踏切趣味

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 14
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  • Amazon.co.jp ・本 (151ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480816405

感想・レビュー・書評

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  • 私が石田千の本を読む2冊目。彼女の出した2冊目の本になるのかな。
    まったりしすぎて、前に読んだ『役たたず、』ほど深くなる文章はないが
    気持を波立たせず、イイ人な気分になりたい時にはいいかもしれない。
    平成に出ている本とは思えない。

  • 2013 8/19

  •  踏切にまつわるエッセイ。踏切を渡る人物や周囲の景色を淡々と語るだけで、特に蘊蓄がひけらかされるわけでもない。
     とりあえず目につくものを綴るだけ、という感覚が心地良く、また文章も美しいのだけど、正直読後に何も心に残らないね。

  • 踏切鑑賞が何よりの趣味だという著者が、連載していた雑誌の性格に合せて、本にまつわる踏切を訪ね歩いた記録。とはいえ、必ずしも書物に縁のある場所ばかりでもなく、時に脱線するのだがそれも良し。25編のエッセイには、ずべて冒頭に「踏切」にまつわる言葉を詠みこんだ自作の俳句が一句掲げられ、さながら吟行めいたスケッチでもある。 踏切の鑑賞の仕方が独特だ。それなりに趣味の世界というものがあるらしい。正式名称の確認に加えて、自らの歩幅でその長さを確認したうえで、周囲の状況をじっくり味わい描写し、一句吟ずるのだ。たとえば、八王子・谷保を訪れた「煮込みの味」と題する章では、『梅雨雲も 踏切渡り 街道へ』と一句を掲げ、『天神前踏切南部線31K655M 巾員9.2M 大また九歩』と記されている。この谷保では、山口瞳の名作「居酒屋兆次」の面影を求めて、近辺をほろ酔いで彷徨した記録が残されている。 後年の技巧的なエッセイとは一味違う、ノン・フィクション的な探訪記で、無防備に自らをさらすような初々しさが目立つ内容だ。

  • 『あのひとは俳優になったから、格が上がったから、と誇らしげにいう。人気がでたら、未練なく大舞台に移る。下町とか役者には、なんだか共通した明るい薄情がある』-『夢舞台』

    石田千のエッセイが気に入ったので数冊まとめて注文する。海を越えてようやく送られてきたものを少しどきどきしながら読む。やっぱり少し変わった味わいがする。よい。

    まるで自分が子供の頃の懐かしい街並みのことを聞いているかのような声が聞こえてくる。文章の中の時はついこの間と言ってもよい程の過去でしかないのに。この落差のようなものはどこから来るのか。そう訝りながらていねいに読んでいると、ただ単に自分が慌ただしさにかまけて見慣れたと思い込んでいる風景の中の過去を見逃しているだけなのだ、ということがじわじわと了解される。

    前にも書いたと思うけれど、石田千の言葉にはゆるやかな断定があるばかりで、批判や批評ということばに使われる「批」というニュアンスがない。「批」は、比べ、品定めをし、是非を判定すること。ゆるやかな断定にしても、本当のことをいうだけのこと。ほとんどの言葉は事実を描写するために費やされる。それなのについつい共鳴している身体がある。いつの間にか何かがふわりと浮き上がる。すうっと風景がセピア色を帯びたように視界に映る。

    駅前通りのあの角には金魚やがあって、買いものの時には大小さまざまの赤や黒がふわふわするのを眺めたっけなあ。駅の南側の踏切も開かずの踏切と呼ばれていたけれど、人も自転車も車もみんな並んで遮断機がまっすぐに巻き上げられるのを待った。あの踏切も今はなくなってしまって、東と西を結んでいた道も断ち切られたままだ。東口に西友があって西口に東武がある紛らわしい街の目抜き通りだった。小学校の写生会の題材にもなった駅前の再開発は随分かかって引っ越すまでには終わらなかった。あの時はまだ快速も止まらない駅だった。

    あの街角も、踏切の跡も、無くなってしまったデパートの名残も、工事現場を見下ろした場所も、ほんとうは見えているのに見て見ぬふり。何故ならそこを見つめてしまうといくつもいくつもの思い出が溢れ出してきてしまうから。

    そんな思い出のスイッチのようなものを石田千はていねいに拾い上げる。全く知らない街の話を聞いていても郷愁が湧き上がる。現在の街並みに重なるようにしてうっすらとした蜃気楼が懐かしい街並みとして立ち上がる。

    すうっとそんなもやの中を抜けるようにして街並みを通り過ぎると、やっぱりそこは昭和の街並みではなく平成の街なのであるけれど、ふと目線を足元に落とすとそこに見過ごしていた名残が見つかる。そのことだけで幸せになれる。思い出は残響。その響きは案外としぶとく鳴りつづける。

  • 踏切を観察したくなる。散歩をしたくなる本。

  • 見ている風景を客観的でもすごく感情的でもなく、かといって淡々とでもなく、
    作者の心を通してみた景色がそのまま切り取られたような文章が続きます。

    季節や目に入った人、日常的なゆるやかな起伏をもって面白いと思っている感じがなんとも面白いです。

    その場を切り取る方法に線路の幅を歩幅で計る描写が好きでした。

    散歩をしているともしかしたら千さんがどこかでみてるかしらと振り向いてしまうような本です。

  • たくさんの踏切を通りながら、小さなものに心奪われ、遠くを見て心放つ。

    淡々とつぶやく、そんな雰囲気のエッセイです。

  • 「屋上」の前に「踏切」に着目していたのがさすがです。我が家の近所の踏切も登場しています。

  • <font color="#666666"><table style="width:75%;border:0;" border="0"><tr><td style="border:0;" valign="top" align="center"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480816402/yorimichikan-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ec1.images-amazon.com/images/P/4480816402.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" border="0" alt="踏切趣味"></a></td><td style="padding:0 0.4em;border:0;" valign="top"><a href="http://blog.fc2.com/goods/4480816402/yorimichikan-22" target="_blank"> 踏切趣味</a><br>石田 千 (2005/02/08)<br>筑摩書房<br><br><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480816402/yorimichikan-22/ref=nosim/" target="_blank"> この商品の詳細を見る</a></td></tr></table>
    <blockquote><p><strong>急いでわたる子ども、荷物を運ぶ主婦、たたずむ老人。周辺の居酒屋に集うひとびと。大好きな踏切をめざして都内を西から東へ、時には鎌倉、山形まで。線路上で交差する一瞬の光をとらえ、つづり、句を詠む。なつかしくも鮮烈なエッセイ集。</strong></p></blockquote>
    踏み切りのある風景をさまざまな場所で切り取り、<金町>という俳号をお持ちだという筆者の句を添えて描かれている。
    にぎやかな町はにぎやかないまを、寂れた町は寂れたいまを、目に映るものをそのままページのこちら側へ開いて見せてもらったような気分を味わえる。
    ためらいのない言い切り形の文章が小気味よい。</font>

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著者プロフィール

石田千(いしだ・せん)
福島県生まれ、東京都育ち。國學院大學文学部卒業。2001年、『大踏切書店のこと』で第1回古本小説大賞を受賞。「あめりかむら」、「きなりの雲」、「家へ」の各作品で、芥川賞候補。16年、『家へ』(講談社)にて第3回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。16年より東海大学文学部文芸創作学科教授。著書に『月と菓子パン』(新潮文庫)、『唄めぐり』(新潮社)、『ヲトメノイノリ』(筑摩書房)、『屋上がえり』(ちくま文庫)、『バスを待って』(小学館文庫)、『夜明けのラジオ』(講談社)、『からだとはなす、ことばとおどる』(白水社)、『窓辺のこと』(港の人)他多数があり、牧野伊三夫氏との共著に『月金帳』(港の人)がある。

「2022年 『箸もてば』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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