- Amazon.co.jp ・本 (598ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480752673
作品紹介・あらすじ
カントの「物自体」を「存在そのもの」と捉え、後の渡邊哲学を予告する。
感想・レビュー・書評
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著者のカントやフィヒテについての論文のほか、近代以降のドイツ哲学を中心に、哲学史についての著者の考えが示された論文などが収められています。
巻頭に収録されている「カントに於ける反省的判断力とその原理」は、著者の卒業論文です。カントの判断力についての検証をおこない、それがたんに認識論上の意味をもつだけでなく、存在論上の意味をもっていたということが主張されています。この論文において著者が考えている「認識論」と「存在論」の内容がじゅうぶんに明確にされていないというきらいはあるものの、カントのテクストを深く読み解き、哲学の根本的な問題にかかわらせてその思想が現代においてもつ意義を明らかにしようとする著者の真摯な態度は、このころからすでにはっきりと見られます。なお、この論文における「認識論」と「存在論」の概念については、他の論文でも語りなおされており、ハイデガーの問題設定を踏まえながら実存というテーマを手放すことなくドイツ古典哲学を読みなおそうとする著者の数多くの仕事の根幹をつらぬいていることがしだいに明らかになっていったように思います。
なお巻末には、晩年の病床にあった著者が記した『備忘録のための著作目録』の「あとがき」が収められています。「自分がいつ斃れるかもしれない非力な身の上にあることを、私としては十分に心得ている。しかしながら、それでもなお、「これが、生きるということだったのか。よし、それならば、もう一度」(ニーチェ)と勇気を奮い起こし、「これでよい」(カント)と言いうるまで、自分なりの生き甲斐を見つめ、自分の課題に向けて精神の焔を燃やし続けたいと思う。ただし、あまりに悲壮にならずにである」という著者のことばには、著者の哲学的な探究の態度に通じるものがあるように感じられました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
資料ID:21302382
請求記号121.6||W||7