人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書 273)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 80
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480689795

感想・レビュー・書評

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  • 物語の成り立ちについて勉強したくて読んだのですが、人間が物事を認識する上で因果関係を求め、物語として捉える。また思い込みなど「何故自分だけ」という理想の物語を描き苦しむ習性やストレスへの対処なども簡潔に説明している良い本でした。

    わかりやすく説明してくれているため章ことにスラスラ読んでしまうのだけれど、印象に残った部分以外ポロポロ抜け落ちてそうなので気になったところを再読してメモを取っておこうと思う。

    内容とは関係ないけど、ちくまプリマー新書の紙質…好き。

  • 久しぶりの新書。
    もしかしたら養老孟司さんの『バカの壁』以来か。
    一体何年前だよっヾ(--;)

    『人はなぜ物語を求めるのか』
    新聞の書評欄で紹介されていてこのタイトルが気になり、書店を数件巡ったが置いておらずネット書店で購入。

    最近、「なんか世の中って‘物語’だらけじゃないか」と思い、息苦しさを感じていたのでジャストタイミングだった。
    自分の頭の中まで‘物語’だらけだもの。

    本書を読んで思い返したのは軽い認知症の祖母のこと。
    「あれをしてくれないから私のことなどどうとも思ってない」と言ったり、不都合や不具合があると自分勝手に家族を責めたりする。
    私の不幸=家族のせい
    という強固な‘物語’が頭の中に鎮座しているのかな。
    それで自分を苦しめているのかなと思った。

    これも私自身が勝手に解釈した‘物語’に違いないけど。

    中身は私にはちょっと難しいところもあり、時折「は?」と二度三度文章を読み返したりしながら読んだ。
    でも『自分のぼんやりした考えを、豊富な文献と読みやすい文章で形にしてくれた!グッジョブ!』と思ったり、考えが私には思いもかけぬ方向に着地したりして読み物として楽しかった。

    まあ『わかった』と『分かった気になる』と区別がつかない
    そうなので自分がどこまで分かったのかわからない。

    他のひとからみれば「あいつ、わかってないなー」なのかも(* ̄∇ ̄*)

    それに千野さんのハナシに納得したのも『彼の提示する物語』と『私の思う物語』が合致しただけかもしれない。

  • 「将来の夢は?」とか「弊社に入ったら何を(達成)したいですか」とか、そう聞かれて「特にありません」と答えると、つまらない・取るに足りない人だと思われる。その人が物語を持っているかどうかで判断されることは少なくない。それも、聞いた側が納得できる物語を持っているかどうか。
    物語をそのまま生きていけるならいいけど、それができないと生きるのはとても苦しくなる。この本が登場するのはここ、その苦しさが現れた時。自分が苦しんでいるのは誰の、何のせいなのか。それは自分が作った物語のせいかも知れないよ、という視点をもたらしてくれる。
    もしも、自分を苦しめているこの物語は自分が作ったのではない、周りが要求するものなのだと思っていたら、その時点でその物語を受け入れてしまっているのと同じこと。この本の内容に抵抗があると感じたら、自分の物語に“こだわり”を持って自ら苦しんでいる人かも知れない。
    物語に巧妙な仕組みがあることを知れば、その枠組みの外側に立つこともできる。物語の便利なところはおいしく利用し、そうでないところはさっさと放棄して楽に生きよう。“自分らしく”生きることにムキになって苦しんでいた何年か前の自分のような、この本の言葉が届かない届きにくい人にこそ届いてほしい。淡々としてドライに思えるかも知れないけど、こんなに優しい本はないよ。

  • タイトルは内容を正確に表していない。正確を期すならば「人はなぜ『物語』としてできごとを理解しがちなのか?そのしがらみから逃れるヒント」とでもなろうか。

    色々な論者の言葉を数多く引用しつつも、筆者の主張はきわめて貧弱。私が示したタイトルに尽きてしまう。その上、思い込み、さらにはパラダイムから逃れる処方箋もほのめかす程度。ちくまプリマー新書とは言え、これを読む若者は気の毒だ。

    しかし、末尾の読書案内の書籍、本文で引用されている原著に直接あたれば、実りある読書ができる点は救いだ。物語に過度の期待を抱かない世界観をきちんと創造したい。

  • 人間は「わからない」のが不安だから、情報の空白を埋めるように因果関係を作って、無自覚なままストーリー形式で世界を把握している。その心の癖の落とし穴や危うさを丁寧に読み解いてあり、考えさせられた。
    認識の枠組みである物語に、自覚的でありたい。

    「二度生まれの人」の話が印象に残った。人生それ自体にたいする「なぜ?」という深刻な問いに取りつかれ、煩悶し、もう一度生まれ直す必要があるタイプの人、のような意味合い。「崖から手を離す」とともに、念頭に置いておきたい。

    あと、巻末の読書案内が参考になった。

  • 物語消費の話を想定していたが、そうではなくて人間の認知の話が主軸。認知、認識する上での因果関係の推定、それによるいわゆる「物語」の構築、依拠が発生するというような論旨。ソフトな文体で読みやすくありつつ、種々の文献を引いて印象論に終わっていないのが好感だが、認知という側面では物足りなさも感じるので、認知科学あたりの本を並行で読んでみると理解が深くなりそう。本書で引かれていた『生ける屍の結末』は読んでみたい。

  •  
    ── 千野 帽子《人はなぜ物語を求めるのか 20170306 ちくまプリマー新書》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4480689796
     
    …… 人は「自分のストーリー」で苦しむ…人生をちょっと楽にする
    ヒント。人はストーリーで物事をわかろうとし、ときに苦しむ。
     
     人は物語を作って予測する。(…)人は頑張れば将来がわかると信じ
    ている(…)人は事実にあてはまればどんな説明も受け入れる。
    (マイケル・ルイス『かくて行動経済学は生まれり』より、ダニエル・
    カーネマンらのメモから抜粋)
     
     ストーリーでわかるってなんだ?
    20171119 07:01 Satoru Ishido
     石戸 諭 BuzzFeed News Reporter, Japan
     
     本書『人はなぜ物語を求めるのか』にならって、クイズからはじめて
    みよう。
     問題:とある村に、伝統の雨乞い踊りがある。その踊りをすると必ず
    雨が降る。それは一体、どんな踊りでしょうか?
     一応、答えに進む前に一言書いておくと、確かに答え通りに踊れば、
    絶対に雨が降る。
     正解:「雨が降るまで踊り続ける踊り」。
     なんだよ、と拍子抜けしただろうか?
     この本のテーマに即して、重要なのは村人は雨乞いをした「から」雨
    が降ったという物語で認識していることだ。
     人はストーリーから逃れることができない、物語る動物である。人の
    思考の枠組みのひとつである「物語」で私たちは苦しむこともあれば、
    ちょっとしたコツで救われることもあるーー。
     
     本書の主題だ。
     人生のストーリーを求めて…
     Ognen Teofilovski / Reuters
     
     人は「なぜ」を知りたがる動物だ。
     なぜ生きているのか。どうして、自分がこんな理不尽な目にあわない
    といけないのか。人はなにかにつけストーリーで捉え、わかろうとする。
    これが曲者だ。
    「わかる / わかった気になる」とはなにか。
     著者は文学研究にとどまらず、認知神経科学、哲学、心理学等々の研
    究を参照しながら、論を進めて、こう述べる。
    「できごとの因果関係が納得できるものであるとき、人間はそのできご
    とを『わかった』と思ってしまうらしい」
     人は、なにかが起きたとき、わからないことに耐えるより、ストーリー
    を動員して理解しようとする。
     例えば、人はAのあとにBが起きると、AのせいでBが起きると認識する
    癖がある。こんな風に。
     
    「ネイビーのネクタイをしたときは面接試験を突破できた。他のネクタ
    イではなくこれでいこう」
     他ならぬ私の就職活動での経験だ。ネクタイと試験結果は、よく考え
    ればほとんど関係がない。
     多少、面接官の印象は変わるかもしれないが、どう考えても他の要素
    のほうが合否に大きな影響を与える。それでも当時は必死に縁起を担い
    でいた。
     前後関係に加えてーいい加減であっても、それっぽいー因果関係の説
    明が加わると、ストーリーはさらになめらかにつながっていく。
     問いにたいして、なめらかなストーリーがあれば、人は納得してしま
    う。
     さっきのクイズでいえば、雨乞いをしたことと、雨が降ることの関係
    は、村人からするとなめらかにつながっているストーリーになる。
     陰謀論でも説明がないよりマシ
     なぜ自分にとって不本意な状況にあるのか?特定の誰かが世界を牛耳
    っているせいだと考える。これは陰謀論のパターンだ。
     雨乞いしかり、陰謀論しかり。たとえ荒唐無稽なストーリーでも、な
    めらかにつながっていると思えれば、なにも説明がないより、はるかに
    納得が得られる。
     『説明が正しいかどうか』よりも、また『その問が妥当かどうか』よ
    りも、僕たちはともすると、『説明があるかどうか』のほうを重視して
    しまう。ストーリーでそこを強引に説明してしまうことがある。
     ストーリーと「〜〜すべき」論のやっかいな関係
     そして、ストーリーは人間のいろんな思考の癖とともに作動する。例
    えば道徳である。
     悪いことをやられても結果的に報われる因果応報のストーリー、悪い
    やつを倒してすっきりする勧善懲悪なストーリー……。
     古今東西の道徳的ストーリーにみられる「あるある」だ。著者はこう
    した図式が頻出するのは「因果応報という図式が人間の心に巣食ってい
    る」からだ、と指摘する。
     勧善懲悪の典型的なパターンは道徳的に劣った敵を倒すというもの。
     人は道徳的に劣った人たちを倒すという物語ですっきりした気持ち、
    快楽を手にいれる(不倫スキャンダル報道が典型だ)。
     因果応報、報いあれ!でも……
     因果応報はどうか。これは「道徳的に収支決算のあった世界」だと言
    える。
     人は世界は公正である「べき」だと考え、正しい行為は報われ、道徳
    的に間違った行為は罰せられる「べき」だと考えているのではないか。
     この考え方自体が、人間の心の癖だという「公正世界」の仮説を紹介
    し、著者は道徳的な「べき」論とストーリーが組み合わさることの副作
    用に踏み込む。
     公正世界は、善い結果には善いことになった原因が、その裏返しで悪
    い結果には悪い原因があるという世界だ。
     東日本大震災、そして福島第一原発事故で考えてみよう。
     当時、東京都知事だった作家・石原慎太郎さんは「天罰だと思う」と
    語った。彼は「日本人の悪」という因果応報のストーリーで震災、原発
    事故を理解しようとした。
     なにか不幸なできごとが起きた以上、必ず悪い原因がある。
     因果応報に基づき、ストーリーを組み立てると、甚大な災害、原発事
    故で理不尽な思いをした人たちになにか原因があると責めることにもな
    る。
     犯罪被害に付きものの「被害者にも落ち度がある論」と同じパターン
    だ。因果応報は、被害者バッシングを肯定するストーリーにも転化する
    のだ。
     あるいは、「このせいで不幸が起きた」とストーリーに合致する悪役
    を探し出してきては、叩く。
     他責のストーリーは、ニュースをみていればでいくらでも見つけるこ
    とができるだろう。ニュースもまた「物語」の集積である。
     
     人はストーリーに苦しめられる
     Axel Schmidt / Reuters
     
     さらにやっかいなことに、因果応報は「自分」に向かうことがある。
    「〜〜をしなかった私が悪かったんじゃないか」「あのときこうしていれ
    ば……」
     悪い結果になった理由があるはずだ、という考えに基づき、頭の中で
    ストーリーが組み立てられる。本当のことは誰にもわからないのに、
    「自分が悪い」というストーリーはつながっていく。
     著者は、べき論によって「ストーリーに人間が苦しめられる」という。
     ストーリーに追い詰められる人生は、ちょっと生きづらい。
     では、どうしたらいいのか。
     私の言葉でまとめると、大事なのは、そのストーリーも所詮、自分が
    作ったものに過ぎない、と発想を切り替えることだ。
    「人は物語る動物」。つまり、自分がストーリーをつくっている。
     因果応報論に陥りやすいと、思考の癖を自覚すれば、誰かを責めて
    スッキリするというストーリーに「ちょっと待てよ」と留保することが
    できる。
     生きていれば、時として説明のつかない理不尽なことは起こる。
     そこで、安易なストーリーで「わかった気」になったり、「自分が悪
    い」というストーリー以外の道もあると思えること。これが重要だ。
     人生に期待しない、という選択
    Satoru Ishido / BuzzFeed
     
    ── フランクル/霜山 徳爾・訳《夜と霧 ~ ドイツ強制収容所
    の体験記録 19610305-19711105-198501‥-19960430 みすず書房》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4622006014
     
     著者が、精神科医ヴィクトル・E・フランクルの名著《夜と霧》を論
    じる箇所が参考になる。
     フランクルはナチスの強制収容所で、2人の被収容者が自殺願望を語っ
    たときの体験を綴る。
     2人は人生に絶望し、生きていることになんの期待も持てないという。
    自分の人生でなにか起きるかもと期待していたからだ。
     収容所という彼らの身にふりかかった現実は、絶望のストーリーしか
    生み出さない。
     ここでフランクルは、2人にとって必要なのは「人生についての問い
    を180度変える」ことだった、と書いている。
     つまり、人生に期待するのではなく「わたしたち自身が問いの前に立っ
    ていることを思い知るべきなのだ」
     フランクルは続ける。
     生きることは日々、問いかけてくるではないか。その問いに言葉を弄
    するのではなく「行動によって、適切な態度によって」正しい答えを出
    していくのだ、と。
     やがて、2人は「未来に彼らを待っているなにかがある」ことに気づ
    く。
     一人は外国で待っている自分の子供を思い出し、もう一人はある本を
    完成させるという仕事があることを思い出す。
     彼らは、人生のストーリーを「漠然と人生に期待して絶望する」とい
    うものから、待っている仕事や子供という、なにかのために生きるとい
    うストーリーに変えることで、自殺を思いとどまった。
     思えば、人生への「期待」はしばしば人を追い詰める。
     誰かに、自分に期待にもとづくストーリーを押し付ける。そして、自
    分の人生に期待したものが手に入らないと嘆き、「誰かが悪い…」「自
    分が悪い…」というストーリーにつなげていく。
     人は物語る動物だからこそ、勝手に他人に期待しては失望するという
    人生から降りるというストーリーをつくることもできる。
     なんか生きづらいな、と思ったときに自分のストーリーを見直してみ
    たらどうなるか。楽しく生きる方向にストーリーの力をつかえると、少
    し気楽になるかもしれない。
     この本の射程は、狭い意味での物語論にとどまらない。「物語」で、
    無駄に苦しまずにすむためのヒントをぎゅっと詰め込んだーーそんな一
    冊である。
     サムネイルはアントニオ・ベラルディのコレクションより(AFP=時事)
     バズフィード・ジャパン ニュース記者
     Satoru Ishidoに連絡する メールアドレス:Satoru.Ishido@buzzfeed.com.
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    (20171121)
     

  • かねてより人はとにかく「物語性」のあるものが大好きで、そこに物語がなければ自身で作り出すほどに物語が好きだよなぁと思っていたため、タイトルに魅かれ読了。

  • 物語学(ナラトジー)の入門。世の中を理解するのに物語が必要であり、出来事を述べることには何かもっともらしい理由がないといけない。時系列で起こったことにはそれぞれに理由があるべきであると考え、無理やりにでもでっち上げる。べき論は概ね感情的なものであり、さらに、それが一般論と一致すると納得感が増す。自分のしたことでさえ、説明的な一般論で納得してしまう部分がある(実際は何の理由すらないかもしれない)。
    期待という放物線の予測はありがちなものであり、これをなくすことで物語から自分が解放されうる。

  • 人は物語る生き物だ。ある個人の人生について考えるとき、なにか事件が起きたとき、知らず知らずのうちに物語の形式でとらえようとする。
    それは人に備わる便利な能力に違いないが、ときに自分や他人を傷つけ、苦しめ、危険をもたらすこともあると著者は指摘する。

    たとえば災害を天罰だととらえること。自分が悪いことをしたから不幸に見舞われたと考えること。被害者に責任を負わせる論理。犯罪者はこんな人間だと決めつけること。親が子どもに勝手な理想を押しつけ、思い通りにいかないと嘆くこと。

    なにごとにも原因があると思い込んでストーリーに落とし込み、自分にも他人にも当てはめようとすることは、その人を「わかった」気にさせ、安心させる効果があるが、逆に、人は知らぬ間にストーリーを作り上げてしまったために他人や自分を苦しめてしまうことも多い。

    世の中には簡単にストーリーに当てはめられないことが多々あるし、公正な社会というのも虚構にすぎない。
    不幸であるのは、だれのせいでもなく、ただ不幸であるだけなのだ、と思うのはたしかに難しいが、実際に「ただ不幸である」ことが存在するのは事実だ。

    有名な古典作品や歴史上の出来事、「黒子のバスケ」事件やアイドル刺傷事件での加害者の供述、著名人の発言など、わかりやすい例を取り上げながら、人が物語ることとはどういうことなのかを解き明かし、あらゆる出来事のとらえ方について、新しい示唆を与えてくれる。

    考えすぎて自分のせい、人のせいにしてしまうひと、周囲や親の描くストーリーに縛られて苦しんでいる人、単純に物語という人間の認識の枠組みに興味があるひとなどなど、さまざまな人にオススメできる本だ。

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著者プロフィール

日曜文筆家。女性誌・文芸誌・新聞などにエッセイ、書評を寄稿。著書に『人はなぜ物語を求めるのか』『物語は人生を救うのか』(いずれもちくまプリマー新書)、『俳句いきなり入門』(NHK出版新書)、『読まず嫌い。』(角川書店)、『文藝ガーリッシュ』シリーズ(2冊、河出書房新社)、『文學少女の友』(青土社)、編著『 オリンピック』『富士山』『夏休み』(いずれも角川文庫)、『ロボッチイヌ 獅子文六短篇集モダンボーイ篇』(ちくま文庫)。
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