- Amazon.co.jp ・本 (175ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480687494
感想・レビュー・書評
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原始仏教をすごくシンプルに説明してくれてる。最後の章の後半は少し納得しかねる部分があった。
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・お釈迦さまの教えに触れるたびに、科学的だなぁ~と思っていたのですが、それは、他者の行動を観察したり、自分の内面を客観的に見詰めたりした結果として到達した考え方だからなんでしょうね。神話とは、決定的に違うのです。
この本のもとになったのは、埼玉県飯能市にある自由の森学園中学校・高等学校での授業と講演とのことです。
上座仏教についての予備知識がない状態で、いきなりアルボムッレ・スマナサーラ長老の講義を聞いたとしたら、生徒たちはもちろん、先生方も戸惑ったと思いますが、仏教の起源を知り、日本に伝わった大乗仏教とは違う感じである、ということを知ったことは、価値ある経験だったのではないかと思います。
若いうちから、お釈迦さまが説いたとされる教えに触れることは、とても良いことだと思いますし、羨ましいなぁ~と思います。
中高生の頃、生きることは辛いこと、自分の知識を正しいと思わないこと、と言われても、親や先生方から大人が正しいと思っている価値観を与えられて育った子どもたちは、ピンとこないと思いますが、長老の話を聞くことで、視野が広がると思います。 -
勉強になりました。
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スマナサーラ師の著書を久しぶりに読んだ。やっぱりこの人のブッダ論はいい。例によってかなり過激だけど。平野啓一郎氏は「個人から分人へ」というスローガンのもと、「確固たる個人」とか「アイデンティティ」といった西洋のフィクションからの解放を主張しているが、これをブッダに言わせると「自分とは、その時その時の反応である」となってしまう。単純明快で、しかも正しい。これからも、スマナサーラ師の著作はときどき目を通すようにしよう。
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人間の苦しみは「心の問題」であること、そして一切は因縁によって成り立っていることといった、ブッダの教えの基本的な部分をわかりやすく解説されていた。一方、キリスト教を始めとする一神教に対して、信仰に導くやり方がすごく強引であり、原罪という考え方は脅しであるといった批判は、これまで一神教というものに対して漠然と感じてきた違和感をすっきりとした表現で言い表されていて、納得のいくものである。生きことは「自己責任」であり、人間関係は「生きた道場」といった著者の言葉はとても力強く、小さなことでくよくよ悩まず、すべて自分の問題として捉えた上で前向きに取り組んでいかなければならないという思いにさせてくれる。
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めちゃめちゃ軽ーい仏教の話。
人の主観はそれぞれである、自分の存在も含めてすべては移り変わっていく、自分から人を嫌うことはしない、などの主張が印象的です。
相手の短所には目をつぶって長所に目をやる、ということですが、欠点に目をつぶって無関心になるのはいかがなものか、と思う。もうちょっと深いところでつながれる方法を考えていきたいと、個人的には思うけど。
そのまんま、子ども用の本やなあと思った。 -
これが本当に仏教の書籍だろうか?後半は特に生活のための心構えを改めさせてくれます。図書館で借りて読みましたが買おうかな。
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わかりやすい。心の科学だ。
主観を捨てる。ないものだから
自由を認める。皆が自由だから
人間とは「知識」
自分の欠点を知ること。それが他人を知ること。
今を生きること。因果法則。
愛されるとは、努力しなければいけない...等々
人格者への道がある。難しいことではない、とても簡単なことばかり。