- Amazon.co.jp ・本 (450ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480427854
感想・レビュー・書評
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深沢七郎コレクション 転 (ちく 深沢七郎の文章にはものすごいオーラというか、魂というか、とにかくものすごいものがうごめいていると思った。むしろそのうごめいているものがそのまま文章になって跳ねたり跳んだりぐったりしたりしているような・・・。サラッとした「うまい文章」とは真逆の性質だと思った。この本は読んで面白いし、名言だらけでとても良かった。特に『秘戯』には深く感動した。そして解説まで読むと、また別の所から感動が溢れてきて涙が出そうになった。実はエッセイの方はあまり興味がなかったのですが、試しに読んでみて本当に良かった。本当に良い本でした
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ちくま文庫から出ている深沢七郎の2冊のアンソロジーのうち、後編、エッセイを中心に収めたもの。小説も数編入っている。こないだ読んだ中公文庫『みちのくの人形たち』とでは、短編小説「秘戯」が重複している。
エッセイを読んでみると、この作家の特異な世界がますますよくわかる。
『庶民列伝』という単行本があるようだが、そこから「序章」および1編が入っており、とくに「序章」は面白い。金持ちのブルジョワっぽい親子と「庶民とはどんなものか」という議論を延々と続けているのが妙におかしいのである。
なるほど、深沢七郎自身が、感性的に「庶民」の側に属しているということだろう。しかもそれはレヴィ=ストロース的な意味で「野生」でもあり、原初的な生命の躍動をふくんでいる。
「生態を変える記」では「私はくらがえしたくてたまらない。・・・妻子のある者はそうそう国籍の渡り鳥になるのは億劫かもしれないが、若い者はぜひ実行してもらいたいものである。・・・くらがえして、よくないようだったらまたよそへくらがえすればいいのである。くらがえするのはたのしいことだと私は思っている。」(P.14)と語られている。
この「くらがえ」は住居を転々とするばかりではなく、職業やライフスタイルをごっそり変えてしまう、変転の生き方であるようだ。
深沢七郎じたいが、旅を好み、さまざまな職業を経験している。いったいこの人は「小説家」なのだろうか? およそ、作家という言葉がイメージさせる像からはほど遠い。いわゆる「知識人」らしくは決してない。だからこそ、あんな不思議な小説が書けるのだろう。
深沢の文体はかなりの「悪文」であるが、奇妙な味わいがあって、なんとなくジョン・ケージの木訥な音楽を連想させる。それは知的に解析されレトリックが施される以前の、存在/生そのもののナマの揺らぎを反映しているような感じがする。
1960年、深沢が発表した「風流無譚」(これは未読)が原因となり、この物語を皇族に対する不敬として憤慨した右翼少年が中央公論社の社長宅を襲撃、死者まで出してしまったという事件が起きる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/嶋中事件
これにはさすがに「自分のせいで殺人まで起きてしまった」とショックを受けたらしく、しばらく断筆して放浪している。
その後、1965年には突如埼玉で農家となり、さらに冬季には、今川焼き屋を開業する。
実に行き当たりばったりというか、自由奔放な生き方であり、ふつうの文学者・インテリには絶対まねできない。シモーヌ・ヴェイユのような決死の思いなど全然もたずに、深沢七郎はお気楽に「労働」に飛び込んでいき、それが「たのしい」からやっているんだと言い続けている。
なんとも不思議な、しかし確かに「生きている」という感じのする生き方であり、私たち凡庸なサラリーマンが忘れてしまった人生の自由さが、この本にはあふれている。もし私が若い頃読んだら、影響を受け、その後の人生がちょっと変わっていたかもしれない。 -
人類滅亡教などと言っているけれども深沢七郎の本を読むと「生きていてよかった」といつも思わされるから不思議。悪くいえばとことんわがままな人。そう断言できてしまえる人は読む必要がない作家。
読むにつれて「常識的」であることがくだらなく、罪のようにさえ思えてくる。
この人には「社会人」(や、反社会人)に対する思いやりが一切欠けている。というのも、「孤独」を単位に生きていたからだろう。
「閉ざされた世界」という評価もある作家だがそうは思わない。ものすごく潔癖ではあるけれども、尋ねて来た知人と一回会うだけでも真剣勝負で、中途半端な客はそれ以来縁を切られる。
彼のお眼鏡にかなうのは、動物の延長としての人間であると同時に、自分が作ったルールを持っている人。つまり、余計なことは考えない人。