決定版 感じない男 (ちくま文庫 も 18-2)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 22
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480430571

感想・レビュー・書評

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  • 『感じない男』読了。

    感じない男は自分の体を肯定できないため、自らを生み直すために、美しく何にも汚されていない象徴である〝制服を着た少女“に欲情し性交がしたい、と書かれている。感覚的なものだが、日本人男性の女子高生へのアイコン的な憧れを考慮すると、このような思考の男性がかなりいるのだろうと感じる。

    非常に誠実な本で、まずはこの本を書こうと思った森岡さんに敬意を表したい。異性愛者の女性から見ると、眼から鱗というか、全く共感できないものの、納得させられる部分も大きかった。n=1だとしても、セクシュアリティとその背景をきちんと考察した功績は大きいと思う。

    文庫に追加された感じない男のその後、で出版後の精神的な落ち込みがあったと書かれているが、その後の様子や草食男子のための本の出版などを見ると、本当に誠実でなんというか、ありがたいという気持ちになる。

    また、従来の学問のあり方に加え、一人ひとりの人間がよく生きるための、客観性に縛られない「人生を悔いなく生き切るために総動員される知の営みのネットワーク」は非常に示唆に富む、素晴らしい考え方だと思う。

    日本社会の中で女性として生きていると、賢くない方が結局は幸せになる、学び続けることは自らの幸福追求とは相反するものだと時に感じてしまう。それでも、私個人が悔いなく生きるためには、知の営みを諦めなくてもいいかもしれない、と勇気づけられた。

  • 「賢者の時間」などと美化するのだけれど、やはりそれだけでは到底説明も納得もカバーもできない虚しさが射精後にはあって。なんど繰り返そうが、相手が誰であろうが独りであろうが、どれだけ射出を遅延させようが、あくまで深刻な虚しさが脳幹をいぢめる。しかしその行為を楽しめていない自分はポルノスターと比較して罪深く、弱々しく思われたのでなるべくこのことを不問に付し、あの手この手で疑問符を調伏しようとしてきた。誰に明かすこともせず、パートナーから呆れられて初めて薄笑いを浮かべて気まずく告白をするだけだった。秘匿すべき事柄、克服すべき病弊なのだと諦めていた。
    だから、「私」の肉体と心理に深々と切り込んだ本書には驚かされた。厳然としてある虚しさやヨゴレの感覚から目を背けるのではなく、あくまで切り込み、いかに引き受けていくか(安易に容認するのでも現行の身体を全否定するのでもない)を血まみれで熟慮する森岡の姿は見ていて痛々しかったが、全ての人間に血が流れていることを痛烈に思い出させてくれた点において快挙である。
    カミングアウトは万人のために開かれてある。そこから身辺の社会を組み上げよう。

  • 男の身体が汚いと思う意識。
    Vチューバーの綺麗な女の身体を得る。脱毛、化粧。男性的なものが汚く感じる。それによる女性性への憧れ?
    また読み返さないといけない。

  • ●雑記
    - n=1すぎる仮説だと感じる場面&個人的に読むに耐え難い描写、が時折あったが、n=1という前提のもとで納得感のある、面白い本だった。
    - 男性はこう考える人もいる(人が多い?)のか、と気持ち悪く感じる部分もありつつ、勉強になった。
     - 他者に意見を聞いてみたいと思える本だったが、なかなか難しいか。
    - あとがきに興味と共感あり、テーマの異なる他著書を読みたい。

  • 衝撃を受けた一冊。性癖や性欲の起源を知る事が、押し付けられた性欲から距離を取り、自分自身の欲や嗜好を取り戻す機会になるのではないかと思えた。

  • 勇気あるなー

  • 2023/10/08

    二日酔いながら一気見してしまった。
    おかえりアリスに衝撃を受け、そのあとがきからこの本の存在を知った。

    中学生の時に、毛が薄かった自分の足について、友達から「綺麗な足、女みたい」と言われた。そのことがずっと誇りだった。胸筋が無いので胸に脂肪がすぐ付いてしまうが、その僅かなふくらみを見るとき、少しだけ誇らしい、倒錯した感情がある。リナとミサトから、お世辞だとしても、「綺麗な顔立ちをしている」と言われたことをずっと覚えている。本当に嬉しかった。その嬉しさは恐らく、褒め方に性別が関係ない言葉だから。

    女になりたいと思っていた。それは思想の面だけでだと思っていた。女が女と取るコミュニケーションに憧れていた。男として扱われることに悲しくなる時もあった。年上の女と接することが多かったから、女と話していて楽な気持ちを覚えるんだと思っていた。少し違うのかもしれない。

    俺は俺の性をある面で肯定していてある面で否定している。

    「男のための物語」を俺が必死に求めていた理由はなんだろう。傾向はある。孤独な物語、孤独な男の感情を悲しむ物語。しかしそこに目を当てるということがそもそも慈しみだとしたら、その慈しみの行為こそを求めていたのかもしれない。

    俺が女を心から好きになる時、そこには憧れがある。自分には絶対になれない存在を少しでも自分のうちに取り込もうとする行為なのかもしれない。俺は全く自分のセクシュアリティに関して、人より悩んでいるであろうにも関わらず、何も答えを見つけられていない。

    以下引用。

    「私は、「男とはこういうものだ」という言い方の噓を、身をもって知った。「男とはこういうものだ」という言い方は、「男とはこういうものだということにして、男同士、楽にやっていこうぜ」という、男たちのあいだの申し合わせにすぎない。」

    「現実と虚構を、セクシュアリティの次元でうまく区別できないことが、「感じない男」の特徴のひとつなのかもしれない。」

    「そもそもどうして、少女の体になりたいという願望が、私の中にひそんでいるのであろうか。少女に乗り移ってまでして、少女の体を獲得したいという欲望は、どこから沸き起こってくるのだろうか。その欲望の根底にあるのは、「このごつごつして汚い男の体から、抜け出してしまいたい」という、祈りにも似た脱出願望なのではないかと私は思う。自分自身の体に対する感情は、このような自己否定の感情である。」

    「かつての私のようなタイプのロリコンの男が最終的にめざしているのは、大人の女になる瞬間を迎えたかわいい少女の体の中へと乗り移り、その少女の体を内側から生き、その少女の体を内側から心ゆくまで味わい、その体に様々な服を着せて人々と交わり、人々から優しく大切に扱われ、自分で自分の体を真に愛することだ。そして少女の体の内側から、少女の子宮へと射精し、妊娠して自分自身を出産することだ。それによって私は、母親の影響圏から最終的に離脱することができる。私は自分自身から産み出された存在となり、もはや誰にも隷属することなく、ここに完全な自由を手に入れる。少女の体という肉体上の理想を獲得し、自分の体を自己肯定し、精神上の自立という内面の自由をも獲得する。かくして世界は私を祝福し、私も自分自身を祝福し、世界は充足した私自身によってどこまでも満たされていくことになるだろう。」

    「自分の体を愛せないことが身にしみて分かったとき、私はどうしたのか。私は自分の心の空虚を埋めるために、「男らしさ」に手を伸ばしたのである。いまさら女にはなれないわけだから、自分が男として自己肯定するためには、この体をもっと「男らしい」ものにしないといけない。体だけではなくて、精神も、行動も「男らしい」ものにしないといけない。それが成功したら、私は、自分の体とセクシュアリティをきっと肯定できるようになるはずだ。私はそのように思ったのだった。それは、溺れる者が藁をもつかむ気持ちと似ていたのかもしれない。」

    「もっとも大切なことは、好きな人や、大切な人たちと、やさしい関係をつむいでいくことであり、互いを尊敬していつくしむことのできる関係を作っていくことだと私は思う。」

    やさしい関係。やさしくありたい。

  • f.2021/2/10
    p.2013/4/24

  •  男の「不感症」「制服フェチ」「ロリコン」がテーマであり、これらを著者の実際と照らし合わせて考察する。したがい、答えではなくひとつの仮説である。
     男の射精そのものは快感を感じずに空虚感を感じる(男は自らの射精を語りたがらない)。感じる女への復讐がポルノに反映される(実際には女もそれほど感じているわけではない)。ポルノでよく制服が用いられるのは、背後に学校(=洗脳)を感じるため。男の自分勝手な論理で女を内面的に支配し、セクシャリティの自閉世界を作り上げることに帰結する。精液はその架け橋である。
     ロリコンというと一般的に初潮前後の少女を対象としたものであり、社会全体がロリコン化しつつある。感じない男は自らの体を肯定的に見られず、少女の体として生きてみたかった願望が、少女の体の中に乗り移るという形で現れる(そのため少女が女性になる初潮頃がターゲットとなる)。母親からの訣別はロリコンの形をとり、自己完結した世界に閉じこもることで、完全な自由を手に入れる。
     男のセクシャリティに対する肯定感のなさから、女への支配(うまくいかないと、復讐し罰っしようとする)を強める。正面から向き合おうとせず、架空の女のイメージのほうが生身の女よりも大事だったりする。「生まれてきて本当に良かった」と感じることで、ひととひとが感情を分かち合いながら、よい関係を作り上げていける。男のセクシャリティはいくらでも変わりうる。

  • 学者先生が赤裸々にというより冷静に自信のセクシャリティを元に男性のセクシャリティついて考察している。オーソドックスな純文学の作家が書きそうなことを学者調で書いた感じ。不思議なテキスト。言い方や、捉えるレベルに関しては、人それぞれ幅がありそうだけど、根本的に言いたいことはわかるというか共感できる内容だった。

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著者プロフィール

1958年高知県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得退学。大阪府立大学にて、博士(人間科学)。東京大学、国際日本文化研究センター、大阪府立大学現代システム科学域を経て、早稲田大学人間科学部教授。哲学、倫理学、生命学を中心に、学術書からエッセイまで幅広い執筆活動を行なう。著書に、『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』(勁草書房)、『増補決定版 脳死の人』『完全版 宗教なき時代を生きるために』(法藏館)、『無痛文明論』(トランスビュー)、『決定版 感じない男』『自分と向き合う「知」の方法』(ちくま文庫)、『生命観を問いなおす――エコロジーから脳死まで』(ちくま新書)、『草食系男子の恋愛学』(MF文庫ダ・ヴィンチ)、『33個めの石――傷ついた現代のための哲学』(角川文庫)、『生者と死者をつなぐ――鎮魂と再生のための哲学』(春秋社)、『まんが 哲学入門――生きるって何だろう?』(講談社現代新書)、『生まれてこないほうが良かったのか?』(筑摩選書)ほか多数。

「2022年 『人生相談を哲学する』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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