移行期的混乱―経済成長神話の終わり (ちくま文庫)

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著者 : 平川克美
  • 筑摩書房 (2013年1月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480430250

移行期的混乱―経済成長神話の終わり (ちくま文庫)の感想・レビュー・書評

  • 円熟社会が直面する、低成長、人口減少、これは経済成長の結果である。有史以来初めてのことだから、混乱する。それが今の状況。問題は成長戦略がないとこでなく、成長しなくてもやっていくための戦略がないこと。
    なるほど、と思った。

    56年から73年、高度経済成長期 義のために働いていた。誰かのためというのでなく、目の前の仕事を徹底的につきつめた。働くこと=生きること。貨幣にも、何者にも取って代わることのできない尊いもの。誰にも見られず、誰にも褒められないかもしれなくても、いい仕事をすることに満足を覚える仕事観。

    74年から90年、仕事と生活が分離し、生活が豊かになり、週休二日制になって余暇を楽しむようになる。コンビニの誕生。いつでも時間を金も交換できる時代になった。労働中心の生活から消費中心の生活へ。

    91年から08年、冷戦の終結、そしてテレビ、インターネットの出現、人材派遣の拡大、家制度の崩壊。金銭一元化の時代。かつては金銭に還元できないとされていた、親切、贈与、医療、介護、教育までがサービス化。企業の不祥事も多発。それは右肩上がりに拡大しなければならないという信仰による病。

    自殺者が多いのは、セカンドチャンスがないからではなく、自己努力によっていつでもチャンスがあると言われているプレッシャーがあるから。チャンスを掴まなきゃいけないと思っても、その時にはエネルギーが残っていない。そして自殺する。

    ビジネスとは、交換が繰り返し行われること。それを担保するのは互いの信用、信頼。売り手と買い手が対称的な関係であること。医療や教育は違う。一方は強者で、一方は弱者。このような非対称的な関係では、商品交換の透明性は確保できない。それは、贈与と返礼の形でなければならない。

    かつてあったように、小さな企業同士が、困った時は仕事を分け合ったり、助け合ったりする互助的なことをせざるを得なくなるのではないか。

    エマニュエル・トッド
    経済成長、女性の識字率向上などと、人口減少には相関関係がある

    経済成長しないと人口が減り続ける、人口を増やさないと経済成長できない、というのは矛盾する

    子への愛情や、親孝行、かつての労働など、返礼を期待しない行為と、商品交換の発想の差は何か。それは、価値の創造。その行為が、他のものでは置き換えられない価値の創造。

    鷲田清一
    物や価値や機能の生産から、欲望の生産に企業の目的が変わった。CMを見れば一目瞭然。
    リベラルの一番の意味は、気前がいいこと。

    内田樹
    ビジネスに大事なのは、金でも仕事でも商品でもサービスでもなく、トップスピードでものをグルグル回すこと。

  • これまでの日本経済を振り返り、政治や経済のその時を振り返る本です。
    成長し続けなければ止まってしまうかのような流れに疑問を持っていた私は、考えに共感しながら読みました。
    高度経済成長の時のような、ない時代の生産性を今に当てはめても、おかしいとわかっていても合わせざるをえない世の中の不思議。
    これを読み終わっても日々社会は変化しているし、読んだ先からすでに思い出です。

  • 日本は今、初めての人口減の現実に直面している。政府は少子化対策などの施策を行っているが、国が成熟してきたら人口が減っていくのは、歴史の必然。筆者は未経験の時代に対するスタンスを、丁寧に語りかけてくる。それは「仕事のシェア」であり、労働の「等価交換」ではなく「贈与」なのである。

  • 2006年をピークに日本の人口は減ってきている。日本の人口動態を1000年以上のスパンで見ると、人口が減るという経験は、これまで日本になかった初めての事態だ。

    ▼…将来に対する不安が人々の頭上に暗雲のように立ち込めていた時代、つまり戦国の世の中においても、戦争前夜においても、敗戦後の荒廃の中でも、日本人の総人口は減るどころか増え続けてきているのである。
     では、将来の不安ではないとすれば、何が、日本の総人口の減少を促しているというのか。
     それを探る論考を綴ったのが本書である。(pp.8-9)

    (「日本人の総人口」と「日本の総人口」が混じってるところと、前者の言葉遣いがちょっと気になる。)

    戦後60年という時間が経った。生々しい現実の渦中にあっては、何が起きているかを知ることはできなかった。だが今、時間を経て、多少は見晴らしのよい場所に立ち、「現在から時間を溯り、もう一度歴史の場面に自分を降り立たせること」(pp.10-11)によって、歴史を体の中に入れて理解することができるのではないか、と著者は考える。

    そういう認識に立って、この本で著者は「将来のわたしたちという仮想的な視座から見れば、現在が大きな時代の転換期であり、同時に現在は移行期的な混乱期であるという仮説を検証してみたい」(p.39)という。

    1章の末尾で「人口が減少し社会が成熟しきった時代における労働観価値観の再構築を、あらたに行う必要がある」(p.59)と著者はしめくくり、以降の章ではその準備作業として、「日本人の労働に対する意識がどのように変遷していったのかを知るために、それぞれの期間の政治・経済状況を背景にして、労働の現場、会社の内部で何が進行していたのか、そのときの日本を覆っていた気分、ひとびとの生活を支配する価値観とはどんなものだったのかについて分け入って論じていきたい」(p.59)と書く。

    2章 「義」のために働いた日本人
    3章 消費の時代の幕開け
    4章 金銭一元的な価値観への収斂

    先取りしていえば、過去を振り返って、「週休二日制」「コンビニ」「派遣という業態」が日本人の労働観を大きく変えた、と著者は読み取っている。そして、経済成長の帰結が人口減少社会なのだ、と著者はいう。

    そうした変化の以前、60年安保のころ。
    ▼確かに、全学連、労働組合は革命前夜のような政治的高揚の中で連日のデモを繰り返していた。しかし同時に、岸信介が言ったように、後楽園球場は満員であり、銀座通りはショッピングにいそしむ群衆で溢れていたのである。…(略)…このとき、政治的な意味においてはアメリカは、日本の自立を阻むものであったが、同時に日本人の欲望を映し出す憧れでもあった。そのことへの視点なしに、岸信介に代わって政権についた池田勇人内閣の「所得倍増計画」が、それまでの政治的高揚を、経済的な幻想によって一気にかき消してしまった現実を理解することはできない。多くの日本人にとって、国家の政治的な自立を考えるよりも、自らの生活を憧れのアメリカ的なものに近づけることが喫緊の問題だったのだ。そして、そのことは生活するものにとっては正当な欲求であった。(pp.69-70)

    60年安保の時、町工場の末端労働者はこの政治闘争にどのように関わったのか、どのような気持ちを抱いていたのか、それを描いている小関智弘さんの「ファンキー・ジャズ デモ」(『粋な旋盤工』所収)を読みなおした著者は、こんなふうに書く。

    ▼ジャズの大好きな工員に引きずられて、数名の町工場の工員が街頭デモに繰り出す。デモは政治的なものというよりは、仲間が集う晴れ晴れしい祝祭であるかのようであった。そこには、低賃金にあえぐ生活への屈託もなければ、政治的な理屈... 続きを読む

  • わたしたちの父祖が、いや日本人がこれまで経験したことのない「人口減少」という局面。

    「成長」を当然のものとしてきたわたしたちの考えかたそのものを問い直さなければならない、と著者はいう。

    「問題なのは成長戦略がないことではない、成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだ」

    有史以来の移行期的混乱を乗り切るための処方箋など、簡単に出せるものではない。

    ただ「なぜわたしたちはこんなふうに考えるのかと考え、どう考えてはいけないかという原理的な問い返しをすること以外に、わたしたちの立ち位置を確認することができないということである。」

  • 企業での仕事には、みんな「プロ」という言葉が付いている。

    ある「プロジェクト」を立ち上げるためには、計画=「プログラム」が必要だ。その事業の責任を持つ「プロデューサー」が「プロセス」を組み立てて、商品やサービスを「プロモーション」して、企業として「プロフィット」を計上することが求められる。それこそが「プロフェッショナル」として求められる姿勢である。今の世の中に氾濫する「プロ」という言葉、ラテン語のそもそもの意味は「前」というものらしい。つまり、企業活動というのは未来を予測して創り出していくもの、と定義することができる。


    そんな企業活動が低迷しているのはどうしてなのだろうか。アベノミクスといわれる経済政策によって、一時的に息を吹き返したようにも見えるが、そもそも震災前には100年に一度の経済不況と呼ばれていた混乱があって、そこで必要とされていた量的緩和や公共事業が進められているに過ぎない。むしろ構造的に何も変化しているわけではなくて、人口減少やエネルギー等の資源制約、民間消費の低迷といった条件は震災前よりもさらに進んでいるように思える。


    企業というものの存在理由が「未来を創り出すため」にあるのならば、これまでの延長線上で考えていくのは筋が悪い。実際に安倍内閣を支持しているのは、重厚長大型大企業を中心とした経済団体であり、官僚型組織の代弁者として自民党という存在がずっと政権を担ってきた歴史がある以上、今回の参院選というのもそのような組織的な利益代弁の意味があったということだ。それらのフォーマットはすべて、人口が増え続けて、経済が発展し続けるという前提の元につくられている。


    いまは移行期なのだと思う。たとえば江戸時代でも、1700年から150年くらい停滞期があって、明治維新後に工業化が進んで人口が一気に増えていったという。そこに投入された技術的イノベーションというのは、アンモニアから窒素を供給する化学肥料だったり、石炭を焚くことによる蒸気機関だったり、人間の根源的生活の質を劇的に高めるような発明が西洋からもたらされたためだ。同様に、戦後の高度成長というのも農業の機械化や石炭⇒石油への移行といった生産性の向上が図られたために、1億人を超える人口がこの島国で住めることになった。その延長線上に原子力発電があるのだし、東京への一極集中がある。


    移行期的混乱を問題視するのか、楽しむのか。それによってその後の変化に対する主体性が違ってくると思う。願わくば変化を興す側に回ること、それこそが移行期を乗り切るための最高の戦略なのではないだろうか。企業家が少しでも増えてあるべき未来を創造していくことでしか、前進はないのである。

  • 平川克美さん『移行期的混乱 経済成長神話の終わり』読了。
    抜群に面白い本でした。

    本書で平川さんが述べられていることは、≪わたしたちが推し進めてきた民主的な社会というものが、現在のところどういった段階にあるのかについて出来る限りの正確な認識≫です。

    ≪わたしが本書の中で見出したことは、現在の経済的停滞は、経済政策の瑕疵によって引き起こされたものではなく(もちろん、それがないとはいえないが)、歴史的な時間軸を想定するならば、経済成長の成果としてもたらされたということである≫

    ≪現在の日本に必要なのは、経済成長戦略ではなく、成長しなくてもやっていける戦略≫

    今という時代を見る際の、ヒントとなる言葉が満載の一冊でした。

    ≪どちらの場合も仕事をひとつの召命としてとらえてはいるが、フランクリンが貨幣という表象によってそれを表現したのに対して、日本人の場合には労働をする人間に対する尊敬であり、それを貨幣によって表象することはむしろ退けられていた≫

    ≪民主化とは、国民国家の中にしか生まれ得ないが、同時に国民国家を消滅させるところまで進展するものだということをわたしたちは、後に知ることのなる≫

    印象的な箇所を引用していけば切りがありません。

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    「問題なのは成長戦略がないことではない。成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだ」―人口が減少し、超高齢化が進み、経済活動が停滞する社会で、未来に向けてどんなビジョンが語れるのだろうか?「見えているはずなのに見えていなかったもの」に目を凝らし、網野善彦、吉本隆明、小関智弘、エマニュエル・トッドらを援用しつつ説く、歴史の転換点を生き抜く画期的知見。

    第1章 百年単位の時間軸で時代の転換期を読み解く
    第2章 「義」のために働いた日本人―六〇年安保と高度経済成長の時代 1956‐1973
    第3章 消費の時代の幕開け―一億総中流幻想の時代 1974‐1990
    第4章 金銭一元的な価値観への収斂―グローバリズムの跋扈 1991‐2008
    第5章 移行期的混乱―経済合理性の及ばない時代へ
    終章 未来を語るときの方法について
    付録 「右肩下がり時代」の労働哲学(鷲田清一×平川克美)
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  • ・2006年を境に日本の総人口が減り始めた。注目すべきは、これが有史以来、日本が初めて経験する長期的な人口減少だということである。これまで増え続けてきた人口が、ある時点から一転して減り続ける。このことは一体何を意味しているのか。

    ・エマニュエル・トッドの説によれば、民主化の進展と、それに伴う女性の識字率向上と社会的地位向上によって、いかなる国であろうとほぼ例外なく必然的に人口増大にブレーキがかかるという。この仮説が真であるとすると、出生率低下の原因を経済的な理由に求めるのは単なる俗説にすぎないこととなる。したがって、現在行われている少子化対策なるものは、その原因を履き違えているだけに有効な対策となりえていない。

    ・そもそも、民主化の進展は歴史的に不可逆な流れである以上、その帰結としての少子化というものに対して、有効な施策を打ち出すことなどできないだろう。したがってまた、少なくとも当面の間は、人口減少に歯止めをかけることもできないだろう。

    ・経済は生産と消費の拡大によって成長していくのだから、人口減少社会においては生産の担い手も消費の主体も減っていくわけで、とりわけ十分に経済が成長しきった日本社会においてはさらなる伸びしろはほとんど残っておらず、必然的に経済は縮小していかざるを得ない。「成長の限界」はどうやらあるらしい。

    ・「問題なのは、成長戦略がないことではない。成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだ」(p167)

    *読んでいて面白いと思ったはずなのに、要約するといささか陳腐になってしまうのはなぜだろう。国内における実体経済の成長がこれ以上難しいというのは、(意識的か無意識的かはともかく)既にかなりの程度共有されている認識だと思うのだが…。

    *しかし、日本中がアベノミクスに狂乱している今だからこそ、こういう本を読んで頭を冷やすことが必要なのかもしれない。

    *面白いと思ったのはむしろ細部の記述。構造主義を経済分析に当てはめると、こういう見方ができるのかと参考になった。

  • こういうことをもっともっとかんがえないと。

  • 丁寧な論考にうなづくことしきり。
    「問題なのは成長戦略がないことではない。成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだ」

    全面的に賛成するわけではないけれど、傾聴に値する考えるヒントのつまった本。

    経済成長は七難を隠す。今起きている問題は、なかったのに発生したのではなく、元々あって隠れていたのが隠しきれなくなっただけ。もう一度経済成長する(再び隠す)のではなく、成長しなくても何とか折り合いをつけてやりくりしていこまいか、という。
    他に感心したのは、哲学的抽象的な分析や考察が多いのに、上滑りになっていないこと。国民経済や歴史的な変化の話しと、顔が思い浮かぶ生きている爺さん、父さん私、息子、孫の話しが途切れず辿れること。
    他人事でなく自分事として、不平不満ではなく提案や貢献として、国民経済を考えよう。そういう本。

  • 総人口減少、生産年齢人口の減少、GRPの低下。2006年以降、人口減少は続く。鎌倉時代の1000万人に満たない時から増加の一途をたどってきた日本にとって、人類史上始めての人口減少体験に入る。良くなるか悪くなるかも分からないし、どのような変化が起きるのかも分からない。闇雲に人口減少の中で経済成長をさけぶのではなく、人口減少社会のなかでいかに幸福で豊かな社会を創るかが大事。
    後退先進国として人口減少世界初の日本が担う役割は大きい。

    700万人くらいの室町とか統一するのすごく簡単に思える。WW2の時でさえ8000万人程度。この50年の以上な発展とその反動の時代を迎えている。

  • 二十歳くらいになったら、いくら牛乳を飲んでも背は伸びないでしょ。横に拡がりはするけど...。でも、それで「成長」が終わりということではないんだよなぁ。ということ。

  • 人口が減る時代には従来の(と言っても戦後60年の)経済成長至上主義は機能しないのではないか、という提言。それでも生きていかなくてはならないし、答えはないけど、かけがえのない自分の人生をこの時代で生きていくためにどうすべきかなんて考えました。

  • 改めて読むと、気づくことがたくさんある。

  • 昔の夢を追い求めるのはやめよう。社会が成熟し、有史以来の人口減少に入っている現在、労働観・価値観の脱構築と再構築が求められている。

  • 13/01/22。
    文庫本も購入。

  • 祝文庫化。サブタイトルの末尾が「終わり」から「崩壊」に変わっている、、、恐ろしや。。。

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    「『経済成長という病』で大きな反響を呼んだ著者が説く、歴史の転換点を生き抜く知見
    人口が減少し超高齢化が進み経済活動が停滞する社会で、未来に向けてどのようなビジョンが語れるか? 転換点を生き抜く知見がここに。鷲田清一氏との対談も収録。」

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