- Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480422187
作品紹介・あらすじ
歓びも悲しみも、そして眼前に広がる世界のあり様も-人生のすべては物質である脳の中の現象にすぎない。ならば、脳とは私にとっての牢獄なのか。脳内現象である人間の心とは何か。この難問に挑むには、自身の脳がとらえた世界をより深く「感じる」ことから出発する以外にない。本書は、怜悧な科学的知性と熱情あふれる文学的感性とを駆使して新たな世界像を描く試みだ。著者の純粋な出発点に位置する記念碑的エッセイ。
感想・レビュー・書評
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2023.1.6
何故だろう。言っている事はわかるような気がするのにしっくり来ない。
茂木さんの言うところの「クオリア」を伴って迫ってこない。
僕に共通する経験がないからなのか、歳をとって鈍麻してしまったからなのか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
科学もロマンもSFも、
現実も妄想も宗教も。 -
養老さんの本も好きだけど、茂木さんの本もいい。
雑誌CREAの「セレンディピティ」の連載を見て思い出した。
脳の話て幸せになるために必須ではないかと思います。 -
臨死体験についての議論が非常に面白かった
脳科学についてもっと勉強したいと思った -
「なぜ、あのオレンジ色の街頭が、オレンジ色とわかるのだろう」
「「知る」とこよりも、「感じる」ことのほうが大切なのではないか」
「素晴らしすぎるからといって、それが本当でないとということはない」
深い、洞察を感じる一冊でした。
著書が出た当時、今の自分より若い歳で、こんなにも情緒豊かな生き方をしてる。
人は、考えることで、ここまで知性豊かになれるんだなー。
「この世界は、死んでいった可能性で満ち溢れている。」
今あるもの、より、選ばれなかったもの、に光を。
深い深い、愛と哀を感じました。
最後に、
「あれだけ私を悩ませながら、本人はけろりと忘れている。」
こうやって本書は締めくくられる。
近くで見ると悲劇、遠くから見ると喜劇。
ほんとうにユーモアに溢れ、いい時間になりました! -
死生観について自分の考えを持っておきたいと思い、信頼を寄せる著名人である茂木さんのエッセイ(結構知育とか脳科学の本ばっかりのイメージだったので興味が湧いた)を読んでみた。
いくつか印象に残った話があった
・母と仏壇:死んだ後墓に入ろうが入るまいが、そんなに気にならんとおかんに話したらギャン泣きされた話(後日おかんはこの話を忘れているというエピソードがある from あとがき)
・人間が幸福であるための条件:PCがハイスペックであれば処理が早い、とかそう言う単純なピースの組み合わせで人間の幸福は定義できない。特に文学や芸術は、人間がただただ幸せになる過程を見せるより、むしろ破滅的な期間や、その間に生まれる感情を掬い取り、不思議な味わいを生み出している
・今:「今」という概念はあらゆる学問の中でとても重要であり、しかしながら人類が知を持ってからの認識が一切変わっていないものであるほど難しいものだということ。
・生と死と時間の不可逆性:死ぬことの恐怖について、死と痛みの関係について恐怖するより、死んだ後に自分が生きていた(=もう自分が生きてない)世界が平然と続くことの方が怖いだろうと言う話
・ウサギ:実験でうさぎを殺す時、確実に命にとって取り返しのつかないポイントがあり、その境界をまたぐことは恐ろしいこと。死刑制度では境界をまたぐのは判決を下す人間ではなく、現場の人間であるという矛盾についての指摘をしていて、まさにそうだよなと思った。
・宗教的天才:今日ではスタンダード化されたようなフォーマットを生み出した芸術家や発明家はたくさんいるが、母数的には宗教的天才の方が一番生まれづらい。
この本はもともとは臨死体験や脳科学をテーマに連載をしていたものを本にまとめると言う企画から始まったらしく、読んでいて妙にまとまった文章もあれば、当時の茂木さんが即時的に書いたであろうみずみずしい文章もあり、少し忙しい印象があった。
本人も当時にしか書けなかったような等身大の文章を綴ったと語っており、エッセイというのはやはりこういう実際性ゆえのみずみずしさに溢れているから読んでいて楽しいのだなあ、と思った。
自分の存在を強く認識しているほど、時間の流れを遅く感じる、という一行が妙に忘れられない。 -
茂木健一郎の本を初めて読んだ。TVに出演する氏を見ていて、なんか胡散臭い感じを受けていて、どんな本を書くんだろうという、興味から。
脳科学などの話からやや逸れて、氏の若かりし頃の話など、なかなかおもしろかった。 -
解説:内藤礼
人生のすべては、脳の中にある◆存在と時間◆オルタード・ステイツ◆もの言わぬものへの思い◆救済と癒し◆素晴らしすぎるからといって -
茂木健一郎が出す本には二種類ある。「です、ます調」のものと「だ、である調」のものだ。「です、ます調」のものは、脳科学や心理学など、世間の関心が高いことを平易な言葉で分かりやすく扱っている。一方で、「だ、である調」の本は、茂木氏の思想が全力で表現されている。
僕は茂木氏の後者の本がとても好きだ。「脳と仮想」、「創造する脳」、そして「生きて死ぬ私」。どれもが僕の人生とは切っても切れない関係にある。
「生きて死ぬ私」は茂木氏がまだ若い科学者だった33歳の頃に書いた本である。
茂木氏は、科学者でありながら、ちょうど小林秀雄がそうであったように、人がこの世に生きることの切なさや哀しみ、そして歓び、といった科学で取り扱えない「魂のふるえ」に対して真剣に向き合っていた。
「生きて死ぬ私」の中で茂木氏は、自分にとって切実な問題について、等身大の一人称で、素直な言葉で語っている。
学生時代にうつになり箱庭療法をしたこと、貴重な蝶との奇蹟的な出会い、少年時代を共に過ごした友人の死…。どれもが科学では取り扱えない個人的な体験だが、かけがえのない体験には違いなかった。
何かと世間を騒がせている茂木氏だが、彼の素直な文章を読むと、人間としての親しみを感じずにはいられない。 -
この当時の茂木さんと同じ年齢の自分。
こんなレベルの高い文章を書けるのは流石茂木さんと言ったところなのか。
と言っても難しくて中々入ってきにくい部分もあった。
なんとなく理解しながら読めてはいたけど、「これ」と言ったなにかを吸収した訳ではなく、なにかジワジワ心に入ってくる、不思議な文章だった。
あとがきでも書いてあった様に、今だったら売れてもおかしくないけど、これが昔のあまり知られてない頃の茂木さんだったらあまり売れないのかなと思いました。