倚りかからず (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
3.98
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本棚登録 : 1361
感想 : 119
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  • Amazon.co.jp ・本 (135ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480423238

作品紹介・あらすじ

「もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい/じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」。強い意志とナイーヴな感受性によって紡ぎだされた詩集『倚りかからず』に「球を蹴る人」「草」「行方不明の時間」の詩3篇と高瀬省三氏のカット16点を添えて贈る瀟洒な一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 著者、茨木のり子さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。

    茨木 のり子(いばらぎ のりこ、本姓・三浦(みうら)、1926年(大正15年)6月12日 - 2006年(平成18年)2月17日)は、日本の詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家。

    大阪府大阪市生まれ、愛知県西尾市育ち。愛知県立西尾高等女学校(現・西尾高等学校)を卒業後上京し、帝国女子医学・薬学・理学専門学校薬学部に進学する。上京後は、戦時下の動乱に巻き込まれ、空襲・飢餓などに苦しむが何とか生き抜き19歳の時に終戦を迎え、1946年9月に同校を繰り上げ卒業する。

    で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)

    「もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい/じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」。強い意志とナイーヴな感受性によって紡ぎだされた詩集『倚りかからず』に「球を蹴る人」「草」「行方不明の時間」の詩3篇と高瀬省三氏のカット16点を添えて贈る瀟洒な一冊。

  •  なくなって久しいのですが、忘れてほしくない人です。
     茨木のり子さんの73歳の時の詩集です。題になっている「倚りかからず」があまりにも有名ですが、他にもいい詩がたくさんあります。「私が一番きれいだったとき」から60年の歩みを支えた矜持にはやはりうなります。
     ブログにもあれこれ書きました。
       https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202109080000/

  • 茨木のり子の詩は、心をシャンとさせてくれる。ふとした折に、手に取ってきたが、今またそのタイミングだったのだろう。倚りかからず。中々できていないが、これからも時折、思い出したように読みたい。

  • 詩を久しぶりに読んでみた。茨木さんの詩は勇気づけられるとのことで、たまには、一遍一遍噛み締めてみるのも良いなとおもいました。☺

  • 茨木のり子さんの、緩みなくきりっとした詩の世界は好き。しっかりしなきゃと思う。

  • 詩なんてぜーんぜんわからない私が、はじめて忘れられないと思った「自分の感受性くらい」。この詩集には載ってないけど、他の作品もぜんぶ枠は大きいのにさっぱりまろやかな読み心地ですごくすごく好き。茨木のり子さんの詩のリズムをこころに秘めて生きていきたい。

    • やきにくさん
      詩なんてぜんぜんわからないけど
      悲しくて寂しくて
      なんにもしたくなくてできなくて
      そんなときでも
      なんだかわからないけど
      茨木さんの詩は読め...
      詩なんてぜんぜんわからないけど
      悲しくて寂しくて
      なんにもしたくなくてできなくて
      そんなときでも
      なんだかわからないけど
      茨木さんの詩は読めたんです

      2021/03/10
  • p68
    『「あたし蚤かダニになりたいの
    そうすれば二十四時間あなたにくっついていられる」』
    普段詩集など買わないんだけど、立ち読みでペラっとめくって見えたこの二行がほしくて買った。
    私は猫になりたいと思ってたけど、蚤かダニは負けた。確かにそれならずっと一緒にいられる。
    はたき落とされるかもしれないけど、ひっそり息を潜めてくっついていられる。
    そこまで小さいのは考えたことなかった。
    負けた。

    紙質が厚くてつやつやしてて上質。
    詩は直球の言葉で淡々と語られる。
    嘘がない。そこに己の心すらも投影させてくれる余地がある。

    「苦しみの日々 悲しみの日々」、「倚りかからず」が心に残った。

  • 解説に「茨木さんの詩には、ご自分で書いたことを自ら茶化す表現がよくある」とある。
    それは例えば「苦しみの日々 哀しみの日々」という作品に顕著に表れている。「苦しみの日々 / 哀しみの日々 / それはひとを少しは深くするだろう / わずか五ミリぐらいではあろうけれど」とか。
    「少しずつ 少しずつ深くなってゆけば /やがては解るようになるだろう /人の痛みも 柘榴のような傷口も / わかったとてどうなるものでもないけれど / (わからないよりはいいだろう)」に至っては、二重に突っ込んでたりする。
    茨木さんは、詩は言葉を削らないといけないからどうしても言葉が強くなる、と言って羞じるように笑っていたという。
    「倚りかからず」みたいな強い詩ばかりだと思って読むと意表を突かれるかも。

  • 私がこの本の中で共感できると思ったのは次の詩です。


    -苦しみの日々 哀しみの日々-

    苦しみの日々
    哀しみの日々
    それはひとを少しは深くするだろう
    わずか五ミリぐらいではあろうけど

    さなかには心臓も凍結
    息をするのさえ難しいほどだが
    なんとか通り抜けたとき、初めて気付く
    あれはみずからを養うに足る時間であったと

    少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
    やがては解るようになるだろう
    人の痛みも 柘榴のような傷口も
    わかったとてどうなるものでもないけど
    (わからないよりはいいだろう)

    苦しみに負けて
    哀しみにひしがれて
    とげとげのサボテンと化してしまうのは
    ごめんである

    受けとめるしかない
    折々の小さな刺や 病でさえも
    はしゃぎや浮かれのなかには
    自己省察の要素は皆無なのだから


    ちょっとこの詩は重たい感じがありますが、ユーモアのある詩も多く、中にはマザー・テレサ、多分元サーカー選手の中田のことを詩ったのだろうと思われる詩もありました。
    作者の茨木のり子さんは2006年に亡くなられています。

    私は詩というものは興味がなかった・・・というか苦手でした。
    ひとりよがりなイメージが多く、分からない。
    それに言葉が「痛い」という感覚があったんです。

    ですが、最近いろんな言葉ををしみじみと感じ入って見るようになりました。
    この詩集が今の私の目にとまったのも出会いだな~としみじみ思います。

  • 「「もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい/じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」。強い意志とナイーヴな感受性によって紡ぎだされた詩集『倚りかからず』に「球を蹴る人」「草」「行方不明の時間」の詩3篇と高瀬省三氏のカット16点を添えて贈る瀟洒な一冊。」

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著者プロフィール

1926年、大阪生まれ。詩人、エッセイスト。1950年代より詩作を始め、53年に川崎洋とともに同人雑誌「櫂」を創刊。日本を代表する現代詩人として活躍。76年から韓国語を学び始め、韓国現代詩の紹介に尽力した。90年に本書『韓国現代詩選』を発表し、読売文学賞を受賞。2006年死去。著書として『対話』『見えない配達夫』『鎮魂歌』『倚りかからず』『歳月』などの詩集、『詩のこころを読む』『ハングルへの旅』などのエッセイ集がある。

「2022年 『韓国現代詩選〈新版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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