雨の日はソファで散歩

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 83
感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480814746

感想・レビュー・書評

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  • タイトルに惹かれて読んでみたが、エッセイはほとんど読まないので内容があまり入ってこなかった。戦後を生き抜いてきた人ゆえか、近代の有名な作家、詩人などのエピソードが多く出てくる。好きな人だと楽しめるんだろうなぁ。
    個人的には「藤村ゆかりの宿」を「藤村」ゆかりではなく「藤村ゆかり」の宿と読む女性たちの話が印象に残った。

  • 昨日の上天気とうって変わって今日は朝からの雨模様。こんな日に読もうと思ってとっておいた本がある。植草甚一に『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』というのがあったが、種村季弘の自選エッセイ集は『雨の日はソファで散歩』。徘徊老人を自称する著者も雨の日の散歩は億劫らしい。中身は聞き書きを含む四章に分類され、書名はその内の一章から採られている。晩年の作家自身が選び抜いたエッセイを知悉する編集者に任せて編んだものである。

    東京近辺を歩き回って心に残る人や風景の記憶をたどる探訪記、グルメというのではないが、こだわりの食材について店や板前の評判記風のエッセイ、それに近世文学に係わる諸篇と、雑多なようでいて自分の関心事から発する興味の赴くところを、自由闊達に書き尽くした感がある。

    種村季弘といえば、澁澤龍彦に連なる西洋悪魔学泰斗の一人として、我が家の貧しい書棚にも数冊の著作を数えることができる。『怪物の解剖学』『失楽園測量地図』『悪魔禮拝』『黒い錬金術』『吸血鬼幻想』、どれも禍々しい書名で、今となってはいささか苦笑を誘われるが、当時としては大真面目に読んだものだ。ドイツ語に堪能で東大の美学美術史学科出身というところからこれらの本が書かれたのだろうが、最晩年は真鶴に隠棲し、時に東京近辺に現れては気ままな徘徊を楽しんでいたことがエッセイ集から伝わってくる。

    ここには江戸から明治、そして戦前戦後の東京で暮らしてきた人間の通時的な視点が貫かれている。自身が生まれる前のことは近世の文人の書いた物に語らせている。荷風散人を持ち出すまでもないが、この人にも低徊趣味があり、出てくる店や人物は、いずれも曲者揃い。特に大酒飲みの話が多いのは、いける口にはたまらない。一日三升を飲む寿司屋の話など、女性蔑視、酒飲み優遇という差別を売りにしている感がある。黙って飲んでいれば、ヒラメのエンガワやアワビのワタが出て来て勘定が嘘のように安いなんて、酒飲みには天国のような店である。

    作家なんてみんな引きこもりと言ってのける口吻からのぞくのは、焼け跡の屋台でピーナツやライターを売って生活していた頃からのヴァイタルな気風である。老年を意識してからのエッセイが多いが、少しも老け込んだところがない。かといって世俗の垢は抜け、いい具合に風雨に晒された老舗の暖簾のような色合いが、どのエッセイにも漂っている。

    馴染みの常連客である暗黒舞踏の土方巽を代表として、飲み仲間その他付き合いのあった絵描きや文士がたくさん登場する。サド裁判を通じて知り合った埴谷雄高や、三島由紀夫の意外な一面を垣間見ることができるのも楽しい。行きつけの店で一日中泡盛を手にねばる山之口獏やこっちに背中を向けて一人で飲んでいる梅崎春生、周囲に仲間を集めておかなければ安心できなかった牧野信一など、好きな作家や詩人が顔を出すと、愛読していた当時の記憶がまざまざと甦ってくる。

    しかし、何より甦ってくるのは、煉瓦街を振り出しに東京の顔となって来つつあった当時の銀座であり、鴨池の埋め立て地跡に作られた新宿といった在りし日の東京の風景だろう。地方にいてその変貌ぶりについて無知な評者のような者であっても、吉田健一の次のような文章を読むと、物狂おしくなってくるほどだ。

    例えば資生堂の一階の席でそこの細長い窓の前を通っている横丁を越して向うを見ると同じ化粧煉瓦を使った様式の資生堂の別な建物があってそれが大正期の日本でなければ建てられはしなかったものであることが解っていながらそれを背景に横丁の鈴懸けの並木が鋪道に影を落としている具合が必ずしも日本とは思えなくなることがあった。(『東京の昔』より)

    晩年は、ソファで体を休めながら、書籍の中で在りし日の東京を歩いていたのだろう。意の儘にならぬ体のことを書かず、「雨の日は」と書いてみせるあたりに著者のダンディズムを感じる。

  • タイトルに惹かれて購入したら「東京百話」の人でした。ほほう。
    なんだか気付いたんですが、自分の好きな随筆書きってみんなグルメです。食への情熱が半端じゃないです。確かに表現力磨かれそうです。
    この本にも食関係のことが多い。水鳥記とか面白いな。そんなふざけた本が。魯山人も関わってるし場所は多摩だし。
    しかしこの人読む本似てるな…時代が違う人と読む本が被ってるっていうのも中々面白い。

    初老の乱歩を見かけたという話も。乱歩くさいストーリーを著者がくっつけて見ていたせいで不気味な薄笑い浮かべているように見えたそうですが、おそらく乱歩先生ただ飲んでいただけ。飲んでるだけでも不気味に見せる乱歩クオリティ。

    これ読んでいたら次は綺堂読みたくなった。

  • エッセイ集。

    居酒屋での顔なじみのことや、豆腐のことなど美味しそうな話から、終戦当時の東京の様子、知人の仕事や評まで、内容はさまざま。そうか、豆腐は木綿派なのか。
    この人の文章は初めて読んだ。高名な学者さんがふと力を抜いて書いた、という印象。読みやすいけどぎゅっと詰まってる感じで、好きだな

  • 久しぶりに立ち寄った図書館で借りました。滋味たっぷり。ほっとします。

  • 幻想文学への造詣が深いひとらしいが、本書そのものは幻想チックというわけでもない。種村季弘というひとに興味があるなら。

  • 2010/4/21購入

  • 雨の季節、以前に載せたこの本をわざわざこのトップページにならべてみます。「稀代のエンサイクロペディスト 最後の自選エッセイ集」それだけで、ほとんど中身も確かめずに買っちゃった本でした。タネムラさんはシブサワさんのことを「生まれながらのアンソロジスト」と評していましたが、ご本人は、たしかにエンサイクロペディストと言っていいでしょう。なにしろタイトルだけで、いい。例によって「最後の」という言葉にたたらを踏んで、目次とかその他を愛でるばかりで、なかなか本気でじっくり読み込みに至りません。天候に係わらず「遠出」の叶わぬことは少なくない。私とて、二度と遠出など叶わぬ身になるときもくるでしょう。帯から引用します。「雨が降っている。外へ出るのが億劫だ。車もない。 あっても運転できない。こんなときにはソファに寝転がって、 行きたい町に本の上でつきあわしてもらうのが分相応というものだ。 では、どこへ行くか。今回はひとつ張りこんで、銀座といこう。」そう、本でなら(敢えて言うなら私の心の中でなら)何処にでも行くことができる、どんなに美味しいものも食べることができる。おそらく、それだけの「広さ」を私は有している、そう思いたい。雨の日には、私はいつもより遠くまで赴くことができる。いくつかの雨本を抱いて、ソファに丸くなったままで。

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著者プロフィール

種村 季弘(たねむら・すえひろ):1933-2004年。東京都生まれ。東京大学文学部卒業。ドイツ文学者。該博な知識人として文学、美術、映画から魔術、神秘学にいたるまで多彩なジャンルにわたり執筆活動を展開した。著書に『ビンゲンのヒルデガルトの世界』(芸術選奨文部大臣賞、斎藤緑雨賞受賞)、『書国探検記』、『魔術的リアリズム』など、訳書に『パニッツァ全集』(全3巻)などがある。

「2024年 『種村季弘コレクション 驚異の函』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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