- Amazon.co.jp ・本 (367ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480426963
作品紹介・あらすじ
「謎の巨匠」の「探偵小説」仕立ての、暗喩に満ちた迷宮世界。ある夏の日の午後、主人公エディパは、大富豪ピアス・インヴェラリティの遺言管理執行人に指名されたことを知る。偽造切手とは?郵便ラッパとは?立ち現われる反体制的なコミュニケーションの方法とその歴史。短編「殺すも生かすもウィーンでは」を併録。暗喩読解のための解注も増補した。
感想・レビュー・書評
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不思議な読後の感覚。
内容云々ということではなくて、自分の中の手ごたえというか、手触りというか。
非常に面白く読み終えた。
非常に面白い作品なんだけど、果して本当にその面白さを堪能できたのかどうか。
100%理解できたうえで「面白かった」と言えているのかどうか。
物語の大筋は理解出来ていると思うし、どんどんと追い詰められ、損なわれていくエディパの心理や、あばかれていく謎の数々も概ね理解出来ていると思う。
どちらに転んだとしても決して明るい兆しはないラストにしても、好きな終わり方だ(白黒はっきり付けられないと落ち着かない、という人にとっては、この謎を残したままの終わらせ方は最悪だろう)。
それでも、自問自答してしまう……本当に理解した上で面白いと言っているのかと。
併録されている短編「殺すも活かすもウィーンでは」よりもページ数が多い注釈(解注と名付けられている)は結局は煩わしくて読まなかったのだが、いずれこの「解注」をきちんと読んだうえで再読してみたいと思う。
またこの短編「殺すも活かすもウィーンでは」もとても面白かった。
なんとも言えない終わらせ方にゾゾッ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
探す物語。
世の中には記号論なるものまで存在しているらしいのだが、まさに、この小説には記号が横溢している。なんのためかと問えば、おそらく小説に豊穣をもたらすためだ。私たちはある言葉に対してあるイメージをいだく。文章が意味を伝えることができるのは、言葉に公認されたイメージ、誰もが合意した意味が含まれているからだ。ところが、小説となると言葉に辞書的な意味以上のものを求めることがある。主人公がオイディプスを名乗っているとしたら、いったいオイディプス王を想像しない人がいるだろうか。それは単なる名前ではない。誰もが答えを与えることのできなかった、なぞを解き、誰よりも有能と思われていた人物でありながら、自分の素性すら知らなかった男の名前、それがオイディプスだ。主人公がエディパ(Oedipa)=オイディプス(Oedipus)を名乗っていたら、私たちはそこからオイディプス王の物語、ギリシア悲劇のイメージをいだくことになる。
そして、やはり当然のようにエディパは探し物を始める。伝説にいろどられたなぞの組織、トライステロを追いかけ始めるのだ。彼女は何を探しているのだろうか。くどいようだがオイディプスを名乗る主人公である。そうなると、探し物は、自分ということになるだろう。トライステロのなぞをめぐり、あちらこちらをさまよう主人公の冒険は、自分探しの旅ということになる。エディパという名前と探し物という文脈から、読み手が物語のイメージを勝手に膨らましていくことができてしまう。(もちろん、書き手がそれを意図的に行っているとしてもだ。オイディプスと探し物という組み合わせを使わずして、これほど説得力を持って自分探しの物語のイメージを読み手にうえつけることができるだろうか。)これこそピンチョンが小説の中に記号を溢れさせる理由だろう。そうして意図的に記号が埋め込まれていると知った読み手は、やがて彼が意図せずに使った単語にすら記号を見つけ出すだろう。なんてあくどい、いやいや上等な方法でイメージを膨らませる小説だろう。
こういうやり口は、コードを使った小説のコード化とでもいうのだろうか。コードと記号論っていうのは、切っても離せない関係にあるらしいのだけど、そういえば小説の中では切手がひとつの鍵を握っていた。消印付きの切手が収集されているくらいだから、切手は貼ってもはがせるのだろう。ところが記号とコードははがせない。ここでいうコードは、ドレスコードのコードでいわば暗黙の了解みたいなものだろうか。一方でコードには、暗号くらいの意味もあるから、まさにピンチョンのもちいる記号っていうのは、ある種のコードだろう。この言葉は、もちろん、この意味、このイメージを暗示してますよ、暗黙の了解ですってやっておきながら、わざとらしいものから、それこそ暗号のようなものまで、いろいろと埋め込んでおく。そうすると、書き手と読み手の間に、暗黙の了解が出来上がっていく。私の書いてる言葉はコードなんです、だから注意して読んでね、というわけだ。まさに小説のコード化だ。
ただ、そこまでを読み手に求められると、どうしても読んでいてくたびれてしまう部分もある。当たり前だけれど、彼の書いた言葉すべてに反応しきることは不可能だ。何しろ国も違えば言葉も違うし、時代も違う。だから、ほどほどに楽しめばよい。きっと、そういう小説だ。 -
初ピンチョンだったが見事にKO。変態的なまでの引用と文学・科学・芸術その他からの隠喩で全くあらすじが追えなかった。ただ文章のシュルレアリスム的エネルギーが凄まじかった。これで一番わかりやすい短編だとは…
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難しかった〜。再読します。でも付録の『殺すも生かすもウィーンでは』は楽しく読めました。
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何か前衛的な詩を読んでいる気分 もしかしてこれも演出の一つか? 少なくとも20代で書ける話とは到底思えない
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ドアーズの曲がBGMに流れるホックニーの絵のカリフォルニアを舞台とした奇妙な物語。バークリー、サンフランシスコ、ギルロイやフレズノのあたりが舞台。
翻訳者の志村正雄による注釈が充実。独立した読み物になっている。
志村によれば、本作はピンチョスのノベルの中で最も簡略とのことだが、かなり複雑な構造を持った話だった。
突然、身寄りのない富豪から遺産管理人に指名される主人公。次々と見つかる暗号。連邦制度とは別の「裏」の郵便制度の存在。裏郵便システムのための偽造切手。関係者が全て自分をハメていて、それは富豪によって生前にセットアップされのではないかという疑心暗鬼。これらの話がカリフォルニアの乾いた快晴の気候なかで進んでいく。
偽造切手コレクションが競売にかかるシーンで物語は終了。中途半端なようで、映画のラストシーンのような終わり方だった。 -
トマスピンチョン 「 競売ナンバー49の叫び 」
かなり難しい。
60年代のアメリカを描いた時代小説だと思う。反体制、カウンターカルチャーの時代とは 別の世界を見てきた主人公の逃げ場のなさを描写しているように読める。
競売ナンバー49の叫び=アメリカの反体制の叫び。この叫びをどう受け止めるか が小説のテーマのように感じた。エントロピーとマックスウェルの悪魔が どう受け止めるかのヒントだと思う。
*エントロピーの熱量の方向性、元に戻らない不可逆性
*マックスウェルの悪魔の選り分け、無から有を生む構造
を この小説のヒントと捉えると
反体制時代の人々の熱量の社会への影響力の大きさ、元の栄華の時代へ戻らないアメリカ、情報やコミュニケーションの選り分けを イメージした。
主人公の宗教的な啓示(死から再生へ)が何を意味するのか わからなかった
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再読。60年代米西海岸のパラノイアはどこか陽気で華やかに感じる。
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文学