ドガダンスデッサン

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (185ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480885258

作品紹介・あらすじ

20世紀最大の批評家ヴァレリーが、強い精神の力を持って自ら志向するものへと深くきびしくつき進んでいった画家ドガの「肖像」を、デッサンとは何かをはじめとして、多彩な32の断章によって見事に刻み上げた円熟期の傑作。明晰な新訳。

感想・レビュー・書評

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  • デッサンについて、興味深い記述が多々。
    自分の作品に決して満足せず、一度人手に渡ったものも、取り返して描き変えてしまう。美しい絵画とは足すことも消すことも必要ない美の極点に達したものをいうのだろう、という自分の中の概念が少し変わった。真の芸術家というものは、いつまでも満足しないものなのかもしれない。

  • わたしの興味を惹くものが、かならずしもわたしにとって重要なものであるとはかぎらないのであり、だれでもそうだろう。しかし、ただ面白いだけのことについては用心しなければならぬ。ポール・ヴァレリー「ドガ ダンスデッサン」p.7

  • 学生時代、古書店を彷徨きながら、将来自分で金を稼ぐことができるようになったらいつかは買おうと思っていた書物にヴァレリー全集があった。しかし、勤め人となり、生活に追われるようになると、当然のようにそれらは後回しにされ、全集はおろか、ヴァレリーその人の文章に触れることもなくなってしまっていた。

    久しぶりにヴァレリーの名を冠したこの本は、吉田健一の名訳誉れ高い『ドガに就て』の新訳である。今回の清水徹訳は、よりヴァレリーの原文に忠実な訳を目指したとあとがきにある通り、明晰かつ格調高い日本語になっている。抽象論を述べるときの硬質な文体とドガの逸話を語る場合のくだけた語り口が絶妙に綯い交ぜにされた文体は、親しい者だけが集まった晩餐の席上でヴァレリーその人の謦咳に触れているような気にさせてくれる。

    ヴァレリーは、若い頃に知遇を得たドガについての本格的な「肖像」を書こうとしていたが、結果的には果たせず、いろいろな機会に、ドガの横顔やデッサン論、風景画論など長短様々な文章を雑誌に発表した。それら三十二編の文章を断章形式でまとめたのが『ドガ ダンス デッサン』である。本人が言うようにどこから読んでもいい、気儘なスタイルを装っているが、書かれていることの本質は、意外なまでに大上段に振りかぶった「大芸術論」に収斂されていく。

    レオナルド論をはじめ、多くの芸術論を表したヴァレリーだが、本人が最も価値あるものとして考えていたのが≪大芸術≫であることは、論をまたない。「一人の人間の全能力がそこで用いられることを要請し、その結果である作品を理解するために、もう一人の人間の全能力が援用され、関心を向けねばならぬような芸術」というのがそれである。

    人間的には、狷介で傍若無人、才気煥発ではあるが毒舌家という側面を持つドガ。若い頃から、彼のアトリエに出入りすることを許されたヴァレリーは、伝記作者としてそうした人間的魅力溢れるドガの横顔を書くこともできた。事実、いくつかの文章はドガのポルトレとしても上々の出来である。しかし、共通の知人として登場するマラルメと関連させながら追究を深めていく画家の相貌は、自己の納得できるデッサンをものにするため、晩年に至るまで歩を緩めない直向きな芸術家の肖像である。

    「レオナルドがみずからの価値の証明として作品を創造し、その数をふやしてゆこうとしないで、反対に無限の探究と好奇心のなかへと淫している」ことをミケランジェロが激烈に非難したという興味ある逸話が語られる。二人の偉大な芸術家を引き合いに出して、ヴァレリーは自らの芸術論を語っている。ヴァレリーが高い価値を置いていた芸術とは、作品を結果ではなく、手段であると考える類のものである。

    ドガはすでに完成され、他人の部屋の壁を飾っている自分のデッサンについても、何度も描き直しを望んだという。そして、求めに応じて画家に返された作品の多くは戻ってこなかったとも。こうしたドガのデッサンについての姿勢こそが、ヴァレリーが考えていた真正の芸術家の姿に重なって見えていたのではないか。あの有名な「テスト氏」の造型にしてからが、こうしたドガ像の影響があったという。

    絵画に限らず、文芸の世界でも、刺激に慣れ、より新しい刺激を求め、苦労を厭い、安易に快楽を求める風潮をヴァレリーは嘆いているが、それは彼の時代に限らず、現代の問題でもある。「風景画その他についての考察」の中で、文学における「描写」、絵画における「風景」の濫用が芸術における知的部分の減少をもたらす、と嘆じて「ここで、ひとりならずのひとたちが、そんなこと構わないじゃないか!と叫ぶだろう。しかし、わたしとしては、芸術作品とは一人の完全なる人間の行為であることが重要なのだと思っている。」と、言い切る。

    知の人、ヴァレリーが21世紀の今の世界の有り様を見たら、なんと言うだろうか。否が応でも時代というものを感じさせられる一冊である。

  • なんともマニアックそうなタイトルなので、どんな種類の本なのかと開いてみたら、ユーモアたっぷりでテンポもよくアッという間に一気読み。

    たしかに主人公は失恋した元カノとよく似たお人形と同棲後、結婚するのだが、病的で偏狂的な印象ではなくあくまでもユーモラスな成り行きの帰結なのでただ面白く読める。

    主人公は大手保険会社に勤める独身サラリーマン。26歳の彼には交際1年の彼女がいたがあっさりフラれる。
    クレーム処理のために訪れたポルノショップで元カノとそっくりのダッチワイフを目にし、購入して同居生活をはじめる。

    不運な彼の生活は、その人形によって徐々に潤いのあるものになり、ダッチワイフの存在の位置づけも次第にアップしていく。
    彼女の名前はシーラ。
    シーラは時々、空気を注入してやること以外、実に素直で無口で手間をかけない女性であり、彼は彼女をオペラに連れて行く。
    それがきっかけで彼は職を失い、お人形と結婚式を挙げて新婚旅行に出かける。
    そこで新たな出会いが彼に訪れる・・・・

    失笑噴飯というか、笑止千万というかとにかくとても面白く滑稽なのに、憎めない主人公に情がうつってしまうふしぎな小説。

    ルイ=トマ・ペルティエは1965年カナダのケベック出身。
    ケベックの州都モントリオールがこの小説の舞台になっている。
    ケベックの公用語はフランス語。フランスの入植の名残だが、この小説にはフランス的な匂いがたちこめる。

    著者のルイ=トマ・ペルティエは他にも『もしも地面が丸かったら』とか『離婚旅行をするとしたら』とか『もしも人形に歯があったら』など面白いタイトルの書物を出しているらしい。邦訳が待たれる。

  • 老ヴァレリーの真骨頂。断片的なテクストの寄せ集めが、ドガの人となりを表し、その芸術を伝える。ドガにとって芸術とはどんなものだったか、それをヴァレリーは自身の芸術観を全面に出して語る。友人ドガとの思い出という個人的なできごとを語るこの本は、彼らが生きる時代の芸術の潮流という大局的なできごとを語る本でもあり、それがヴァレリーの思索のなかで自然に溶け合っているのだ。ヴァレリーの知性はとてもバランスがとれている。

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