増補 エロマンガ・スタディーズ: 「快楽装置」としての漫画入門 (ちくま文庫)
- 筑摩書房 (2014年4月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480431691
感想・レビュー・書評
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社会哲学者・作家・経営者の東浩紀氏の本から知った本.
「エロ漫画」の歴史とその歴史を通じて生まれた様々な表現・趣味趣向の列挙と解説をしている.
エロ漫画を”人間の欲求と前衛的表現の限界に挑戦するメディア”と捉ええると知的好奇心が刺激される分析対象になりうることを本著は示している.常識と禁忌,表現の自由と規制(ポリコレ),性と愛,身体と精神,商業と趣味(同人誌)...エロ漫画を通じて問われる価値観や社会の変化は非常に深遠.
歴史については1950年ごろから2010年くらいに至るまでの「エロ漫画」の変遷や特徴をリチャードドーキンスの”ミーム”の言葉を借りて分析,評論
本書で述べられている通り,エロではない漫画やアイドルといったあらゆる萌え系メディアがエロ漫画のミームを継承しているし,最近よく見かけるご都合主的・タイトルを読んだだけでお腹いっぱいになる作品(石鹸系?なろう系?異世界なんちゃら系?)やVTuberといったやや新興(2021年ではもはや古い類だろうが)もこの系譜に並ぶものだろう.
本書自体は一般的には卑猥とされる単語がこれでもかと並び,エロ漫画のカットーも豊富に盛り込まれている.読み込むにはそれなりのタフネスが問われる.
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フェティシズムの元々の意味は、「自然物や人口物に神秘的な力があると信じ、信仰や儀式の対象にすること」である。日本語では「呪物崇拝」あるいは「物神崇拝」とも訳される。
うる星やつら
→女ドラえもんと呼ばれるように、男性読者にとって極めて都合の良いファンタジーだが、浮気者の主人公と彼を愛する異界からきたヒロインという基本パターンさえ押さえておけばあとは互いのライバルを次々投入するだけで話は転がっていく
"現在では同人誌と言う言葉は形骸化し、むしろ自主制作書籍と呼んだ方が正しいだろう"
同人誌におけるエロやパロディ
"若い描き手にとって、タブー侵犯や権威への茶々いれは快楽であり、他人の作ったキャラクターを好きなようにカスタマイズし、エロチック化し、ギャグ化する楽しみはオリジナル作品制作とはまた違った喜びをもたらしたのだ。"
→創る楽しさここにあり
萌え→かわいい のオタク的動詞化
萌えは瞬く浸透し、あるキャラクターは装飾、言動、身分、身体的特徴といった「萌えのパーツ」の組み合わせで換喩可能に。
→キャラクター=イコン(図像\)とイデア(概念集合)=記号の集合体
→東浩紀氏・データベース型消費
物語や描写のデオドラント化
→臭い物に蓋
"後な「萌え」と呼ばれることになる「可愛い趣向」は性交や制作器の描写を必ずしも必要としない。性的な要素は「可愛いミーム」の中に巧妙に隠されていのる。逆説的に言えば、隠蔽され、抑圧されているからこそエロチックなのだ"
→萌えコンテンツは読者の想像力・それを享受したときの反応を見越した創造物
全てを最初から描写してしまっては読み手に解釈の余白がなく、つまらないということか。ミステリー小説やドラマ等等にも当てはまる
"美少女系エロ漫画は「萌え」と「抜き」の絶妙な補完関係の上に成り立ってきたと見ることもできるだろう"
創作物の読み取り方:
第三者視点・神の視点・鳥瞰
当事者視点・登場人物・自己投影
“我々も大脳新皮質を一枚向けば,そこには爬虫類の脳があり,食欲と性欲と生存欲求というシンプルなプログラムが無限ループしている”
”ルサンチマンの強い読者が現実に社会から拒否されているか否かはどうでもいい.本人の脳内で「セカイから拒絶されている」というファンタジーが生起することをルサンチマンと呼ぶのである”
”愛を煽り、愛を収奪するアイドル産業と、愛に飢え、愛を商品として消費するファン”
”「ヒロインに愛される」という作品世界最強の異能”
”ヴィクトリア女王(在位1837-1910)治下の大英帝国最盛期.ピューリタン的に過剰な道徳を要求する社会だったために逆に地下ではポルノの黄金時代が築かれていた”
なろう系,石鹸系?ー>メタ化の極み. 想像力と前提知識
日常系漫画を読む楽しさ→"この漫画を読む楽しさは、勝手に遊ぶ小動物を眺める気分に近い" -
面白かったし勉強になる。
所詮は低俗なものとして扱われがちなエロマンガに焦点を当てて、文化史を紐解く。
日本のサブカルチャーと密接な関係にあるようだった。
これのエロゲー版もあったら面白そうだけどそういう本ないのかな。
氏賀Y太『毒どく猟奇図鑑』が出てきて、あっと思った。
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2006年に書かれたエロマンガの通史・解説書の文庫版。エロマンガというジャンルが豊穣で、それが日本のマンガの豊かさと密接に絡み合っていることがよくわかる。
読者の同一化の対象が、登場人物の男性ではなく、時に女性であるという指摘から、今でいう「男の娘」的なジェンダーの混乱に議論を接続していくのは興味深かった。原本が出た2006年と文庫版の2014年の社会的に大きな違いである「ポリティカル・コレクトネスの浸透」についての議論を捕捉する巻末の解説もよい。個人的には、文中に登場するエロマンガ家の作品を、自分がかなり読んでいた事におどろいたな……。
類書が少なく、マンガという表現ジャンルを理解しようとするときに、とても重要な一冊といえる。マンガは好きだけど、エロマンガに興味がないという人にもぜひ読んでほしい。 -
漫画評論家 永山薫が2006年に発表した「エロマンガ・スタディーズ」の文庫版。オリジナル発表後の状況も追加。エロマンガが内包するミーム等を手がかりに手塚治虫から昨今の美少女コミック、萌えコミックまで当時の風俗や一般コミックと絡めながら作家や歴史を考察します。日本海溝よりも深いと思われるエロマンガの割れ目に果敢に挑んで生還した作者がもたらす凄まじい情報量に脱帽です。アレやコレが足りないという向きもありますが、あくまで男性向けのエロマンガをテーマに絞っており教養として知っておくと人生が豊かになると思いました。
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第1部「エロマンガ全史」は、手塚治虫の記号絵に孕まれたエロティシズムを解読することから始まり、1970年代の「三流劇画」ないし「エロ劇画」と呼ばれるジャンルの隆盛と、80年代以降のロリコン・ブーム、そして遊人の『ANGEL』や上村純子の『あぶない! ルナ先生』が被った「有害図書問題」と90年代以降の「抜き」と「萌え」における新しい展開などが、簡潔ながら手際よくまとめられています。
第2部「愛と性のさまざまなカタチ」は、ジャンル別の考察です。「ロリコン漫画」「巨乳漫画」「妹系と近親相姦」「陵辱と調教」「愛をめぐる物語」「SMと性的マイノリティ」「ジェンダーの混乱」の7つのテーマについて、過去から現代までのさまざまな作品を紹介しながら論じられます。
また文庫化に際して増補された「二十一世紀のエロマンガ」と題された章では、いわゆる「非実在青少年」に関する表現規制をめぐっての攻防について解説されています。
容易にその全貌を見通すことのできないエロマンガという領域の歴史をたどることのできる名著です。著者はところどころでセクシュアリティをめぐる文化的・政治的問題の所在についても言及していますが、そうしたテーマを考察の中心に置くことはなく、性描写さえ含まれていれば何でもありとでも言うべきエロマンガにおける性的嗜好の多様化と細分化を叙述することに努力を傾注しています。「あとがき」で著者自身が「不可視の王国の年代記と地図を、たとえ大雑把な代物としても書けるのは自分しかいないという自負があった」と語っていますが、まさにこの著者にして初めて可能だった作品ではないかと思います。 -
漫画評論家&編集者である著者が
真面目に業界&界隈を俯瞰した通史&解説書
大量の出版&作品の解説があり、知っている作品が見つかる事間違いなし。
自分の性癖を深掘りするのもヨシ!新しい扉を開くのもヨシ!(╹◡╹) -
手塚治虫から氏賀Y太まで、エロマンガ通史及び分析。「米沢嘉博 / 戦後エロマンガ史」の90年代以降を任されたとあとがきにある通り(米沢氏の前掲書も凄まじい濃密さだった)、ディズニー・手塚治虫からスタートしつつも80年代〜90年代〜00年代のエロマンガを濃密に収めた一冊。通史としての読み物としてもかなり面白い上に、「乳首を**のように描いたのは**が最初」というようなトリビア的な羅列ではなく、エロマンガの題材から読者は何を読み取っているのかが(約2年間のロリコン漫画全盛期を経ていきなり巨乳ブームが来たとして、日本人がみな幼児性愛者から巨乳崇拝に変わったなんていうはずがない。一体読者は何を誰目線でどのように受け取っているのか?)かなり掘り下げられていてそこもとても面白かった。
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正直内容は普通だったけど、参考文献リストが優秀かもしれない。
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余りに知識と情報が膨大で吸収しきれない