「芸能と差別」の深層: 三國連太郎・沖浦和光対談 (ちくま文庫 み 22-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480420893

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  • 俳優・三國連太郎と、学者・沖浦和光の対談本。お互いのそれまでの70年余りの生涯を振り返りつつ、被差別民、芸能の始まり、歌舞伎、俳優の地位、かぐや姫、大道芸、寅さん、浅草、永井荷風、などについて語り合う。「芸能と差別」に関する幅広いテーマが取り上げられていて、とても面白かった。
    三國連太郎は少し前に亡くなりましたが言わずと知れた大俳優であり、佐藤浩市のお父さん。私が見たことある出演作は、島崎藤村の「破戒」。日本人離れした顔立ちで背も高く、怪演という感じの迫力ある人だなあという印象。本書でも語っていますが、父親(養父?)が被差別部落出身、ご本人は学校やめて家出して中国いったり大阪いったり徴兵逃れしようとしたり香具師まがいの仕事したりと、色々苦労も多く破天荒な人生を歩んでこられた。そしてそれでいて研究者肌なところもあって、差別問題や、芸能の歴史、親鸞、などについてとても詳しく、特に親鸞については学者並みだそうだ。沖浦さんとも互角に渡り合う。
    沖浦さんは、「芸術論、社会思想史、比較文明論が専攻だが、もっぱら被差別民などの研究を行う。桃山学院大学名誉教授。」という人で、私は五木寛之の本で引用されているので知った(その本を読んで、五木寛之面白い!と思っていたけど、今回の対談を読んで、あのときの面白かったエッセンスは沖浦さん由来だったことがはっきりした)。

    以下、メモ。

    ・芸能の起源は、呪術師であるシャーマンの所作にある。舞う、踊る、囃す、歌う、唱える、語る、乗る、狂う。
    ・国家ができると、支配の道具として国家宗教が定められる。それが民衆に強制される、あるいは王自身が神であると宣言するようになる。すると聖と俗とがしだいに分化されて、聖なる王権が宗教的祭司を独占し、かつてのシャーマンは淘汰されていく。彼らの多くは、国家が定めた宗教戒律からはみ出したものとして、しだいに貶められていく。
    ・差別の理屈1。仏教でいう「不殺生戒」を犯している「悪人」は差別される。漁民や、皮革・肉産に従事する者など。
    ・差別の理屈2。農本主義思想。為政者が、支配下にある臣民を貴・良・賤に分ける。生産力の主たる担い手である農民を良とし、商・工の民や海人・山人をそれ以下の卑しい民とする(これが律令制の観念)。
    ・親鸞の言ったこと。罪障深い人間を救って極楽往生させるという阿弥陀仏に帰依し、その本願を信じている門徒たちは、すべて阿弥陀仏の前では皆同じ人間である。
    ・瀬戸内の海民の多くは門徒。数百にのぼる被差別部落と旧(村上)水軍系の漁民はみな熱心な親鸞の門徒。
    ・瀬戸内海に散在する被差別部落のかなりの部分は、秀吉の海賊停止令(刀狩りと同時期)によって壊滅させられた村上水軍の末裔ではないか、というのが沖浦説。沖浦さんの故郷も瀬戸内海。
    ・近世幕藩体勢に入ってからも、漁民が農民よりも下に見られる思想は変わらず、日常的に交わることも、婚姻関係を結ぶこともほとんどなかった。
    ・漁民の中でも身分的格差があり、四階層にわかれていた。そのうち上のふたつは農民で言う本百姓と水呑百姓にあたり、一応、平民。3番目が「家船(えぶね)」と呼ばれる、陸に定住しない漂海民。船が住処で陸上に家を持たない。これは良民と賤民の間に位置する「間人(まうと)」とされる。最後の4番目は「かわた」と呼ばれる漁民で、賤民として位置づけられていた。
    ・家船衆は幕末の頃から次第に陸上がり(おかあがり)を始めるが、彼らが定着したのは被差別部落に隣接したところが多かった。それ以外の地区では受け入れくれなかった。明治維新後でも、村の祭りなどでは部落民と同じく排除されていた。
    ・民衆芸能って、本来的に「支配文化」に対する「反文化」、「上層文化」に対する「下層文化」、「中心文化」に対する「周辺文化」なのだという話。でもそういうもの担い手であるはずの芸人に権力のヒモが付いて国家の庇護下に入ってしまうと、そこから芸術の堕落が始まる。
    ・たとえば能。室町時代の観阿弥・世阿弥親子は、当時は大和の神社に隷属しながら諸国を回っていた貧しい一座だった。それが足利義満に見いだされて抱えられて以来、能役者はだんだん出世していく。そうなるにつれて猿楽能時代の芸術的想像力は萎えていき、近世に入ってからは芸能史に残るような新作はひとつもなく、みな廃曲になっている。いまでもよく上演されている約230曲は、ほとんど観阿弥・世阿弥の貧窮時代の曲であることがわかっている。
    ・歌舞伎の場合。近世初頭から芽を出した歌舞伎は、中世賤民のやっていたいろんな雑芸能の集大成。近世の時代を通じて河原者芸能の本質を失わず、度重なる弾圧をくぐり抜けながらも大衆の生活と離れずに時代の動きや人情の機微を察知しながらがんばってきた。それでも明治維新を迎えて新しく成り上がった官僚たちによって規制が加えられると、その創造的精神は失墜していく。「河原乞食」たちの芸能は外国人には見せられない弊風だ、ということになって、いろいろ「改良」を加えて、とうとう「天覧歌舞伎」といって河原者芸能を天皇が観劇することになる。それによって役者の社会的地位を向上させ、賤民文化時代のキバを抜こうという仕掛け。もともとは賤民芸能だったのに、「おいらたち歌舞伎役者は檜の舞台で演技してるんだ、階級が上なんだ」などと言うような役者もいる(三國さん談)。
    ・永井荷風について。荷風は若い頃から、河原者芸能と呼ばれた世界、つまり「悪所」に出入りしていて、当時の文学者の中では中世以来の日本の芸能史の実相についていちばんよく知っていたといえる。その立場から、日本近代化の底に潜む「虚妄」について、その生涯を通じて批判し続けた。
    ・ともあれ中世の民衆芸能の一部は、近世になり歌舞伎や人形浄瑠璃へと進化して総合芸術として表舞台で花開いた。一方で、賤民層に担われた数々の雑芸能は、大道芸や門付芸として盛んに演じられていた。それらは明治維新以降、浪花節や漫才へと形を変えて、大衆芸能として大流行する。やはり、その時代を生きようとする芸人にとって本当に大事なことは、時代を主導する精神に疑問を抱き、規制の支配体制の矛盾を批判して、時代のあり方や人間の生き方を、飽くことなく追求していこうとする意欲、それをどう表現していくかという貪欲な意欲、それなのだ。地位が安定してくると、創造力や構想力も自由奔放性を失って、芸能表現の生命力が枯渇してしまう。
    ・能の名曲3つ。「鵜飼」「阿漕」「善知鳥(うとう)」。「三卑賤」とも呼ばれる。「不殺生戒」を犯さねばいきていけない当時の海の民・川の民の悲哀を描く。世阿弥も「乞食所業」と蔑まれながら諸国を巡業しているなかで、身をもって猟師(漁師)たちの過酷な現実、地獄に落ちるとされた人々の苦しみを、描くことができたのだろう。
    ・沖浦さんのえらぶ歌舞伎の名作は鶴屋南北。とくに四谷怪談。歴史の大転換期である化政期(1800~1830頃)の世相を「底辺に生きる人間」の目線で描き出した。そして当時の儒教倫理や勧善懲悪思想による皮相な人間観と真っ向から対決した。表立った政治批判や支配者への反逆などということは決して出てこないが、人殺し、ゆすり、淫売婦等々の諸相を実に魅力的に活写することにより、為政者が糊塗しようとした秩序の裂け目を暴露している。そこに登場するアウトローたちが、身分制社会の価値観を見事に覆してしまっている。
    ・四谷怪談の民谷伊右衛門という人物の造形。いわゆる色悪。名高い「忠臣蔵」の四十七士からドロップアウトした不忠者、しかも貞節な妻を裏切って毒殺して立身修正しようとするワル。当時の観客はこれをどうとらえたか。武士道で鍛えられた侍の世界からこんな人間が出てくるなんてと驚く半面、「なるほどなあ、こんな輩も出てくる時代なんだ、だんだん世の中も変わってくるな」と納得したんじゃないだろうか。あと50年出らずで明治というこの時代、新時代の到来を告げる予兆はいろいろあったとはいえまだ勧善懲悪的思想が色濃いこの時代、世知辛いこの世をなんとか生き抜くために道を踏み外して無法者となった伊右衛門のような人物は、結局破滅型人間として活きるよりほかなかった。複雑な時代の流れを感じたのではないだろうか。
    ・南北のうまいところは、これを忠臣蔵と抱き合わせで興行したところ。「忠臣蔵」を表に出して官憲を安心させておいて、その外伝として「四谷怪談」を上演する。しかもお岩がドロドロ化けて出てくる幽霊物の夏芝居、というのがうたい文句。官憲もお化けに気を取られてこの作品の真の狙いを見破れなかった。いやうまい。
    ・明治維新の前にも、天保の改革のときに歌舞伎は一度潰されかけた。河原者芸能なのに奢侈僭上の風俗に流れ、武家の支配体制に批判的だという理由。それに、儒教に基づく家父長制で家筋を重んじた幕府にとって、庶民の日常生活をリアルに描いた生世話物、とくに心中ものや姦通ものなんかが流行っちゃうのは、武家倫理にとって脅威だった。それで老中水野忠邦は歌舞伎取り潰しを決意したが、それに反対したのが町奉行の遠山の金さん、こと遠山景元さん。水野忠邦に対して意見書を出した。正面から反対したのではクビが危ないので、芝居地を移す案を提示。結局妥協案として、歌舞伎は残す、その代りに穢多頭・団座衛門の本拠地であり、非人頭・車善七のいる「浅草」へ強制移転させることで決着した。そのころには、もともと日本橋にあった吉原も浅草に移って「新吉原」と言われていた。
    ・「悪所」と権力が呼んだ場所。そこには「遊郭」と「芝居町」と「賤民地区」があった。もともと賤民支配下に遊里と芝居小屋があった場合が多い。江戸では浅草、大阪では道頓堀、京都では四条河原町と祇園。全国の主な城下町や交易で栄えた町にはみな悪所があった。しかしこの悪所こそ、近世文化の重要な発信地になった。明治以降の大衆芸能もここが源泉となる。浅草からは、エノケン・ロッパ・シミキン、今日では渥美清やビートたけし。大阪道頓堀は、明治以降大流行りした漫才と浪花節の本拠地。
    ・漫才はハレの日の祝福の門付芸から出たもので、中世からの古い伝統がある。浪花節は、乞食芸能とされた「説教祭文」から転化した大道芸。いずれも江戸末期の大坂から始まり次第に人気が出た、旧賤民層の担った芸能。とても流行ったけど、賤視された。
    ・三國さんの問い。遊芸民は、日ごろは賤視されていながら、一方ではハレの日に「歳神」の代理人となって祝福を与えるものとして畏敬の念でもって迎えられるという、両義性を持っている。ここのところが理屈としてどうも納得いかないんだがどういうことなんでしょうか。→沖浦さんの答え。そこ芸能論のもっとも大事なところなんですよね。一口で言えば、冒頭で話したアニミズムやシャーマニズム時代の芸能の始原論と深くかかわっています。予祝をやる賤民たちは、アニミズムの大自然の威力を背景にした特別の呪力を潜めていると見られていた。つまり、神界と人界をむすぶシャーマンの特別な系譜をひいていると考えられていた、ということです。(私の理解→おめでたい芸をやってくれるのになぜ差別するのか?という考え方は逆なんだな。差別されている人がいて、それはとにかく昔からそうだからそうで、その人たちはでも実はすごい霊力を持っているんだよねということを俺たちは知っている。そういう方向で考えるんだろうな。)
    ・ちなみにいまは「漫才」と書くけど、その予祝の門付芸の時代には「萬歳」と書いた。いまはコトバの霊力が信じられていた時代の要素は次第になくなり、笑いを取ることが主たる目的になっている。
    ・竹の文化とかぐや姫の話。日本列島の先住民族はまあいろいろいるけど、その一つが「隼人」(ほかにも蝦夷とか土蜘蛛とか呼ばれる人たちがいる)。隼人は黒潮の流れに乗って、いまのインドネシア諸島のほうからやって来たと思われる。竹細工の文化を持つ。おおまかそういう先住民族たちは、東北アジアを故郷とする騎馬民族系の集団(記紀でいう「天孫族」)が3世紀ごろに九州北部にやってきて、しだいに近畿地方まで進出してきてヤマト王朝を築く過程で、被支配民となっていく。かぐや姫として有名な「竹取物語」、これは先住民族隼人のヤマト王朝への怨念を背後に持つ物語である、というのが沖浦説。
    ・根拠1:竹細工の文化→竹取の翁。また、南太平洋圏では月信仰も盛ん。
    ・根拠2:竹取物語に出てくるいろんな神話や祭礼(竹から「小さ子」がうまれる伝説、羽衣伝説、八月十五夜の祭りなど)の多くは、熱帯の島々が原郷である。
    ・根拠3:竹から生まれた小さ子を育て上げたのは、社会の底辺に生きる貧しい竹取の翁。かぐや姫が本当に心を開くのはこの翁だけで、王朝貴族のお召には最後まで応じない。5人の貴人と天皇はすべて姫にふられて嘲笑と揶揄の対象とされる。こうしたことから、ヤマト王朝に攻め滅ぼされて、あとで大和に移住してきた隼人の子孫が、九州に居た頃からあった古伝説を下地にして、「求婚難題説話」ともいうべき新層部分を書き加えて作った物語だと推測できる。
    ・ちなみに竹取物語については近世から研究が進んでいて、成立年代や、ふられた5人の貴族や天皇のモデルが実在のどの人物だったかということもほぼ明らかになっている。最有力説としては、天皇は文武天皇(683-707)で、貴族のひとりは藤原不比等。
    ・また、沖浦さんはかぐや姫とコノハナサクヤヒメの類似性も指摘する。コノハナサクヤヒメは記紀の天孫降臨神話に出てくる、高千穂にいる美しい娘。高天原から降りてきた、アマテラスの孫のニニギがコノハナに惚れて結婚、懐妊、海幸・山幸を産む。コノハナはおきゃんで勝気ではっきり自己主張する女性として描かれていて、貴人をふりまくるかぐや姫と似てるという話。さらに、かぐや姫が月に去るときに帝に渡した不老不死の薬を、帝が「もう二度と会えないのにそんな薬貰っても意味ない!駿河の高い山で燃やせ!」と怒って燃やす、その煙が今でも月の都にとどけとばかりに立ち上っている、というくだりが竹取物語にはある。そして実際、富士山頂にある浅間神社の祭神として、コノハナサクヤヒメが祭られている。

  • もともとは、1997年に、「三国連太郎・沖浦和光 対談 (上)浮世の虚と実」 「三国連太郎・沖浦和光 対談 (下)芸能史の深層」というタイトルで、解放出版社、という出版社さんから出版された本でした。
    この、解放出版社さんというのは、大体察せられる通り、部落解放同盟という団体の関連出版社さんだそうです。当然ながら、大阪市にある出版社です。
    (一般論として部落問題と呼ばれる、昔の被差別階級の血縁の方々、そういう地域っていうのは、東京圏ではかなり少なくて、地方特に関西圏に多いですね)
    どういう経緯か、知りませんが、それを2005年にちくま文庫さんが多少手を加えて出版された訳ですね。

    自らが、恐らくは被差別部落の血筋を継いでいると思われる、三國連太郎さん。
    タブーの名の下に実相がどんどん判らなくなっていく、日本の差別の歴史と、芸能者の関係を、もっと知りたい、もっと考えたい。
    そんな三國さんの情熱に、歴史・芸能・差別・社会思想などを手掛ける、専攻不明の学者、沖浦さんが胸を貸す。そんな熱い対談本です。特に、日本の被差別部落関係の研究では群を抜いているようですね。その辺、僕は詳しくありませんが。

    実に面白く、ほーほー、ふむふむ、えー!…と言っている内に読み終わってしまいました。
    一つだけ、不満があるとすると、題名ですかね…。「芸能と差別の深層」。うーん。間違ってはいませんが、チョイと硬い…取っ付きが悪い(笑)。
    あと、間違ってはいないんだけど、微妙に輪郭が正確でも無いような気がします。
    「芸能と差別」の話をしているんですけど、なんていうか、そこに厳密に日本史学問的に拘ってはいないんですよね。

    ●三國連太郎さんの、超・激動の数奇な半生。俳優になるまで。
    →流れ者の電気工の父。母は余所の没落した網元の娘。恐らくは、自分の実父は別人…。考えたら、被差別部落の民だった祖父。少年時代に家出。各地転々、満洲朝鮮まで放浪。兵役。戦後も無茶苦茶に職業を転々…。これだけでも、超弩級の読み物です。

    ●三國さんの、俳優・スターになって以降の、人生観の有為転変。インドの放浪。生死感。仏教への獰猛な好奇心。親鸞への傾倒。三國さんの小説&映画「白い道」への裏話。

    ●三國さんの「俳優とは」という哲学。「俳優」という存在の原点は自然崇拝、巫女のような原始宗教、シャーマニズム。歌、踊りなど。

    ●農耕、蓄財、国家、中央集権、支配、と歴史が経るにしたがって、「支配しやすい農民」を、支配して慰撫するための身分制度。山の民、海の民、が差別を受ける。
     まあつまり、「水、土地の肥沃な場所で、一年単位で言うと安定した収穫(→つまり税収)が期待できる農民生活の方が、そりゃ選べるなら、暮らし易い」ということなんでしょう。
     ただ、みんながそういう場所で同じようには暮らせないんですよね。
     やっぱり、稲作=貯蓄=財産、ということになっていくと、強者弱者、身分ということになっていくんでしょうね。
     
    ●支配のための、律令制、仏教などが輸入され、天皇中心の秩序が出来ると、政権からは排除される原始宗教。差別される芸能人。
     すでに原初の頃から、巨大な国家権力の都合と、土着的な芸能は、相反していたんだなあ。
     一方で、娯楽として、あるいは権力の装飾としては、重宝される芸能もある。

    ●観阿弥世阿弥の時代から考察し、「偉大な芸術は、低い身分・立場の中からしか、出てこない」と熱く盛り上がる三國さんと沖浦さん。

    ●芸能、被差別者たち、という考察から、「そもそも日本人っていうのはどこから来たのか」みたいな考察。アイヌ、琉球、蝦夷、南方からの移住者。北方からの騎馬民族。

    ●折口信夫さんの仕事への賛辞。

    ●悪所の文化。つまり繁華街、歓楽街。東京は浅草、大阪は道頓堀。演劇芸能と色町の里に。現代まで続く、悪所からの、低い目線からのアンチ権力的な芸能の、野趣・力強さ。

    ●沖浦さんの長年の研究、「竹取物語」の考察。竹の文化=南方=薩摩など。北方から来た騎馬民族政権=大和朝廷の征服。隷属者としての南方文化圏の鬱屈。南方に多い、「竹の中の小人」伝説。藤原不比等時代の大和朝廷へのアンチとしての物語。

    ●「男はつらいよ」シリーズの寅さんのような、香具師、啖呵売、大道芸の原点や系譜。

    ●下世話な、歓楽街の芸能=浅草を愛した永井荷風の精神。

    などなど、かなり広範な話題。
    とっちらかり気味ながら、「芸能」と「差別」というキーワードの周辺を周遊しながら、アンチ権力=芸能、という、ある種の精神論への熱い思いを、三國・沖浦両氏がほとばしらせる訳です。
    時に唐突な熱い観念論を繰り出し、芸能と差別から人生論に飛躍する自由な三國さん。
    どれだけ三國さんが跳ねても、それぞれの話題について広範で具体的な歴史的事象、トリビアで補強して応戦する沖浦さん。
    そんな沖浦さんに、敬意を表しつつ、遠慮ない食いつきで好奇心を満たし、掘り下げたかと思ったら、また別の思いへと跳躍する三國さん…。

    恐らくは、プロフェッショナルな学者の論文的価値観で言えば、散漫で浪漫的過ぎる本なんだろうと思います。
    でも、それだけに読み易く、停滞せず、自由奔放に「なるほど、へー」と頁をめくれます。
    何より、やはりこの本は三國連太郎さんの、不器用ながらひたむきな情熱あってのたまものです。
    そこはそれ、まずは三國連太郎という俳優の数奇な前半生から、この本が始まるのは実にふさわしいですね。
    被差別の黒く熱い情念を秘めながら、諸国を漂白した少年・青年時代。身元の不確かな少年の漂白、ということは、つまり力のある定住者の社会から、常に蔑まれる汚れた階層の暮らしですからね。
    そこからイッキに、高所得者、スターへの道。しかし、生業は蓄財や利子ではなく、何かしらの人生の表現な訳ですから。

    三國連太郎さんという、トンでもない巨大な俳優の魅力を味わいながら、入り口が難解な、沖浦さんの「差別の日本史の風景」を美味しくアラカルトで味わえる。
    源流には、確実に三國さんの肉体から放射される、「どす黒く強烈な、アンチ権力、アンチ権威、という確信と情熱」があります。そういうところで好き嫌いはあるかとは思います。沖浦さんも、原点はバリバリの戦後マルクス主義者だったそうですから。
    ただ、おふたりとも、現実的な社会政治的な意味での、左翼政争やイデオロギー原理主義になだれ込んでいくことは、ゼッタイないんですね。
    むしろ、そういうイデオロギーや政治運営も含めたところへの不信感から、とにかく「根っこ」「具体性」「そもそも遡れば何だったのか、何故だったのか」というところへと、ぐりぐりと迫っていくんですね。

    僕はとても面白く好きでした。
    以前に三國連太郎さんのインタビュー自分史的な本を呼んでから、「コノ人は、あまりにも面白い経歴だ」と驚嘆していたこともあったので。

    やはり、この本の魅力は「芸能と差別の深層」というタイトルではもったいないなあ。
    日本差別史研究学者用の専門書ではなく、文庫本という売り方をするのなら…。
    「芸能日本史夜話」…「ニッポンの芸能はどこから来たのか」…「差別される芸能人の物語」…「三國連太郎千夜一夜 芸能と差別の日本史」…「戦う芸能 三國連太郎と探る差別の日本史」
    うーん。編集者も大変ですねえ。
    どんなタイトルがいちばん、手に取って読んでもらえる人が増えるか、語り合いたい一冊でした。
    事実上廃刊本な気もするので、興味ある人は、ネットでも古本屋でも、見かけたら、まず買ってください!

  • 冒頭、部落出身であることを淡々と明かす「河原者」三國が、「民衆」研究の第一人者沖浦を相手に五分とまでいかずとも、見事に渡り合う一編。タイトル通り「芸能と差別」を中心に、民俗学、歴史学、人類学、文学から寅さんや釣りバカまで語り尽す。単に三國のファンだからといって読める本ではないが、穢多や非人から「正史」を撃つといった構えに興味がある人ならば、とっつきやすいはず。

  • ·芸能とは、もともと大自然の神霊を招き寄せるためのワザオギ。
    ·江上波夫教授の「騎馬民族征服王朝説」

  • 俳優 三國連太郎 民俗学者 沖浦和光 の芸能民の差別の歴史に関する対談

    芸能の差別されてきた歴史や三國連太郎氏の人生観から 人間の虚と実を描いてきた芸能の姿や 芸能の反国家的性質を理解できる良書。

    面白かったテーマ
    *親鸞の差別概念への批判、悪人正機との関係性
    *鶴屋南北「 四谷怪談 」の色悪〜近世日本文学史上、最もすぐれた作品
    *近世文化の発信地 浅草〜遊郭、芝居、賤民地区はワンセットの悪所論
    *折口信夫 芸能始源論〜神と人をつなぐシャーマンの系譜
    *竹取物語 〜先住民族隼人のヤマト王朝に対する怨念
    *永井荷風〜芸術を虐待する官憲日本への批判

    日本人の二重構造モデル〜日本列島の住民は 在来系(東南アジア系)と渡来系(東北アジア系)の二重構造である

    日本人複合民族説〜先住民アイヌ、国津神系の固有日本人、インドネシア系、苗族、ツングース系騎馬民族、帰化した漢人

    騎馬民族征服王朝説〜東北アジアの騎馬民族が朝鮮に南下し、高句麗を建国し、百済を支配し、九州北部から近畿に進出し、ヤマト王朝を建国した

    ヤブ医者の本当の意味に驚く〜漢字では 野巫医者であり、貧しい民衆の医療にあたったシャーマン系の民間医を意味する




  • 「芸能と差別」の深層(三國連太郎、沖浦和光著)

    軽い気持ちで借りた本だけど、こんなに面白い本だったとは。
    私の仕事と関係の深い「芸能」。知られているように、歴史的には被差別民の世界だった。
    差別研究で知られる桃山学院大学元学長、沖浦和光氏の博覧強記の世界が、それにとどまらず、日本人のルーツに関することまでコンパクトに分かりやすく語ってくれる。
    三國連太郎氏も非常によく勉強していて、開設に分かりやすさを添えてくれる。

    中学生のころに家出して転々とした三國連太郎氏は、デビュー当時、「阪大工学部卒業、特技は水泳と柔道。特に水泳は学生チャンピオン」と、映画会社が嘘八百の売り出し文句を並べたらしい(^_^)

    いくつも印象に残る話があるけど、竹取物語に関する考察が実に興味深かった。
    かぐや姫に次々とふられる5人の貴族は、全て実在の人物がモデルとか。一番最後、インチキがばれて大恥をかかされるのが藤原不比等らしい。
    そして、最後、帝もふられてしまうが、これは天武と持統の孫、文武天皇だというのが一番有力だとのこと。
    また、柳田国男は、竹取の翁は「賤民」という想定で描かれていると推定している。
    つまり、差別される側が仕返しをするような話にも取れるとのこと。南九州に居た竹を扱う「隼人」が、大和民族に滅ぼされ、以後、差別を受ける中で書き上げたのがこの話ではないか、との推測も。

    この前の日曜日、NHK-FM「トーキングウイズ松尾堂」に、今売り出し中の古典エッセイスト、大塚ひかりさんが出ていて、その時も、竹取物語の話をしていた。
    当時の女性にとって帝に愛されるのは最高のことなのに、それを拒否するというのは、きっと訴えるところがあったのだろう、というように、さすがにやんわりとした表現だったけど。

  • 「芸能人はなぜ干されるのか」で言及

  • 地理的にも歴史的にも話はひろがる。三國連太郎という役者がこれほど興味深い人物だったとは。

  • 関心のある事柄同士を結びつけてくれた一冊。芸能ってそもそもは家柄も土地もない人が、身一つで食べていくためのすべだもんね。それが人気になって、幕府とかの庇護を受けたりして雅な芸術として残存している。

  • もともと好きな俳優であった三國連太郎さんの
    対談ということで手に取った。
    役によって、全く違う人のような凄みある演技を
    見せてくれた三國さん。
    その背後には、飽くなき探究心と、演ずることへの
    追求があり、確固たる知識、研究に裏打ちされたもので
    あることがわかり、胸うたれた。

    この対談には、芸能、文学、文化に関するその他幅広いを
    わかりやすく説明される沖浦さんの知識が、柱としてあり、
    その知識を見事に引き出し、読者にわかりやすく理解できるよう
    整理してくれる、三國さんの名編集者的聞き手としての
    センスもすばらしかった。

    対談の名著として、何度も読み返したいが、
    残念ながら絶版。
    こんな名著を・・・と悔しいばかり。

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著者プロフィール

1923年群馬県に生まれる。50年松竹の「善魔」の主役に抜擢され、ブルー・リボン新人賞(51年)を受賞。その他NHK映画賞主演男優賞(60年)、キネマ旬報主演男優賞(65年)など多くの賞を受ける。68年A・P・Cを設立。87年「親鸞―白い道―」を監督、第40回カンヌ映画祭審査員賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

「1987年 『三國連太郎 親鸞』 で使われていた紹介文から引用しています。」

三國連太郎の作品

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