文学部をめぐる病い: 教養主義・ナチス・旧制高校 (ちくま文庫 た 51-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (414ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480422156

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  • 副題が教養主義ナチス旧制高校である。東京帝国大学文学部独逸文学科での著名な教授の説明である。これを読むのは、現在の東大文学部のドイツ語学科の学生しかいないであろう。教育社会学者の竹内様の批判の引用はしているものの、ナチスと日本におけるドイツ文学の関係は限定的である。それは、ドイツ文学との関係であれば車輪の下やのカフカだけであろうが、ビルマの竪琴というドイツ文学ではない小説についても言及しているのは、単なる東大のドイツ文学者であるから説明したに過ぎない。

  • 桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/book/436809

  • 本著こそは著者の批判する自己特権化(エリート主義のそれではなく、文学ごっこを楽しんでいる大学院研究室的な)の成し得る興信所的レポート。公務員の労働組合より質の悪い、文学研究者による文学の侮蔑、倒錯した知的退廃ではないのか。安全で、「平和」な言語言語空間で調子よく過去を馬鹿にしてみせ、いつしか人間の知的営為さえも舐めてしまう。「みんな馬鹿だよね」と。おそらく、ではあるが、種々の学内政治や助成金等の取り扱いも(当時の人々に比べて)屈託なく、スマートなのだろうことも(蛇足ならが)想像できる。

  • 文学から遠く離れた東大独文科をめぐるコメディ。

  • おもしろかった。が、読んでてかなりきつくもある。

    著者も引用しているように、ホモソーシャル(セクシュアルではない)の見方は日本社会を見る上で本当に有効だとおもう。

    <読者層>にありがちな特権意識、ナルシズム、アウトロー志向。
    自省とか自己批判とか言いつつ、結局じぶんを特権化したいだけなんだなとグサリときた。

  • 旧制高校・大学における当時の「学園生活」の様子を感じてみようと手に取った。サブタイトルに「ナチス」と付けられているが、ここに「戦争」と当てはめることができるほど戦時下における政治は、大学界に影響を与えていたことがよくわかった。そして法学部と文学部は全く立場が異なっていたことに関心を持った。文学部関係者はなんともいえないやるせなさを持っていた。真理を追究する学術における「文学」と、大学「文学部」における仕事としての「文学」に対する視座の違いによるジレンマともいえよう。ここから出発して、戦争、大学、文学、政治、教養主義を非常に刹那的に描いている本である。

  • 戦中にはナチスの提灯持ちを演じ、戦後は民主主義文学の紹介者という衣をまとった「文化人」たちの「変節」に対する批判はかねてより聞かれるところだが、本書の特色はそこに、ひたすら「真面目」な「二流」文学者である男たちの悲哀を見てとるところにある。多くの翻訳書を出し、大学教授という高い社会的地位も得ていた男たちが、いかなる意味で「二流」なのかといえば、戦前の「一高」というエリート集団の中において、あえて実学をえらばずに文学部という、いわば純粋芸術に殉じるような道を選んだように見えて、実際には、帝大教授の職を捨てた夏目漱石に象徴されるような、真に「文学」に殉じるような生き方はできず、教職と翻訳によって生活することに、内心で忸怩たたる思いをかかえる、そうした屈折した男性性という意味での「二流」であるのだ。
    昔の上野千鶴子を思わせるような、エリート男性たちの内輪もめやら懊悩やらを、イジワルく冷やかしてみせる書きぶりは、なかなか面白い。が、するすると滑る筆が心地よい半面、論旨の流れはしばしばつかみにくくなる。社会学の論文のように、議論をつみかさねていくような構成ではないため、ナチス文学との戯れ、教養主義、文学と文学部、旧制一高文化、戦争との関係、戦前ドイツ文学の受容といった問題の提示のしかたもまとまりに欠けるように思われた。

  • 題名や、本の概要から、斎藤美奈子さんが解説(の前半部)で書いているような辛辣な文学部批判といった内容を想像する人がいると思う。私はそうだった。ただ、実際読んでみると私の印象は違って、どちらかというと著者高田さんが所属する文学部という世界への偏愛であったり、上の世代への嫉妬であったり、またそこに所属する人達同士での悲哀であったりと、いろんなものが浮き上がってくるような本であると思った。

    伊藤整の「日本文壇史」や、それを受けた高橋源一郎の「日本文学盛衰史」のような本と得られる味わいが似通っているかもしれない。

    私が外国文学を読み始めた頃は、ノートに読んだ本の著者と翻訳者も書くようにしていて、「この翻訳者はこの著作も訳していたけどいったいどんな人なんだろう」とぼんやりと思いを馳せることもあった。そのようなこともあって、この本にはこの名前知ってるという人達がたくさん登場し、この人とこの人との間にはこういうドラマがあったのだなということを知れて非常に面白かった、という側面もある。

    また、読んでいると自分自身のメンタリティに通じるような人が出てくるため、なんとも複雑な気分になることもしばしばである。

  • たなぞうで知りました。文学部と理学部っていうのは似たもの同士、と勝手に思っていて、だからこの書名を見てすぐにどんな本なのか知りたいと思った。いやあ面白い。最初の半分くらいはすぐに読んでしまって、でもその前に『車輪の下』は読んでおくかとか寄り道したので、読み終わるのにはずいぶん長い時間がかかってしまったけど。この本がどんな本か、説明するのは難しいけど、あとがきから借りれば、「もし本書の主題を、ひとことで述べよと言われたならば、ドイツ文学者たちのナチス讃歌でもなく、昭和十年代のドイツ文学受容でもなく、旧制高校生的教養主義の限界でもなく、もちろん「文学部」(東大)批判などでは毛頭なく、それらすべてをひっくるめて、本書は「二流ということ」、そしてその悲哀についての研究である、と答えたい。」 こんな感じなのですが、文庫版のあとがきにこの本に関する誤読のことが書かれていて、著者自身が自分を「誤読者」と名乗ったりしてるので、色々な読み方ができるということでしょう。僕自身、自分の理解出来る範囲でどういう誤読をしたのかと言うと、前半の高橋健二氏の大活躍ぶりはひたすらおかしく、途中から「ケンジ、そこまで自分が可愛いのか」と呼びかけてました(笑) 中盤では教養主義とは男になろうとする現象だという主張に納得させられ、終盤では中野孝次の中に自分と同じようなコンプレックスを見出して・・・とそんなんでした。僕なんかとは縁もゆかりもなさそうな専門的な話に思えるのに、こんだけ面白く書けるのがすごい。面白いのは内容でもあり、言い回しでもあり。大学の先生にもこんな人がいるんだなあ。実は、著者の旦那さんはうちの大学にいて、その講義なら数回受けたことがあるのですが・・・。注釈がたっぷりで、索引も充実してる。値段も少し高めで、そこら辺の学芸文庫よりよっぽど学芸文庫的。

  • 学歴エリートがすでに社会的階層として成立してしまった時代において、自らを「二流」と規定してしまった学歴エリートたちが精神の安定を保つためにつくり上げた、種々の主観的差異化メカニズム(その最たるものが教養主義)についての考察。近代化推進のための語学である一方、立身出世の階段にのぼれず、哲学をやれる脳もなかった人間の選ぶ場所として、「エリートでありながら二流」の病が最も典型的にあらわれた、東京帝国大学独文科を中心に論じる。原典からの引用は多いが、展開はやや判りにくい。

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