ビール世界史紀行 ビール通のための15章 (ちくま文庫 む 11-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 207
感想 : 18
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  • Amazon.co.jp ・本 (390ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480426802

作品紹介・あらすじ

5000年以上の歴史をもち、世界中で飲まれているビール。メソポタミアでの発祥、修道院でのビール造り、そして日本への伝来まで、そのルーツと歴史をたどる。それぞれの時代の製法やマルチン・ルター、森鴎外など歴史上の人物とのかかわり、エールとラガーの違いなど、ビール好きなら知っておきたい知識もまじえ、ビールとその歴史を学ぶための決定版といえる一冊。便利な「ビール小事典」付き。

感想・レビュー・書評

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    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/764773

  • 通じゃなくても、ビール飲みますよ。訳の分からないものからまじめな歴史まで。

  • 20180722
    ビールの世界史を学べる。2008年くらいまでなので、IPAの革命を起こしたアメリカのムーブメントには言及はない。
    それぞれのビールについてコメントを残す。

    ・ラガービール
    下面発酵で低い温度で発酵する。
    チェコピルスナーで生まれたのが最も有名。
    淡麗で黄金色、飲みやすさがある。
    日本に入ってきた時は、イギリス由来のエールを淘汰して市場を席巻した。

    ・エールビール
    ロンドンのバスペールエールが有名。
    上面発酵で華やかな味わい。
    IPAなどに発展していって現代のビールを牽引する存在。

    ・修道院ビール
    トラピストビール。オーバルやシメイなど、ベルギーで盛んに製造される。

    ・ヴァイツェン
    バイエルン地域が発症。小麦の比率が高い。

    ・ポーター
    黒ビール。大麦をローストする。

    ・インペリアルスタウト
    ロシアの皇帝に献上したビールからインペリアルの名が冠せられる。

    ・ランビック
    木樽で自然発酵をさせる樽。

    グローバルな視点でビールを捉えるために読む。

    ・グローバルな歴史として
    ・グローバルな地理として
    ・グローバルな文化として

    アートアンドサイエンス

    エール
    ラガー=下面発酵、低温発酵、貯蔵する=Lager

  • ビールに関する知識あれこれ。
    ドイツに行ってビールを飲みまくりたい。

  • 2010年(底本2000年)刊行。著者はサントリーの元常務取締役。

     国産ビール通というだけでは全く歯が立たない薀蓄に溢れている。特に、英独の近世以降の社会史・宗教史に造詣深ければより楽しめる書。

     ただし、ビール自体の持つ限界。すなわち、アヘン・コーヒー・茶・ジャガイモならば、より広汎な交易史という観点で読めるが、ビールにそういう視座は殆どないとの限界が、本書の面白みの天井を画する感は残る。

     さらに、発酵・醸造の化学的意味と、解読の歴史的進展の解説ならば、化学史という観点で読めるが、そういう点も僅かに触れるのみ。痛し痒し。あるいは細かい割には、突き抜け不足。そんな読後感か。

  • k

  • ビールの発祥は紀元前3500年〜3000年のメソポタミアということになっている。肥沃な三角地帯とは言うものの乾燥地帯でバグダットではティグリス河が4月にユーフラテス河が5月に水位が最高に達し渇水期の10月との高低差は5〜7m。たびたび洪水に襲われる土地で灌漑によって小麦や大麦を栽培していた。どうやってビールが造られたかははっきりしない。穀物を水につけて発芽させると柔らかくなる。大麦のモヤシを乾燥させたものが麦芽だ。おそらくこれを粥にするか、粗挽きしてパンを焼き瓶に入れて水を入れて放置すると自然発酵してビールが出来る。時代を下ってバビロニアではビールの配給がありハンムラビ法典には混ぜ物ビールを販売したら樽に入れビールで溺死させる刑が残っている。エジプトの絵文字には生焼けにしたパンを水につける醸造法が残っている。

    ローマの歴史家タキトゥスは「ゲルマーニア」でゲルマン人はワインより品位の下がるビールを飲むとこき下ろし、ギリシャの歴史家ヘロドトスはエジプト人がビールを飲むのはブドウがないからだと切り捨てる。ローマ時代は飲むと言えばワインだ。今でもビールの名産地と言えばイギリス、アイルランド、ドイツ・・・と北よりなのはやはりワインが作れないと言う影響はあるのだろう。

    ブリテンでは蜂蜜酒のミードが飲まれていたが王侯貴族の飲み物となってしまった代用品として穀物酒が生まれた。それがエールだ。ローマが去ったのちに来た修道僧はワインを好んだが残念ながら手に入らない。そこでエールを日常食とし、訪問者に提供する朝食のパンに添えるスープもエールで。ビール作りは当時の女性の家事の一環でもあり、麦芽を煮る鍋は花嫁道具だそうだ。まあどこまで行っても庶民と労働者の飲み物だ。教会の巡礼者向けに最初は浄財で作られたホスピスが生まれ、次いで宿と食事とエールを提供する施設が生まれた。それがホテルの原型のインであり、レストランの原型のタヴァーンであり、パブの原型のエールハウスだが元々その差は上等かどうかであり機能の差ではなかったのが後に分業していく。

    ビールにホップが使われたのは12世紀、ライン河畔の女子修道院の院長ヒルデガルガスによって、当時は殺菌と言う概念はなかったがハーブ(グルート)を使えば腐らず長持ちすることが知られていた。ハーブの中でも爽やかな苦みや香り、そして抗菌力からホップが独占的に使われていくのだが今でもコリアンダーを使ったベルギーの白ビールがある。コリアンダーって生の葉っぱはパクチーなんだけどね。イギリスでは15世紀までホップは使われておらずグルートを使ったエールに対し、ホップ入りは区別をしてビールと呼ばれるようになった。

    上面発酵のエールに対し、ドイツで生まれたのが下面発酵の三月ビール(メルツェンビール)だ。バイエルンビールの地位向上を狙った1516年の純粋令〜ビールは大麦とホップと水の三つの原料以外を使用してはならない〜に続き仕込み時期と夏の終わりまで日持ちするようにホップを多めに仕込んだ。低温発酵で有害菌に汚染されにくく、更に冷温貯蔵することで夏を越え次の仕込みシーズンまで持つようになった。そして1842年ピルゼンの軟水が革命的な明るい琥珀色のビールを生み出した。ガラス容器が出回るタイミングにマッチし長期保存の「ラガー・ビール」が誕生した。技術の元となったミュンヘンの醸造業者が淡色ビールに「ピルスナー」と名付けたのにピルゼンが反発し結局ピルスナーは一般名詞として申し立ては却下されたのだがドイツは遠慮してピルスと呼ぶようになった。技術が生まれたミュンヘンの名を取ってミュンへナーにならなかったのはこの名称がダークカラーの古典的なビールに使われたからで今では「ラガー(貯蔵する)・ビール」と呼ばれている。

    ビールが世界中いつでもどこでも、ただし必ずしも冷えてるわけではないが、飲めるようになったのは1873年の冷凍機の発明、パスツールの低温殺菌法、微生物管理など現代の技術の発展が大きく寄与しており最近ではとうとうラガービールも高温短期熟成に回帰している。ラガーが生まれて200年足らず、新しい技術が取り入れられ続けているのがビールの歴史なのだと思えば伝統にこだわることはない。日本の生ビールは殺菌なしで保存が効くように管理されて作られている。美味しんぼで山岡がスーパードライを「平坦でコクがない」とこき下ろすのだが麦汁を酵母が食いきりアルコール濃度が高くなるとドライになり、エキスを残すとコクが残る。エビスは好きだけど好みの問題だろう。伝統のビールはヨーロッパの修道院の樽の中にあると言われても困るしね。

  • ビールにまつわる歴史と、著者の個人的な体験談が詳述されている。
    どうやら前に2作あるらしく、知識がないと分からない部分が多々ある。また大学の講義に使ったらしいので、余計に難しくなっているのかも知れない。
    面白くないし、読みにくい。ビールの歴史に興味があればオススメです。

  • 蘊蓄用www

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著者プロフィール

一九三四年山梨県生まれ。五九年、東京大学農学部農芸化学科を卒業、寿屋(現サントリー)に入社。六一年よりミュンヘン、コペンハーゲンに留学し、ビール造りを学ぶ。八五年、同社取締役就任、日中合弁の江蘇サントリー食品公司の役員兼務。海外への技術指導を行うなど、ビール生産に専従。顧問・技術監を経て二〇〇三年に退任。一方、一九九八年以来、大学での講義、地ビールの指導、各紙誌での執筆などで活躍中。著書に『ビール世界史紀行』などがある。

「2017年 『麦酒伝来 森鴎外とドイツビール』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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