本質」を深く見つめようとした隠者たち。こと長明の次々と京都を襲った災害などの記述は、優れたルポルタージュだし、優れた時代の観察者でもある。加藤周一の言葉を借りれば「逃避的文学」、言い得て妙なり。 -
ご隠居の独り言。
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第一刷が「2011年」と新しい。更に書き下ろしである。
東日本大震災の影響もあってのことかな、と推測する。
角川ソフィア版も持っていたはずなのに、どうしてちくま版を新たに購入したのかは自分でもよく分からない。
私の中では、地震や火事の細かな筆記や臨場感が『方丈記』の魅力だった。
しかし、一冊を通した時の流れる感じ。(稚拙な言い回しで申し訳ない)そして、眼前に広がる災害の画から受けた衝撃を経て、方丈の庵でしみじみと「人の世」を語る長明は寂しいけれど、なんだか共感してしまう所がある。
「たびたび炎上に滅びたる家、またいくそばくぞ。ただ仮の庵のみ、のどけくしておそれなし。」
「事を知り、世を知れれば、願はず、わしらず、ただ、しづかなるを望みとし、憂へなきを楽しみとす。」
執着しても、世も己も永遠ではない。
けれど、長明自身もまた方丈の庵に、いやそこから遠くない京都の市井に執着を示してしまう。
社会が、人生が、無常であってもなお、求めてしまう「こころよさ」はあるのではないかと思う。
そして、その心があるから人は生きていけるのではないかと思うのである。
筆者に「厭人主義」と呼ばれる長明の威勢や、弱点が、事柄の細かな筆記以上に愛着の持てる随筆である。 -
新しい学説が知りたくて読んだが、これが最新の学説ですと書いてあるものはなく、よく分からなかった。王朝文学とのつながり、長明の他の著作(歌集、法話)に見られる思想との比較、西行との関わりなどがそれに当たるのか。自分が学んだ学説は、本書巻末の参考文献を見ると戦前から活躍する学者によるものだったのに、本書の校訂者は戦後生まれ、S先生と同じ世代。
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鴨長明が現在で言うジャーナリストにあたるというのはまったくの同感。
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震災の描写に引き込まれる。冒頭からの一貫した無常観には、いまだからこそ共感できるのかも。
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仏教的人生観学びたい(*^^*)