ちぐはぐな身体(からだ): ファッションって何? (ちくま文庫 わ 8-1)

著者 :
  • 筑摩書房
3.66
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本棚登録 : 2122
感想 : 121
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  • Amazon.co.jp ・本 (185ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480420428

作品紹介・あらすじ

ピアスや刺青をすることの意味とは?コムデギャルソンやヨウジヤマモト等のファッションが問いかけているものは?そもそも人は何のために服で体を隠すのか?隠すべきものの実体は?若い人々に哲学の教授が身体論をわかりやすく説いた名著、ついに文庫化!「制服を着崩すところからファッションは始まる」。

感想・レビュー・書評

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  • 哲学者が書いたファッション論。
    グランジくらいの頃に書かれたものなので、結構前の本だが、今読んでも十分面白い。

    この本はファッションを通して、自分とは何か、自他の境目とは何か、という哲学的な問いを、軽くさらさらと問いかける。とても重い、難しいテーマのはずなんだけど、すーっと入ってくる。

    筆者が哲学、ファッションともに堅苦しく考えなく、"生きているもの=生もの”として、捉えているからだと思う。

    自分ってなんなんだろう、自分は他者があって初めて認識できるもの。ファッションは本来の自分を加工するもの。

    皮膚の上を覆った、社会、他者と対峙すべきモノ。
    自分を再定義するもの。着飾り、虚飾するもの。

    あったかいから、寒いから、着心地がいいから。
    だけではなく、自分とは、他者とは、社会とは、
    に確かに関係するもんだなーと。

    意外と普段気付かないことに気付かされました。


    ただの頭でっかちな産物ではなく、きちんと実用的でなければならなく、なおかつ哲学、アート的でもあり得る。(芸術でいうところの民藝のようなものでしょうか。)

    奥が深いですね。

  • 人が服を着る目的や、体制やルールから外れてみるというお洒落の起源など、ファッションについてアカデミックに解説されている。中高生のときに学校の制服を少しだけ着崩してみるときのワクワク感、新しいトレンドの服を初めて見たときのドキドキ感を思い出した。
    一見、従来の衣服の機能を無視した、袖が長い服とか、裏返しの服とか、つぎはぎの服とかに対する解説も面白かった。
    第一印象を損なわないよう、時代遅れのデザインやシルエットの服は避けて、無難なコーディネートをしてしまうが、自分が着たい服を、「胸を張って」着たいと思う。

  • ファッションについて考える時間が多い私にとって目から鱗の言葉が沢山あった、なるほどなぁと思いながらまだ噛み締められていないので気になったところを自分なりに解釈したいと考えている。

  • ファッションとは何か、それを哲学の文脈で考察した本。
    あとがきに「高校生に向けてあたかも話しかけるように書くことになった」とあるように、平明な言葉で終始書かれていて、入り口の敷居はすごく低く設定されている。

    しかし内容は流石で、ハッとする気付きが散りばめられている。
    ぼくらの国では、与えられた学生服をわざとちぐはぐに、だらしなく着崩すことからファッションが始まるとか、しかし制服はもともと全ての市民が出身階級によらず同じスタートラインに立つという「自由」の象徴だったとか。
    ファッションという現象には時代を覆う規範やムードへのクリティカルな抵抗が浸透しているが、その抵抗も「流行」に取り込まれるという中で、ギャルソンやヨウジヤマモト、イッセイミヤケの仕事は何が素晴らしいのか、など。

    とはいえ、人に薦めるとなると、非常に相手を選ぶな。

    個人的にいちばんグッときたのは、ロランバルト『モードの体系』からの抜粋。
    「モードとは無秩序に変えられるためにある秩序である」

  • ファッションとは何かについて、哲学者でもある著者が、人間というそもそもの存在とは何かの観点から紐解く。むしろファッションという観点から、自分と社会との関わり方について考えさせられる一冊。
    アパレル関係者の方やデザインに関わる職業の方は必読だと思います。

  • 私たちは自分の身体を直接的に見ることが出来ない。部分的に見える身体を繋ぎ合わせて、〈像:イメージ〉を創り出し、認識しているに過ぎない。
    それを補強するのが衣服であると鷲田氏は述べる。
    背中に衣服が擦れる感触だとか、そういったもので自分の身体イメージを補強していく。
    そして、衣服を通して社会的な意味付けを行う。性格だとかライフスタイルを表現する。「自分は誰か」を再構築する。自分が他人の眼にどう映っているか?を意識し始めた時にファッションが始まるのだそう。

    流行の服を着るというのは、現在という時代の空気を着ること。アンチ・モードが流行のモノに成り下がり、流行という意味でのファッションに呑み込まれてしまうのは皮肉だよね。

    「《他者の他者》としての自己」というのが面白かった。自分の存在意義は他者を通じて初めて認識できる。相互補完的な関係が最も幸福である。
    なんだか欠けている自分自身が認められたような気がして、心の重荷がスっと解ける感覚があった。完璧な人間の側に居ると疲れてしまうのは、相互補完出来ないからなんだなぁって。

    永江朗さんの解説に「『じぶん』が気になるのが当たり前で、人間である以上はしょうがないことなのだと思えるようになった。そこから逃れられないのなら、気にする『じぶん』を観察し、おもしろがればいい」とあって、心に響いた。

    20年以上も前の本なので、不良が制服を着崩すとかあんまりピンと来ない(というか、自分の高校時代の制服は気に入っていたし、スカート短くして反抗する態度がダサいなとか思っていた。逆にキッチリ着ることに可愛さを感じていた)から、共感できない部分もあったけど、総じて分かりやすくて面白かった。難解な部分もあって十分理解しきれてないけど、何度も読み返して落とし込めればなと思う。

  • 著者は、この本を10代向けシリーズの一冊として書いている、とあとがきにあったが、当時、この本を読んでも理解できなかったであろうことだけは間違いない...。この年になって、自身のファッションの変遷を思い浮かべながら、ああ成程、そういうことなのね、と納得の一冊。<像(イメージ)>が形作るもの。その時々にイメージしていたことが懐かしい。その時々の状況に応じてイメージを捉え直し、着せ替えることがいかに楽だったかを再認識。

  • 哲学の立場から身体論やファッション論を展開していることで知られる著者が、若い読者に向けて比較的わかりやすいことばで語りかけている本です。

    三宅一生、山本耀司、川久保玲といった日本人デザイナーの仕事の意味について論じている箇所もありますが、著者自身の身体論に基づいて「服を着ること」の意味についての哲学的な考察が中心となっています。ひとは、自分の身体を直接見ることはできず、自分の身体を把握することは必然的に他者のまなざしを媒介しなければなりません。われわれが服を着ることは、そうした自己と他者の境界をかたちづくるということであり、社会に対して自己を過剰に演出することにも、社会的な役割のなかに自己を隠してしまうことにも、ひとしく可能性が開かれているところに、著者はファッションの意味を見いだそうとしています。

    著者の哲学的ファッション論には、ほかに『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)や『ひとはなぜ服を着るのか』(ちくま文庫)などがありますが、本書がもっとも読みやすいのではないかと思います。

  • む、むずかしい…
    文章はやさしいのだけど内容がなかなかつかめない。
    皮膚が折りたたまれたところに魂が…っていうところが気になりすぎる。皮膚、隙間、不完全な自分…
    むずかしかったです。

  • 中高生向けの本。
    本筋からズレるけど、読書で成長を感じられたのが今まで無かったから、その体験ができたのは嬉しかった。高校国語では、鷲田清一は難しいと思ってたのに。
    『存在と時間』読んでからどんな書籍を読むのも楽になったっていうツイートの簡易版を体験できたから、次は『存在と時間』を読んでみたい。

    今敏が、月経のことを「理不尽の定期便」と言っていて、ハッとさせられたことがある。今回も、鷲田が、「身体の内部から襲ってくる変化をたえず受け入れている女性に比べて、男性の方が一度獲得した身体イメージを固持する。異性装をして人格が壊れるほど動揺してしまうのは男性に多い」と言っていて、驚かされた。男性から言語化されるまでは、そういうものだと無意識に了解している。
    脱線するが、溝口彰子の『BL進化論』に、女性読者は「攻/受/神」に同時進行で感情移入・同一視して楽しむ、とあった。柔軟な身体イメージを持つ女性が担い手であったからこそ、BLというカルチャーが隆盛したのだと、鷲田の記述を読んで納得した。

    安藤忠雄の建築を暗に批判していたのは面白かった。裏返しの服は身体を外側に置くことと言い換えているが、安藤の建築も同じだと語っている。室内にいながら、身を外側に置くしかなく、そこにプライベートはない。室内で緊張し続ける。

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著者プロフィール

鷲田清一(わしだ・きよかず) 1949年生まれ。哲学者。

「2020年 『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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